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学びを育むコミュニティの形

安全な場を用意し、エキスパートとの接点と同じ学習段階の仲間とのつながりがあると、いいんじゃない?というのが今の私の結論。 エキスパートとの接点の効果 学習を始めたばかりの頃は、目の前に状況が広がっているだけで、それぞれの現象や視点、考え方には名前がついていない。エキスパートとこの状況の話をするとするすると、その捉え切れなかった目の前の状況に名前が付いていく。正しい名前かもしれないし的外れかもしれない。的外れだとしてもその周辺の知識へのパスを手に入れる。これが一気にインプッ

    • 私の焦点とあなたの焦点

      4月27、28日に開催されたソフトな人類学 裏・糸島フィールドワークに参加してきました。 https://itoshima-fieldwork.peatix.com 今改めてイベントページ見て、ソフトな人類学って何だろうというそもそもの疑問が生まれてきた。(イベントページにはしっかり書いてあった)よくわからないけど、ふと、ハードな人類学よりはソフトな人類学がいいなと思った。 プログラムの詳細はイベントページをご覧ください。 全てを事細かに書くことは今回はせず、フィールド

      • RSGT2024に参加してきました!

        今まで2021、22、23と3回にわたって参加してきたRSGTに今年はスタッフとして参加してきました! あの熱い場にボランティアスタッフという立場で参加させてもらいましたが、一般参加者の時とはまた違う体験で学びが多い3.5日間でした! うまくまとめることができるかちょっと自信ないので、時系列にスタッフとして+参加者として何をしたかを書き出してみることにします。 Day0 1月9日14時頃現地到着 ・円陣でチェックイン!オーガナイザー+ボランティアスタッフで自己紹介と意気

        • 評価判断を「保留」することの難しさ

          最近のキーワードは「保留」という言葉 最近読んでいる本2冊(U理論と対話についての本)で出てきて、先日の人類学のイベントでも出てきていた、評価判断を「保留」すること 人類学に出会う前は、前に進む為に判断することを急いでいた 現状を評価、判断し、何を実行するかを決めなければいけない 答えを出せないことは前に進めていないという認識があった 人類学に出会い、評価判断することが対象を分かろうとする活動においては助けにならないということを学んだ それを学んでからは、いい感じに出来て

          一年前の自分に向きあう

          去年の9月から半年間参加させていただいた、メッシュワークさんの人類学ゼミ、今日は一期生として二期生の皆さんとの対話会に参加させていただきました。 ちょうど去年の今頃私たち一期生がそうであったように、みなさんテーマ選定に迷い、最終展示の未知さにどうにか向き合おうとしていました。なんだか、一年前の自分を見ているような不思議な感覚でした。 自己紹介と共に自分の研究について少し話そうと思って準備しようとして気づいたのは、自分の研究自体の発表は展示以外ではしたことがなかったというこ

          一年前の自分に向きあう

          親指の「勇気」

          RSGT2023に参加してきました。 今年も最高でした。 去年は帰国直後でホテル隔離中だったのでアパホテルからの参加でしたが、今年はしっかり3日間現地参加してきました。 会場での熱量を感じ、他の参加者の優しさと勇気にふれ、一年分のMPと思いやりの心と勇気をしっかり補給することができました。本当に、あの場を保ち続け、さらに良くしていこうとしてくれる運営の皆さんと、一緒に参加しセッションや雑談の中で知恵を共有してくれるスピーカーや参加者の皆さんに感謝です。 現地では、セッショ

          親指の「勇気」

          「曖昧なもの、自分が知らないものへの耐性」

          今回のゼミのセッションメモをまとめ切れていない状態で、3回目のセッションがありました。 2回目のまとまっていない下書きは一旦忘れて、今の状態で、残したいことを残しておこうと思います。 課題図書『フィールドワークへの挑戦』のなかではさまざまな切り口で、みなさんフィールドワークを行い、まとめた文章が紹介されていました。 「なるほどそんなところも見るのか」、とフィールドワークのリアルを垣間見ると共に、彼らが自分と向き合い、自分の中にあるものを発見してく様が描かれていました。そんな

          「曖昧なもの、自分が知らないものへの耐性」

          沈黙が怖い

          今回はあるノートを読んで自分の経験を反芻した呟きです。ただの呟きです。 読んだノートはこちら。 現在私が参加している、人類学のゼミを開催してくれている主催者の一人、比嘉さんのノートです。 このノートの最後の段落、“「余白」を作り「想定外」を生むこと”を読んで思い出した"ざわざわ"がありました。それがタイトルにもある「沈黙が怖い」感覚です。 このザワザワを感じるタイミングは決まってレトロスペクティブのファシリテーターをしている時でした。 スクラムと呼ばれるフレームワークを

          沈黙が怖い

          「わかろうとする活動」

          最近、懐かしいのに得体の知れない高揚感に包まれて、ふわふわしていました。 今日から、ゼミが始まりました。半年間かけて人類学を学んで実践します。 と言っても、完全に人類学素人なので、課題図書を読んでもだんだん眠くなってしまう今日この頃です。伸びしろがすごいです。 タイトルにした「わかろうとする活動」というのは、初回のゼミセッションの中で主催のお二人の話や、他のゼミ生の話を聞いていて、私が現時点で人類学を形容しようとすると「わかろうとする活動」になりました。 日頃、アジャイ

          「わかろうとする活動」

          「それって間違ってるよ、正しくない」

          「それって、正しいんですかね?」 「正しいってなんですか?」 正しさよりも有効性を見て生きていきたい。 そう思った夜のメモです。独り言です。 ほんと、正しいってなんですかね。 世の中にはいろんな理論や知識体系があって、「正しい」とされるものがあるように感じるけど 私はあまり興味がない。 意見を交換するのは好きだけど、「それは違う」というフレーズが出てくると一気にその会話が楽しくなくなる。 まぁ、ありふれた言い方だけど「判断」が含まれているからなんだそうなーと。 「正し

          「それって間違ってるよ、正しくない」