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6本353円の筆を買った

 私の書いた字を見た人に言われて若干イラッとすることがある。

「上手いですね。さぞかし高くて良い筆を使っているのでしょうね」

 こいつ何言ってんだよ。

 口は悪いがそう思う。じゃああなたが高くて良い筆を買って、書いてみろよ、上手く。

 当たり前だが、高くて良い筆を使っているから字が上手いなんてことはあり得ない。しかしそれを理解できていない人のあまりに多いことか。

 どんなに高いパソコンを買っても、使う人の能力がなければただの箱なのだ。多才なソフトもプログラムも、使いこなす技術がなければ何も生み出すことはできない。

 筆も同じである。実力のある人が使わなければただのハケでしかない。

 SNSに書いた字を公開して一番驚くのはこの認識の違いである。同じ筆、同じペン、同じ紙を使えば同じものが出来上がると思っている。書き方ではなく道具を説こうとする。今でこそその考え方に慣れたが、始めた頃は愕然とした。書道の技術というものはこれほどまでに見下されているのかと。言っている本人たちは見下している気持ちはないのかもしれないが、書いているこちらからすると「さぞかし高くて良い筆を……」は書いている人間を見下していることに他ならない。私でなくとも全ての書家に言うべきではない発言である。

 しかしながら私は気が強いので、売られた喧嘩は買うしかない。

 そう、これは喧嘩なのだ。見下す、ということは喧嘩を売ってきていると私は判断する。そして私は売られた喧嘩は買う。大概のことはどうでもいいが、書道については買ってやろう、と思う。むしろ前のめりに買う。

 つまりは私の使っている筆が「高くて良い筆」でなければいいのだ。

 さっそく私は手持ちの筆を全部出してみた。高くて良い筆、ではない筆。それで書いてやろうと。

 と言っても私はそもそもそこまで高い筆を持っていなかった(悲しい!)。昔から貧乏性なタチで、硯などの半永久品ならばお金はある程度払えるのであるが、筆のような消耗品にはどうもお金を出し渋ってしまう。

 しかも物持ちが良いと言うか、ボロボロになっても使い続けるというか、筆をなかなか買い替えることがない。筆は使いたてが一番書きやすく、だんだん劣化していくため、こだわる人は2・3ヶ月に一本くらいのペースで買い替えるのだが、私は10年くらい平気で使ってしまう。ボールペンのように「インクがない!」状態になったら買い替えられるのだが、貧乏性なあまり「まだいけるかな?」でどんどん手放すのを先延ばしにしてしまう。

 そもそも「高い筆」っていくらくらいのことを指すのだろう? 1万? 5万? 10万?? お恥ずかしい話だが、私が自腹で買った筆の最高額は5000円だ。やだっ、貧乏性すぎて恥ずかしい!

 人様から筆をいただくこともかなり多い。

 知り合いの小学生が小学校を卒業してもう使わないからと筆をくれたり、古書店さんなどで売り物にならない筆をもらったり、亡くなった方の遺品をいただいたり……ざっと全部で500本くらいは持っている。しかしだいたい高くて1万円くらい。ってことは1万円以上が「高くて良い筆」なのか? さっぱりわからない。

 それならばいっそのこと、「誰がどう見ても安すぎる筆」を使えばいいのではないか!?

 以前の記事にも記載した通り、私はAmazonで「本当に物が届くのか?」という値段の商品をとりあえず注文してみることが好きだ。趣味と願望が一致した。これは安い筆を買いまくるしかない。

 こうして私はSNS用に安い筆を買いまくるようになった。それで知ったのは送料込み500円以下の筆でも全然書けるということだ。もう全く問題なく、驚くほど普通に書ける。以前買った送料込み87円の筆も未だに愛用中だ。利益はどこに落ちているのだかわかったもんじゃない。資本主義とはまこと恐ろしいものである。

 そして先日、ついに私史上最低額を更新した。

 なんと6本353円(送料込み)。一本につき58.8円。破格すぎる。ちゃんと製造元にお金は入っているのか。一抹の不安がよぎったが買うっきゃない。

 毎度のことながら中国からはるばる国際便で来るので、数週間後、忘れた頃に届いた。たぶん輸送費だけで赤字だと思う。


うんうん、ちゃんと6本あるね!

 あれ? なんか思ったほどとんでもない筆じゃないな? と思ってよく見てみると


 バッキバキに折れとるやん!!!

 いや! これは配送ミスだろう! なんせ国際便だからね! 仕方ない仕方ない!

 とりあえず中身の無事を確かめるべくキャップを外してみると


 いや中身までバッキバキやないかい!!!

 これは明らかに配送中の負傷ではなく、在庫管理状態が悪かったことがわかる。うんうん、いいよいいよ、仕方ない、仕方ない。だって1本58円だもん。

 とりあえず下ろそうかなぁと思った矢先、明らかに使えない筆を1本発見した。


 アホ毛みたいなのが出てるね。

 筆の製造方法としては、毛の束を何個も作ってそれを紐で縛りながら一つにまとめていくのであるが、このアホ毛はたぶんその縛った紐である。これは本来軸の中にいてもらわないと困るものだ。外に出ていると、これにも墨がついてしまって変な線や墨の不均等が出てしまう。

 どうしようかなぁ〜、切っちゃおうかな〜、でも切ったら毛が全部抜けて来そうだな〜。

 とりあえずこのアホ毛くんは後回しにして、他の筆を使ってみることにした。

 のだが、

 抜ける抜ける、どんどん毛が抜ける。このままだとおまえ丸坊主になっちゃうよってくらい毛が抜ける。これは87円で買った筆もそうであったが、たぶん毛を縛る紐の結びが甘いのである。そして毛が抜けると隙間ができるのでさらに毛が抜けていく。柴犬の換毛期と同じくらいのペースで抜けていく。抜けた毛でもう一本筆ができそうである。

 こうして1本はアホ毛でボツ、2本は換毛期でボツ。残りは3本。なかなかの接戦である。

 こりゃ全滅かもなぁと手に取った4本目。

 墨につけると、奇跡が起こったのかと思った。毛が抜けなかった。もう書き心地なんてどうでもいい。とにかく毛が抜けなければいいのだ。出来の悪い子を愛でるようにどんどんハードルを下げていこう。

 さてさて書いてみようか。どうかな。


鵝(がちょう)

 書けちゃった。意外といけるもんだ。

 ただ、「書きやすいか」というと全くそんなことはない。筆の構成を説明するのは省くが、毛の長さや硬さが全く揃っていないので、向きを考えながら書かないととんでもないところに画が飛び出してしまう。あと一部10円ハゲのようにごそっと毛のない部分がある。うっかりその面を紙に接して書くと、終画にとんでもない空洞ができる。(これはこれで面白い)

 調子に乗った私はもう1本使ってみることにした。

 墨につける。毛が抜けない。よしっ! 勝った!

 せっかくの安い筆なので、こういうときは色をつけて遊びたくなる。(普通のちゃんとした筆はもったいなくてできない……)


万年筆インクを混ぜてみたよ

 あらやだっ! ぜんぜん書ける! この子も10円ハゲみたいな部分があるけれど!


ひらがなもいけた!

 結論から言うと、6本353円の筆は……書ける!!!

 ちなみに残りの1本はまだ使っていないのでこれから試したいと思う。

 思えば「売られた喧嘩は買いたい」という気持ちから買った筆であったが、いつのまにか普通に楽しんでしまっている自分がいた。

 そういえば高校生のときに段ボールや丸めた紙で作品を書いたこともあった。その当時から私にとって「書きづらさ」はそのまま「面白さ」であり、「楽しさ」であった。不便だからこそ、工夫することが楽しいのである。高くて良い筆もいいけれど、書きにくい筆をなんとか使いこなそうと試行錯誤する面白さや、書き上げた瞬間の嬉しさ、挑戦する楽しさはそれを超えるものがある。

 最近は便利になるばかりで、不便なものは切り捨てられていく。もちろん便利にこしたことはないだろう。でも私はやっぱり、スマホなしの海外旅行が好きだし、連絡はラインよりも手紙が好きだ。不便なことが好きなのだ。自分をギャンブルの台の上に乗せるような、不確実性が好きなのだ。

 今では文字を書く行為そのものが「不便」の扱いになりつつある。文字はタイピングから音声入力になり、さらにはAIが書いてくれる。

 だからこそ「不便」を追求していきたい。不便になればなるほど、きっと物事は面白くなっていく。そう思っているから。

 さて、今度はどんな筆を買おうかな。


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