私の恩師:ゼミの先生

昨晩、大学の恩師の訃報が届いた。

ゼミの一つ上の先輩から突然LINEが来て、びくびくしながら既読にしてみたら、
まさかのゼミの先生の訃報だった。

勉強より遊べの精神

私の学科がゼミの履修が必須だったので、あまり人気のなさそうな、
出来て間もない、恩師のゼミに入った。

それが大正解だった。

私は人間関係の運だけは、めっぽういい。

周りの友達は、就活をにらんで企業とパイプのありそうな教授のゼミに入ったりしていたけど、当時はまだ大学内でも無名だった恩師のゼミは、その後トップ3の人気を誇るゼミとなる。

先生の口癖は『勉強より遊べ』。

なのでゼミとしての活動は、もっぱら飲み会。

しかも、先生のつてを使ってテレビに出ている人や政治家に会う機会もあって、どう振り返っても私の人生では本来経験できなかったであろうたくさんのことを経験させてくれた。

卒業してからは、何度か現役生に仕事の話をするという名目で飲み会にいったこともあったけど、

結婚をして子供が産まれてからはなかなかそんな機会もなく。

気が付けば疎遠になってしまっていた。

当たり前なんてないってこと

先生もまだ還暦すぎたところで、定年まであと3年はあった。
定年で退職される時がきっと次にみんなで集まるときなんだろうなと、

それが当たり前なんだろうなって思って過ごしていた。

けど、当たり前なんてないんだよね。

私ももちろん、先輩方も知らないうちに病気になっており、
あっという間に亡くなってしまった。

こんなお別れの仕方なんてあるのかな。

先生がくれた出会い

先生の人生最後の一大事に、卒業してから全く持って疎遠だった私たちゼミ生の結束力は半端じゃなかった。

一晩で、全学年にこの悲しすぎる訃報が伝わったし、
一番結束力のなかった私たちの代もLINEでつながることができた。

こういう時にギュギュっと力を合わせられる、そんな素敵な人たちと出会えたことは先生からもらった宝物だよなとしみじみ思う。

1人だけ連絡がつかなかったけど、まさかと思って名前をググったら、
夢を叶えてアーティストになっていた。

すげーな。

コロナの影響で私たちの代では弔電を送ることにした。

最後にお会いしたのが2013年7月。
それからメールや年賀状ではやり取りをしてはいたけれど、
まさか7年後に私が先生への弔電を準備するなんて・・・

予想もできなかった。
まだまだ何度もお会いすると当たり前に思っていたから。

先生、本当に本当に出会ってくれて、ゼミ生にしてくれてありがとうございました。
先生との時間は本当にかけがえなくて、あたたかくて、みんなふとした時に思い出す宝物になっています。

どうぞ、ゆっくり休んでください。






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