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メモの魔力 

文サロでの今月の課題本
 「メモの魔力」を読んでエッセイを書くのが課題である。
 メモの習慣がついたのは何時だったか?確かメモを取らない自分に気がついて、手帳を買うのが楽しみになったことを思い出した。

  以下がエッセイとして書いたもの
       
 記憶力に自信があると高をくくり、ズボラときてメモを取る習慣がなかった。今はメモしたことも忘れる始末。
流石に危機感を感じ、メモ、メモとマメに書くように努めるようになったが・・。

 でも、私のメモは予定をカレンダーや手帳に書くことでしかなかった。
メモの魔力の達人によれば、メモを取る意味が違う。自分の本当にやりたいことを見つけるためのもののようだ。

 私は今まで、直感と感覚にたより考えるより行動が先だった。
良かれと思ってやったことが裏目に出て友を裏切ったことや、また反対に裏切られたこともある。かろうじてここまできたのは不思議なくらいだ。

 先日、私の元から去っていった友が、末期のガンで余命幾ばくもないとの知らせがあった。彼女とは家族ぐるみで長年の付き合いがあり信頼関係があった。経理を担当してもらっていたが、不正をして、借金を背負って私の元から去っていったのだ。生きている間に返しますとの言葉を残して。
 その後彼女と会うことはなかったが、きちんと毎月振り込みがあった。総額は今後生きている間には完済できないほどだが、コツコツと振り込んできた。彼女が暮らしていくには大きな負担には違いなかった。彼女が年金も入っていないということを知っていた私は、振り込まれる度、もう、振り込まなくていいと伝えたかった。胸が痛んだ。

 不正の結末は経理の責任だが一人だけの責任ではない、私にも責任があると思っていたからだ。
 完済には程遠いがこれで誠意は充分伝わっていると云いたかった。
 その矢先の娘さんからの電話だった。即彼女に電話をし、私にも責任があったことを詫び、今までの苦労に感謝を伝えることができた。
 
 人が好きで、突き進み、本当にやりたいことをやってきた。
 もう少し、理性的に判断していたら、遠回りしなくてもよかったかもしれないのにと悔やむ気持ちもあるが、心理カウンセラーをやっている今、失敗が今の仕事の肥やしになっていると思う事にしている。
 自分の感覚にしたがって走ってきて、やりたいことにたどりついた満足感はある。
 以上
 
 自分では読まない本が課題になることが楽しい、ふみサロ。
メンバーで出版した本です。

      

アドラー心理学を学んだ女性たちの記録エッセイです。

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