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カウンセラーのつるたです。


#最近の学び

 カウンセリングの仕事以外にボランティアをしたり、エッセイを書いたり

 しています。

 エッセイは「ふみサロ」の仲間たちと、課題本をテーマに毎月書くことを

 楽しんでいます。

  今月は「山奥ニートをやってます」を読んで書いてみました。

山奥ニートやってます」石井あらた
 
 ニートの生き方に興味深々で「山奥ニートやってます」の本を読む。手にしたときの装丁の
イラストが優しくていい。期待感があがる。
 光の速度で瞬時に情報が伝わる今、モノもネットで届く時代だ。
暮らすこと、働くこと、社会の仕組みは隅々まで行き届くのだ。

 先入観が覆され、壮大な自然の営み、生きとし生けるものへの、慈しみの気持ちが湧いてきた。学び、働き、家族をつくり命を全うするまでの長い人生をいつの間にか都会のビジネススタイルをモデルに縛られていたと、すがすがしい山の空気に包まれたようだった。

 私の方が情報や社会に引きこもっていたのかもしれない・・・。

 確かな社会と思っていた不安感と揺らぐ気持ちがどこかにあったが、未来へのかすかな期待も湧いてきた。

 私もOL時代、仕事ができない組だった。事務作業が苦手。テキトウだから細かい作業は向いていなかったのだ。でも、営業には向いていた。人に会うのは好きで飛び回っている方が性にあっていた、人材教育の会社の営業職は楽しく寝食忘れるほど働いた。
 当時の仲間は、自分が教える立場になるために講師業へと転身する人が多かったが、私がカウンセリングの勉強をしていると話すと「カウンセラーはお金にならないよ」と皆口を揃えていった。

 高度経済成長の時代、メンタルが落ちることイコール病んでいるとなり、会社は病んでいる人を雇う余裕はないと言われた時代だ、カウンセリングを勉強している私も変人扱いだった。
 確かに、私は変わっていたかもしれない。時々虚しい気持ちに囚われた。心の底に流れる虚無感。夕方になるとフーっと空気が一気に変わるような感覚があり、自分で「夕方鬱」と名付けていた。ほんの瞬間だが電車を降りたとき、階段を上がるとき、いつまでここに通うのだろう、いつかは必ずここから去るときがやってくる。都会の騒音の中、頭に浮かぶ言葉を振り払ったりしながらも、元気に動いていた。
 営業の仕事は長くは続かず、転職を繰り返し、念願の仕事にたどり着いたのはカウンセリングを学び初めてから15年、女性相談員の仕事にたどりついた。
 人が好き、もやもや、もがいている人が特に愛おしい。ニートをやってますという人にも出会った、ニートの辛さや焦りの気持ちを聴いて「この人生きている」という手ごたえや、感動することもあった。ただ聴くだけしかできないけど。心なしかその人の頬がほてってくるのをみると、私はそっと背中を押す。
 私は人が好きなのだ。


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