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今一度「ラブライブ!」というコンテンツにおけるユニットの存在意義を問う

Liella!というユニットは今まででも段違いで外部のフェスに出ているユニットで有りますが、そうしたイベントというのは当然他のアイドルとも共演するわけですが、そうしたときにはファンと呼ばれる人たちからも相反する感想が聞かれてきます。

それは「本物のアイドルには敵わない」と「本物のアイドルとも負けていない(あるいは上)」と相反する声です。前者のその声は裏腹には「所詮はアイドルごっこ」という認識がどこかにあるのではないでしょうか?

キャラクターが主か、キャストが主か

前者の考えの人は、「ラブライブ!はキャラクターありき。どこまで行ってもキャストは従」という考えのもと、彼女たちの本業はあくまでもアフレコ仕事で、いくら凄いパフォーマンスしても「声優のかくし芸大会」であって、「堺正章のテーブルクロス引き」の延長線と考えている人(以下「キャラクター本位」)と、「ラブライブ!はキャストが主、キャラクターが従」であり、本業はアイドル活動であって、アイドルでも芝居は当然やるわけで、その中にキャラクター展開がある(以下「キャスト本位」)と捉えている人の二通り居ると考えています。

キャストも外部のイベントに出演するときには「来年のいつかアニメやるから見て」じゃなく、目処が立っている「ライブに来て」と言う有様で、キャラクター本位の人たちはいつまでもアニメをしないし、そのアニメも必ずしも自分が見たいものではないということに非常に強い苛立ちを覚えているように感じます。

実際、キャラクター本位という考えが強い人達ほど、蓮ノ空というコンテンツは非常に評価が高いように思えます。なにせほぼ週3で新規の供給がある。向こう2年間ずっと月1で新規供給が保証されている。ファンはスポ根よりも実は関係性のドラマが見たいけど、その方向性で行っている。

いつできるのかわからないアニメ

私は度々主張していますが、アニメなんて、人手不足で1クール作ってしまえば次いつできるのはわからない代物になりつつある。ぼっちざろっくやリコリコだって続編がいつになるのかすらわからないですし、バンドリの『Ave Mujica』編も『MyGo!!!!!』編が終わった後、「鋭意制作中」としか言っていません。アイマスのミリオンライブ!は発表から公開まで3年かかっています。人手不足は深刻ですぐに次が確実な見通し込みですぐ提供されるという状況ではないのです。

それでも、キャラクター本位の人が外部のフェスに出ると「アニメ3期がいつになるかわからないコンテンツなんて勧められない」なんて言う声は必ず出てきますけど、要は言外に「いつ出るのかわからないアニメコンテンツなんて勧めても仕方がない。コンスタントに供給がある蓮ノ空こそこういう場に呼ぶのにふさわしい」ということになるのでしょうか。

実際、10月29日のめざましテレビの広島会場ではLiella!と=LOVEの共演があったのですが、『夏めきペイン』は指原莉乃さんの作詞であり、=LOVEとも相性は良さそうではあります。

トレードオフのキャラクターとキャストの展開

しかし、この半年、外部のイベントなんてLiella! と違って、都内のテレ朝のイベントとVTuberのイベントしか出ていないし、先週福岡公演で、明日Fes×Liveが控えている中でわざわざ広島までキャストを呼べるのかといえば非現実的と言わざるを得ません。

そもそも、青山なぎさがイマドキガールとして出演しているという縁があるから出演できた企画で、蓮ノ空はめざましテレビと全く縁がないので呼ぶなんて発想自体ないでしょうし、もしかしたら競馬中継つながりでウマ娘にお声がかかっていたかもしれません。なにせ彼女たちは『うまぴょい伝説』という鉄板曲もあるのです。

話を戻しますが、当然ながら、彼女たちも私達も時間は平等だし、一日何十時間も働いたら過労死するという当たり前の現実があるわけで、キャラクター本位の考え方とキャラクター本位の考え方はおそらくトレードオフの関係であるし、その両取りは不可能なのではないかと私は思うのです。

コロナがすべてを変えてしまった

しかし、これがコロナ前なら話は別でした。リアルライブ全盛で配信もやらずに、青天井に伸びゆく需要を背景に応募券付きソフトを売るビジネスモデルだったのが、いまじゃ対してディスクメディアを積まなくても当日でも思い立てば簡単にチケットが取れるわけです。

「応募券付きソフト」なわけで、あくまでも応募券が本体です。ビジネス的に行ってしまえば映像本体なんて、極端な話ただ存在すれば良いので、客のニーズも、話のクオリティも重視しなくても良いとも言えるわけです。

発表自体は2020年ですが、当時はAqoursのドームツアーも水面下でかなり話が進んでいたでしょうし、青天井に伸びゆく需要というのは矛盾を覆い隠すものですが、コロナで需要がシュリンクしたときに一気にその矛盾が噴出するものです。

東京ドームを2daysで行えば10万人の動員を行いますが、仮にμ'sやAqours並みにヒットしないとしても、最悪としても1daysに絞るなど日程などに配慮すれば国立競技場での公演は突飛なものではく、恐らく充分に現実的な目標でしょうが、コロナがすべてを地に落としてしまったのです。

ライブすることは生き残りのための手段に過ぎなかった

さて、話をμ'sの時代に戻しますが、当初はライブなんて考えていなかったし、すぐに企画終了になってもおかしくないほどの売上しかないのはあまりに有名な話です。

そんな背水の陣のプロジェクトとしての生き残りを模索しているうちに、アニメMVとキャストがリンクするダンスということが受けて、今の境地にたどり着いたのだといえるわけですが、公式のSNSアカウントに堂々と「キャラクター×リアルライブがリンクする次世代ガールズバンドプロジェクト」と銘打っているバンドリと違って、「キャラクターとキャストがリンクしないと『ラブライブ!』にあらず」とは私の知る限りでは言ってはいないはずです。

キャラクターとキャストのリンクというのは後付に生まれたものであり、それはプロジェクトとして絶対に墨守すべき要素なのでしょうか?もしかしたら、自己紹介のたびに存在しない「〇〇高校スクールアイドル部」と紹介したり「〇〇役の誰々です」と口上するアニメ発の企画物ユニットという体裁は、他の作品やタイアップの可能性や新しい可能性を潰してしまう呪縛であり、今となってはリアルユニットの活動を縛りつけてはないでしょうか?

アイドルの育成とアニメの制作というのはノウハウが全く異なるものなのは素人でも容易に想像がつきますが、そうした二兎を追う体制がプロジェクトの肥大化を招き、小回りの効かない体制や、組織の硬直化、果てはプロジェクトのマネジメントの不備を招いてはいないでしょうか?

物語は必要だが、距離感も必要

私は、声優アイドルユニットに2次元という「物語」は不要だとは思っていません。アイドルが年令を重ねても芸能人として生き残るためには最終的には卓越した演技か歌。出来ればその両方が必要です。まず演技を勉強する場としても、アイドルを売り出す宣伝の場としても「物語」は絶対に必要不可欠です。

しかし、リアルとフィクションが分離不可分なほどにリンクする必要まではないと思います。例えばi☆Risはプリティシリーズの主題歌を歌っていて、全員がメインキャストを演じているけど、じゃあi☆Risはプリティシリーズ発の声優ユニットでは有りません。あくまでもタイアップという立場で、そこには一定の距離感があるのです。

また、大先輩のμ'sもかつての下積み時代に日本一ソフトウェアのゲーム『神様と運命革命のパラドクス』とコラボをおこない、μ'sのキャラクターが声を演じているという設定のいわばタイアップ企画を行っております。(恐らくうまくこのチャンレンジが上手く行っていればこのようなタイアップ物を主軸にしていたのかもしれません)

そして、もっとも直近で参考にすべき例とすれば『幻日のヨハネ』が挙げられます。ヨハネはファンタジー作品という大前提はありますが、OP曲とED曲はAqours名義にも関わらず、劇中で9人が歌った楽曲は、「ヨハネ(CV.小林愛香) , ハナマル(CV.高槻かなこ) , ダイヤ(CV.小宮有紗) , ルビィ(CV.降幡 愛) , チカ(CV.伊波杏樹) , ヨウ(CV.斉藤朱夏) , カナン(CV.諏訪ななか) , リコ(CV.逢田梨香子) , マリ(CV.鈴木愛奈)」とAqoursではなく9人の名前がズラズラと花丸よろしく連記されていますし、12月のイベントもAqoursではなくヨハネのイベントとして挙行される予定で、作中にAqoursのアの字も出てきません。

すなわちAqoursとヨハネのは別物という体裁が取られており、今後Aqoursのライブでヨハネ曲を披露する(あるいはヨハネのイベントでAqours曲を披露する)ときには「カバー」という形を取るのか、そもそも演奏するのか大変興味深いものがあります。

「アニメ発」の呪縛から脱するとき

これらの前例をみてみると、(メインキャストとしてキャスティングする事を前提に結成する)『ラブライブ!』のアニメを「声優アイドル」のタイアップ企画として再定義することは十分に可能であり、「アニメ発の企画物ユニット」という呪縛から抜け出すべき時期ではないかと思います。

現状では、メインキャストは全員同じ学校の同じユニットであるという縛りがありますが、それはおそらく「アニメ発のユニットの売り出し」という縛りから来ているものでしょう。

仮にそうした呪縛から解かれ、メインユニットのキャストが、一つの学校の部にとらわれずに自由に配属できるとなると、シナリオの自由度が一気に増すのではないでしょうか。

例えば、ライバル校のユニットとしてしまえば、虹ヶ咲と蓮ノ空以外アニメとリンクしないことも多いミニユニットを作中で出すことへの裏付けにもなるでしょう。

「アニメ発のユニット」として確かに一時代を築いたのかもしれません。しかしそうした縛りはもはや現状では「キャラクター」「キャスト」双方を束縛し、IPの発展を妨げるものに成りつつあります。一日も早くそうした呪縛から逃れ、新しい時代の物語を作ることを願うばかりです。




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