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2022年を「時間」の視点で振り返る②

「使途不明時間」の「マネジメント?サーフィン?」に実は一番大切なことが詰まっていた、というお話のつづきです。

まずこの時間を何に使っていたのか?洗い出してみました。

  • コーチングや「聴き描き」などの依頼についての個人の方への返信

  • 上記以外の法人のお仕事のご依頼、ご相談への返信

  • ご支援事例の整理資料作成、ブログ執筆

  • 契約書作成、請求書・領収書発行

  • 独立後の仕事の棚卸し などなど

事務作業と感じられるものもあれば、自分の取り組みを知ってもらう活動、大切なクライアントとの接点と感じられるものもありそうです。単になくせばよいという話ではなく、もう少し細かくみたら?そう考える方もいるかもしれません。

わたしが感じたのは、これも「自分の表現だ」ということです。どういうことか、少し書いてみます。

あらゆる行為は自分の表現。

「自分の表現」だという意図は、会社員のとき以上に、一見ただの作業に思える行為も含めた自分の一挙手一投足が、社会に対する表現になっていると感じたということです。「自分がその場面で、何を大切にして、どのようにふるまうか」それが社会との関わり方を決めているような。

たとえば、契約書一つとっても、「何を自分が大切にするのか、どういう自分なのか」に沿うのか、それを相手の方に伝えて認識を合わせていく機会になっていると感じます。

また、このテーマで話をした友人の1人は、仕事を依頼した相手の方にお金を振込む際に、かならず現金で振込み、紙に記帳している。それによって自分が「何に誰に時間やお金を使っているのか」を確認しているそうです。「購買行動は支持の表現」と言われることもありますが、まさに「社会の何に投資しているのか」を自分の手と目で確かめているようにわたしにはみえました。それはただの作業ではないのだなと。

他ならぬ自分は何を表現したいのか。

企業で働いているときも、仕事全体のあるいはメンバーのマネジメントをしていましたし、迷う判断も当然ありました。ただ、そのときの基準は取り組みの目的や複数の立場に照らして判断していたなと思います。会社にとって、顧客にとって、関係者にとって、そして自分にとって。
多面的な視点で判断すること、それはいまでも必要なことだと思います。

一方で、(わたしの場合は)自分というものが薄まる感覚も同時にありました。まっとうで必要なんだけど、自分を知らず知らず希釈してしまう。

だからいまわたしは契約書にしてもブログにしても、「『誰かにとって』はあるだろうけれど、他ならぬあなたは何を表現したいのか?」と聞かれている気分で、ピリッと緊張する感じも、自分で引き受けるよろこびも両方受け取っています。大きな船ではなく、小さな船で風も波しぶきも感じながらオールを漕いでいるような。

そのオールを手に感じるとき、会社という組織が役割を分割して担ってくれていたものが自分の手に戻ってきた感覚があります。それは取り戻したという不遜な感じではなく、「いままでこんなに担ってきてくれてありがとう」が純粋に湧いてきてます。



ここまで振り返ってみて、「40%つかうことも独立初年度大切なプロセスだった」ときちんと胸を張って言える気がします。自分の表現とあっちゃ、そりゃ簡単に流せません。

単に「なるべく短時間で効率的に進めよう」ではたどり着かなかった今があると思いますし、扱い方によってはきっとこの時間配分も変わっていたでしょう。

「流れにのる」を選ぶこと・選ばないこと

最後に、使途不明時間を「マネジメント」だけでなく、「サーフィン」と表現した意図をお伝えして振り返りを終えたいと思います。

それはこの時間に、「いまあるものでなんとかやりくりする」というマネジメントだけでなく、新たに目の前にあらわれた「波や流れにのるかのらないかを選ぶ」サーフィンのような意味もあると感じたからです。

計画したものだけでなく、自分で仕事についての考えを発信し、反応を受け取り、なにか流れのようなものが生まれてきたときに本当に乗りたい波をつかまえるかどうか、それも自分次第という感覚です。

もちろん、「乗らない」も選択です。「いまは乗らない」と決めたらその後は波を頭からざぶんとかぶったその感覚もしっかり味わって覚えておきたいなと感じてます。

波が冷たくて「いやだな」と感じるかもしれませんし、「やはりいまのタイミングではなかった」と思うかもしれません。その感覚のリアリティが、直接社会とつながれる醍醐味だなと感じています。

みなさんはどんな年末でしょうか?
振り返るのも振り返らないのもありだと思います。したこと、しないことを味わうそんな年末にしたいと思いました。

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