3年経っても思い出すフランス語表現の話:「山を広げる」?

日本語でも英語でもなんでもいいのだが、本などを読んでいると目につき、何度も思い出してしまう表現はないだろうか。
私はいくつもあるが、そのうち一つ挙げるならばこの表現だろう。
3年前に遭遇したこの一見簡単なフランス語は、今日に至るまで呪いのごとく何度も思い出してしまう。

« […] déroulant les montagnes […] »

montagneは山として、dérouler(déroulant の不定形)はdé(否定を示す接頭語)+rouler(丸める)、という構成である。
英語のunrollもまさに同じ構成だが、「丸まっているものをそうでない状態にする」、つまり丸めたものを広げていくような意味の動詞である。
実際に物書堂辞書アプリの『ロベール仏和大辞典』でdéroulerを引くと、「(巻いてあるものを)広げる」という意味がまず出てくる。

つまり「絨毯を広げる」「巻物を広げる」「ブラインドを下ろす」などと言いたいときに、déroulerは使われる。
これらの用例にしたがうと、dérouler les montagnesは「山を広げる」になってしまう。
何それ手品?あるいは神の仕業?(※ここでのdérouler の動作主は人間)

『ロベール仏和大辞典』をさらに読み進めると、「~を繰り広げる、次々に示す、展開する」の意味も出てくる。
なるほど、目的語が山の場合はこちらの方がしっくりくる。
これを読んで思い出したのは、東海道新幹線に乗っていると出くわす、富士山が突然間近に迫ってくるあの瞬間だった。
(新富士駅のあたりで、目の前の視界が開けた瞬間にいきなり巨大な富士山が現れる場所ありませんか?)
なるほど、突如として目の前に広がる光景を示す際にもdérouler を使うのだろう。

これで何となく意味もわかって一件落着、と言いたいところだが、どうしてもそうは言えない事情があった。
ただ自分で理解するだけならここで終わりだが、私はこの表現を和訳しなければならなかった。
急に山が視界に入ってくる光景を頭の中で想像するだけでなく、そのイメージをフランス語から日本語に当てはめ、読み手に理解してもらう必要がある。

「目の前に山々が広がっていく様子を見て…」などとすると冗長である。
ならば仏和辞典の意味を借用して「山々を繰り広げ」としてもいいのだろうが、「山を繰り広げる」という日本語は聞いたことがない。
かといって「展開する」も、例えばpasserなどのほかの単語でも置き換えられる。
筆者がせっかくdéroulerを使っている以上、この語のニュアンスを日本語にも残しつつ、自然に訳したい、などと、今考えると面倒くさいこだわりにとらわれてしまった。

最終的に、私は« […] déroulant les montagnes […] »を「山々を眼前に広げて」と訳すことにした。
これならばdéroulerの持つ広げるニュアンスも含まれているし、日本語としてもしっくり来る。
何より、もし日仏双方の言語を解する方が読んだ際、「この原語はdéroulerなのでは…?」と推測していただけるかもしれない。
もはや願望でしかないが、万が一そうなれば飛び上がって喜びそう。

すでにこの世のどこかにある和訳なので、もし見かけた際にはこんなことを考えて書いたのだと、思い起こしていただければ。
しかしどれも難しくない3単語なのに、なぜここまで和訳を悩んでいたのか。
当時も変なこだわりに取り憑かれていたが、今になってもなお、呪いのように思い出してしまう表現である。
意外と和訳に悩み、どつぼにはまってしまうのは、難解な文章よりもこういう一見単純な顔をした表現なのかもしれない。

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