すみません、私の文章は汚染されています!!

この前、卒論を提出したのち、先生とミーティングをした。僕の提出した卒論原稿の中で修正するべき箇所や先生が疑問を抱いた箇所を話し合った。その中で、何ヶ所か言いたいことを詰め込みすぎていると指摘された。

すみません、それは多分僕の文章能力がYouTubeのコメント欄やTwitterのタイムラインに最適化してしまっているからです。

ここで一つの疑問が浮かんでくる。文章能力がYouTubeのコメント欄やTwitterのタイムラインに最適化してしまっているとはどういう意味だろうか。それは自分の考えていることを文章にする際に、YouTubeやTwitterで好かれる短くテンポの良い形式で書くことに慣れてしまっていて、丁寧に長く文章を書くことが難しい状態のことだ。

その状態の中でも、僕は特に主張を述べるだけに終始してしまい、前後の関係や詳しい描写を書くことができないことに気づいた。なぜそう思ったか。それはこのnoteを書いている際にも全ての段落がぶつ切りだったからだ。ああ、もう病気かもしれない。読み手が理解しやすい長文を書けない病だ。

「ここで一つの疑問が浮かんでくる」も、なんとか絞り出したフレーズだ。本当はもっとスムーズに文章を書きたいのに、名探偵のような語調になってしまう。

ここからはそもそもYouTubeやTwitterで好まれる文章とはどのようなものなのか、なぜ僕の文章はそれらSNSに最適化されてしまっているのかについて考えたい。

まずエックスで好まれる文章とはどのようなものなのかについて見ていきたい。

以下のツイートを見てほしい。

こういったポストが典型的なSNS映えする文章だと個人的に思っているものだ。全体的になんか足りない。根気強く書けば「笠原桃奈の歌からは表現力と歌唱力の両方を感じる。彼女はまるでミュージカルの主人公のように歌に潜むストーリーを表現し、聞き手の感情を激しく揺さぶる」などと書けそうなのに、「ミュージカル一本見たみたいなエモーショナルある」になってしまっている感じ。

あと多分ほんとうにSNSに最適化された文章っていうのは言いたいことをちゃんとギュッと凝縮する能力も持ち合わせているのだけれど、僕の場合はギュッとすることが先立ってしまい、肝心の言いたいことを全部含めることができていない。だからおかしなことになってしまうんだと思う。

これってもはや文章を書くときだけじゃなくて喋る時にも影響を及ぼしてそうだなと思う。ギュッとしすぎて何言ってんの感。何言ってんの感とか普段の会話でも俺言ってんじゃないのって思って怖くなった。

あと普通に桃奈すごいよね。本当にデビューして。僕は飯田しずくに全ブッパするから。

YouTubeやTwitterでは長文は好かれない。できるだけ良いテンポで自分の言いたいことを表す必要がある。俺の文章、ネットに最適化されてて草

ここからは僕の文章がSNS文法に則ったものになってしまった理由を考える。

なぜ僕の文章が汚染されているのか

文章を書く際の報酬システム

もはやこの13文字で済ませたいくらいにはちゃんと自分の言いたいことを書くのに慣れていないのだが頑張る。

Twitterでは「いいね」という報酬システムがあるのに対して、長い文章を書くプラットフォーム(noteや日記)にはそれがない。もちろんnoteでもいいねはつくのだが、それは少数だ。多くて10、全くいいねがつかないこともざらにある。

いいねがつくと嬉しくなる。ただの数字、ただのタップ、ただの電子的な反応にすぎないのに、心は踊り、草木は生い茂り、川は流れる。そしていいねがついたことに嬉しさを感じるともっといいねが欲しくなる。そうするとTwitter上でバズっているツイートを真似するように、それらしい文章を作りツイートするようになる。それを繰り返しているとTwitter文法を身につけ、大量のTwitter文を生産することになる。

逆に長文を書いてもそれほど嬉しいことはない。たいして褒められず、心は踊らず、工場からはガスが排出され、地球は温暖化していく。

この状況で誰が長文を書きたくなりますか。少なくとも僕は書きたくないです。

僕がこれだけ「僕の文章はSNSに最適化されている」と書いているので、おそらく今読んでいる人の中には「この人、そんなにSNSでバズってんの」と思っている人もいるかもしれないが、別に僕はバズっているわけではない。ただのツイ廃です、すみません。

報酬システムに関して主にいいねを取り上げたけれど、もっと大きいのはnoteよりも他のプラットフォームの方が規模が大きいことも大事な要素だ。

プラットフォームの規模が大きいほど、より多くの人に承認される気がする。以上!!!!

インプットの質

これは単純に小説やエッセイなどの長文よりもツイートを多く読みすぎているということだ。

ひどい時には3時間くらいぶっ通しでXを見ている時もある。どんなポストが流れてこようとかまわない。ただ文字がポっと新しく流れてくれば、それで申し分ない。ドーパミンに頭が占領されている。

終わりに

この時点で2000字くらい書いている。それでもまだ言いたいことが詰め込まれているが故に読みにくい文章が散見されると思う。こればかりはすみません。私の文章が汚染されているからです。

買いたい本を買うために使います!!