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モリミュ Op.5 最後の事件 感想

現地の熱をそのままに書き殴ったら6000字越えました。長い。パンフ含みネタバレしかない。
役者さんの感想というよりも、思ったこと中心の感想文。

憂国のモリアーティ Op.5 最後の事件
メルパルクホール大阪 26日ソワレ

モリミュってすごいね!橋落ちで3時間かかると思っていなかったけど、丁寧に物語を紡いだらそれくらいかかってしまうんだなと実感させられた。作ってくれてありがとう。

印象に残った場面とその感想

冒頭

いきなりアカペラから始める勇気と鈴木勝吾への信頼感がすごい。開始1秒で精神を病んでいるウィリアムがお出しされて沈黙した。

Op.1~4 ダイジェスト

今までのモリミュわんぱくセットで倒れるかと思った。そんな高速でお見せされたら心臓持たない。改めて見るとウィリアムとシャーロックって本当に会っている回数が少ない。イマジナリーミルヴァートンとホワイトリーが登場して懐かしくなったし、大袈裟に回転するミルヴァートンは絶対遊ばれてるなと思った笑
全員曲、時は来ただったかな? Op.3 最後のはじまり、Op.4 運命の車輪は止まらない、と来て遂に時は満ち、最後の時を迎える覚悟と、今更変えようのないどうしようもなさを感じた。

メインテーマ

ウィリアムの「地獄はもぬけの殻だ、全ての悪魔はここにいる。」が過去のどんな公演よりも辛そうに歌っていて、制裁を加えるヴィランより、自分に言い聞かせているよう。シャーロックがOp.1~4と比べて、自分の手を汚し、罪を負い、これからウィリアムに対してどう抗っていくか、という葛藤の中にあるからか、しっとりとした歌い方だった。謎を追って楽しむだけの時間が終わってしまったんだなと少し寂しくなった。今までのメインテーマは最後にウィリアムが合図をすることで締められていたけど、今回はなかった。もはやウィリアム1人で指揮を取れる行程ではない。シャーロックとウィリアムの2人が向き合い、下に強く拳を握りしめている所で物語の中核が2人に変化することを教えてくれた。

1幕のウィリアムについて

ずっっっとしんどそう。ただ、まだ公演3日目ということもあって演技が煮詰まっていない印象を受けた。亡霊に取り憑かれるウィリアムの苦悩は確か4回あるんだけど、それぞれの苦しみの違いが伝わりづらい、同じレベルのしんどさがずっと継続している感じで、1つずつの印象がぼやける。次第に希死念慮が強くなっていくのか、それともずっと辛いままなのか等の解釈によって分かれると思うけど、個人的にはせっかくの複数回ある同種の演技なんだから差別化してくれ〜!と思った。東京公演に期待。
亡霊の中に、お母様と実弟ウィリアムがいたのが嬉しかった。今まで殺してきた貴族のことは勿論だけど、三兄弟のスタートラインでもある2人の殺人をウィリアムが悔いているのが良い。観客の側から見ればOp.1の三兄弟の歌で勧善懲悪のような描かれ方をされているから、そんな悪い奴死んでも仕方ない。みたいな取り方をしていたんだけど、結局それは市民や、またはフレッドのような人での受け取り方でしかなかったんだなと。ウィリアムの心の奥底にはその後悔と罪の気持ちがずっとあったと演出で暗示されて、まさに集大成だなと感じた。

以下2幕、この感想は8割2幕の話をしています。

アルバート、ウィリアムとゴルゴダの丘について

アルバート兄さまが登場する度にゴルゴダゴルゴダ言ってたから、絶対坂登らせるだろうし、その為に舞台セットに坂があることに気づいた瞬間ニチャア……!!しちゃいましたよね。本当に登った、しかも罪の衣着きで。これに関しては罪の衣大好き人間としてありがとうの気持ちでいっぱいです。確かイエスは十字架刑に架かる前に13個の試練を乗り越えないといけないんだけど、それがウィリアムの貴族殺しの姿と重なって見える。そして、アルバート兄さまのモリアーティ家爆破のシーン。Op.4のウィリアムソロと同じく赤の布をアンサンブルの方々が使用していて、この2人は本質的に同じ罪への自覚を持っていることを提示されていると思った。

221B来訪と手紙のシーン

221Bにやってくるウィリアム、原作はシリアスな表情だったと思うけど、ミュージカルでは重い空気でありながらも2人の友情を確かめる雰囲気に変化していて暖かい気持ちになった。「このジェームズ・モリアーティの物語を終わらせてくれるかい?」のセリフが、少し演技じみていて、自分で発言した後に苦笑するウィリアムとそれを眺めてニヤついているシャーロックの空気感に、Op.3一人の学生と同質の印象を受けた。その後の「こちらへどうぞ?」と冗談めかしてウィリアムを安楽椅子へと案内するシャーロックの態度も、悪ふざけしている友人同士にしか見えない。この後の展開を思うと辛くなった。
手紙を読み上げるシャーロック。イマジナリーウィリアムが、シャーロックのすぐ後ろに座っているのが切なかった。座り方もちょこんってしゃがみ込むような感じで、客席から表情は見えない。だけど、ちょっとした距離感で親しみを感じさせる所が、演技の密度が高いなと思った。

憂国のモリアーティは誰の話か?

今まで語られてきたけど、そんなに重要視されてなかったモリアーティ陣営の残された側の細かい心情の動きであったりだとか、 アンサンブルの方による市民がどう思ったのか とか、そういうのを歌にして、すごい丁寧に書いてくれていた。全てが納得いくわけじゃないんだけど、「これは書こう」と努力してくれたこと自体がありがとう。
思えば、最初からモリミュは市民の話だったと気づかされた。橋落ち後にアンサンブルの人とモリアーティの残された側の人たちが歌って、そのアンサンブルの人がそこに被せて大英帝国のリプライズを歌ってくれて、感動した。Op.1のM1で絶望的な嘆きをしていた市民がモリアーティによって希望をもらって短調→長調に変化している。この大英帝国という言葉自体が原作にあったか分からないけど、物語の回収として美しいなと思った。明確に1個ピリオドが打たれたなっていうのを感じた。めっちゃ王道のやり方だけど、憂国のモリアーティという作品がミュージカルになってよかったと思いました。

ジョンとシャーロックの友情について

ジョンくんは素晴らしい人ですね。いい人すぎる。 真人間のジョンくんがシャーロックを支えてくれている。ジョンくんが友人として、シャーロックの背中を押してくれてるかっこよさだったりだとか。それに感化されて、シャーロックがどんどん、どんどんかっこよくなってる。最初の頃の薬中のやべえやつっていうのを抜けて、人のことを理解しようと、人の心を救おうとしてるかっこいい人がただただそこにいた。
シャーロックのことは結構Op.4で打ちひしがれた様子だからこそ、Op.5は不安だった。1幕のダイジェスト、ミルヴァートン殺害の場面でもシャーロックが精神的にダメージを受けて過呼吸のようになっている所があり、本当にこの人はウィリアムを助けられるのかと、ドキドキしてた。
でも大丈夫だってジョンくんが教えてくれた。ジョンくんの自分が愛されていることを自覚し、人を愛せのメッセージ、人間が出来すぎている。そのことに気づいたシャーロックなら、ウィリアムのこと助けられるって思った。そこから、すごいかっこよくて、圧倒的光の主人公だった。
最後のベンチのシーン、ウィリアムとシャーロックが、青い空を一緒に見上げるっていうところが、ジョンとの友情でこの空の下と歌っているのと繋がってるともとれる。

橋落ちについて

まさかの!主演2人が客降り!!?

上手側の席だったからウィリアムさんが近くを通り過ぎて行った。弱い光に照らされて帽子と外套の合間から覗く横顔が美しい。

帽子を脱ぎ、シャーロックと戦い、外套を脱ぐの過程がどんどん隠しきれないウィリアムの悲痛な死への欲求が顕になっているようだった。

この演出で来るかー!という感覚。坂と段差を利用した見せ方が上手い。平野さんの細腕でムキムキ鈴木さんを支えられるかやや不安だったんだけどこれなら大丈夫。

役に戻った話をすると、ウィリアムが落ちた時、死者の亡霊が身体にまとわりついていた。本当はシャーロックのもとに行きたい、生きたいけれど、自分の犯した罪=死者の亡霊がそれを許してくれない。というような葛藤を感じた。

落下時の演出についてはもうそうするしかないよね、という印象。思い描いていた構図とほぼ一緒だったので個人的には納得です。ただ橋落ち自体初見の人にはちょっと分かりにくいかもしれない。逆さ吊りにする訳にもいかないし難しいよね。

死者に取り込まれそうになっているウィリアムの姿がキツい。揺らめく布や顔にまとわりついていく亡霊たちの手が、今までよりも更に強い力になっていて、ウィリアムの周りを囲んでいる様が地獄の入口のように見えた。それでも、必死に呼びかけるシャーロックの声に惹かれて、自力で抜け出した時のウィリアムの人間的な強さ。舞台中央で向かい合った二人が、手を伸ばすんだけど、シャーロックは勿論ウィリアムからも手を伸ばす演技だったのが良かったな。むりやり生かされたのではなく、ウィリアムが自分自身の意思で生きようとしているのが分かった。

お互いが手を伸ばして相手に触れた後、シャーロックが「やっと捕まえた!(要約)」って言って笑う場面、シャーロックの笑顔が無邪気な子どものようで泣いた。その笑い方がOp.3の一人の学生の時に見せた笑顔とそっくりで、壮大な鬼ごっこの終幕にふさわしい表情だったと思う。そのまま着水寸前にウィリアムの頭をガって掴む、その掴み方が結構ガサツな感じでこれぞ俺たちのシャーロック・ホームズ……

Op.5全体のテーマとモリアーティ陣営それぞれの生き方

全体のテーマとして「生きる」だったなぁと思います。残された人間がどう生きていくのか。

アルバートの生き方は、個人的に共感しうるものではないけど納得のいく決意だなと感じた。Op.3「共に重き荷を負いて」くらいからこの人もウィリアムと同じく自分がやってきた罪に対する道義的責任を強く感じている人だと思っていた。だから、あなたならそうするでしょうね。という彼の中の信念とその構造が丁寧にOp.5で説明されたなと思う。ウィリアムが死にたがっていること、そして死は救済であることを理解した上で自分はより辛い道を選ぶという、ウィリアムには出来なかった選択を自ら進んでやる姿、ケジメの付け方がかっこいい。

ルイスは、天才的な頭脳を持つ兄さんに対する負い目がずっとあったことを告白する場面が良かった。兄弟的な想いの強さはOp.1~5を通してずっとあって、それ故に従順なモリアーティ陣営の構成員でもあったと思う。でも、最後の事件ではウィリアムの意思に反することをして、最終的に自分のエゴに走る所である種の反抗期と親離れならぬ兄さん離れをしたなと感じた。ルイスはOp.5を通してすごい成長したキャラクターであり、大人になったんだなと思わせてくれた。

モラン、彼は最後の事件においてかなりしんどい立ち位置にあると思う。ルイスやフレッドとは一線を画して、徹底的にウィリアムに忠誠を誓っている所。そして、ウィリアムの為に命を捧げてきた故にこれからの人生に対する明確な答えは出せていない。他のモリアーティ陣営の人たちは多少なりともこれからに目的と光を感じていたけど、モランはウィリアムのいない世界でどう生きるかの答えは見つけていないまま。劇中でもウィリアムからの「生きろ」というメッセージに戸惑い、それでも主君の命令に従う姿でしか描けなかった。彼がこれからどう生きるかは課題として残っている状態で幕を下ろしたOp.5、次の話でやってくれ……

ジェームズ・ボンドとアイリーン・アドラーシャーロックへの信頼と期待を託す想いに泣きました。Op.2を思い出しつつ、アドラーはシャーロックのこと大好きじゃん!と確信した。ウィリアムもシャーロックもアドラーにとっては命の恩人で、大切な人たちだから、いつも明るく表情をしているけど本当はウィリアムが病んでいくのを見るのも辛かったんだろうな……。ボンドの演技の時はウィル君って呼んでるけど、アドラーに切り替わった時にウィリアム様と呼び分けているのが尊敬の念もありつつ、彼女が元舞台役者であることを連想させられた。橋落ち後の市民の歌で、市民が犯罪卿が死に、喜んでいる姿、そしてウィリアムが作りたかった美しい世界を見ている時のボンドの表情が印象的。一挙手一投足に踊らされる市民に対して冷静で俯瞰した目を見ているような気もしたし、アドラーが作りたくても作れなかった世界を変えるという偉業をウィリアムがやってのけたという尊敬と少しだけ悔しさが残っているような気もした。

フレッド正直に言ってこんなに表に出てくるキャラクターだとは思っていなかった。というのも今までのストーリーでは影の諜報役として活躍することが多かったから。手紙のシーンは勿論あると思っていたけれど、これからの生き方がこんなに丁寧に描かれるとは予想外だったな。ウィリアムが他のモリアーティ陣営の人に比べてフレッドを子ども扱いしてるようにも見える。フレッドの純粋で、ヒーローとしてウィリアムを見てる姿はウィリアムにとってそんなことないと思っているし、フレッドには自分よりももっと美しい人が生きる美しい世界があることを教えたいようにも思えた。

ラストシーンについて

ベンチのシーンを入れてくれてありがとう!色んな意見があると思うけど、私はとても納得しました。というのも、その前のモリアーティ陣営の生きるの歌(仮)から、この作品のテーマは「生きる」だと思ったし、それを語るにはウィリアムのこれからについて描く必要があると思ったから。

これはパンフネタバレになるんですが、西森さんが「橋から落ちるための物語じゃない」って言ってたの凄く核心をついているなと思いました。ついつい物語的な見所である橋落ちに注目してしまうけど、それなら憂国のモリアーティはウィリアム・ジェームズ・モリアーティの物語である必要はまったくなくて、単なる犯罪卿の物語であればいい。でも、1幕から描いてきたウィリアムという一人の青年の人間くささや、悪役になり切れない心の弱さを描いているから、このラストシーンに繋がる。犯罪卿という役目を終えた一人の青年が、これからどう生きるのかを語る場面を、しっかりと作ったからこそ、希望に満ちた物語になったと思う。

勿論、市民の短絡的な反応やモランの行く末など課題が全て解決された訳じゃない。だけど、私はシャーロックの言葉に救われた。「白紙で結構!」直ぐに答えを出すことは出来なくていいし、迷って生きていてもいい。きっとモリアーティ陣営の人たちが決断力に優れている人間だから、どうやって生きるべきであるかを決意する時間が短かっただけで、世の中の大多数の人間はどう生きるかなんて決めきれないままだと思う。
そういう意味では、私のような観客に向けてのメッセージとしても受け取れると思った。答えを決めきれなくても、シャーロックのようにそこに自分が存在することを肯定してくれる人間がいることって素晴らしいな。

そして、シャーロックのこの言葉はOp.5までの過程を進まないと辿りつけなかったと確信した。かつての謎を追い求めていただけの探偵はもうそこにいなくて、自分が愛されていることを自覚して人を愛すことを学んだ人間になっていると思った。

ひとまずのまとめ

モリミュってすごいや!!!めっちゃおもしれぇ……Op.5をミュージカルにしてくれてありがとう。演技も歌も音楽もとてもとても良かったです。ただ私が観たのはまだ開幕3日目なのもあって、煮詰めていけそうな余白がたくさんあると思った。東京公演でよりレベルアップしたモリミュに出会えることを期待しています。無事に完走してくれ〜!!


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