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アラバスター1万字感想

美と狂気と音楽に満ちた怪作。

2022年6月25日〜7月3日にかけて東京芸術劇場プレイハウス、7月10日に大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて上演。
7月25日〜7月30日にかけて映像配信。
そして、9月下旬音声のみを収録した実況版CDが発売された。(これは完全受注生産なので二度と購入者が増えることはないああ無情)

現地で一度、配信で二度観劇した。
元々矢田悠祐さん目当てで行った公演だったけれど、観終わった瞬間から今までずっとアラバスターの世界に取り憑かれている。
巧妙な脚本とエネルギッシュな音楽、そして恐ろしい程の熱情をぶつけてくる役者たち、どれをとってもこれだけの力に押し流される作品は中々出会えないんじゃないかと思う。

今回は、初観劇の際の自分の感想文から配信やCDを鑑賞した時の乱文等々、そしてここ数ヶ月アラバスターについて考えたことを改めて纏めることにした。

アラバスターとは

手塚治原作の舞台、ミュージカル。

とある時代の日本。人や動物が透明あるいは半透明にされる奇妙かつ無差別なテロルが蔓延っている。正体不明の、まさに見えない敵であるテロリストは、ただ自ら名乗りを上げて大胆に犯行声明をぶちまける。
その名はアラバスター。黒衣の下に半透明の身体を隠す男。アラバスターの仲間には眼球以外は透明な肉体を持つ少女・亜美がいる。

謎めいた存在のアラバスターと亜美を中心に、愛憎に翻弄され、運命の渦に巻き込まれていくのは、亜美に思いを寄せる少年ゲン、亜美の養い親である元検事の小沢ひろみと力仁(通称カニ平)の親子、そしてアラバスターを追う冷酷無慈悲な捜査官ロック。

まだ偏見と差別に満ちた世界に、「異形」に生まれたが故の懊悩が価値観や美意識に対する反逆となり、やがては苛烈な攻撃へと転じ、狂気に蝕まれた悲劇へと暴走していく。
―――アラバスターの哀感に溢れた挽歌が、いま慟哭のように深く鳴り響く…。
https://musical-alabaster.com

脚本・演出
荻田浩一

音楽
奥村健介

出演
宮原浩暢(LE VELVETS)/古屋敬多(Lead)、馬場良馬/治田敦、田村雄一、遠藤瑠美子、穴沢裕介、岩橋大/矢田悠祐、AKANE LIV/涼風真世

初回観劇感想

※この先気の狂った人間の叫びが多々見受けられると思いますが、どうぞ生温かい目でご覧ください。
※ロックの話が9割

席、近い。センター5列目は近いよ。4回くらいロックと目合った嘘じゃないもんほんとだもん。

ロックの衣装。1幕中頃まで。黒地に白のストライプスーツ。白いトレンチコート。黒革の手袋。中に茶系の花柄の裏地が入ってる。銀色のネクタイ。登場した時はサングラスにハンチング帽、かっこいい兄ちゃん出てきたと思ったわ正確には性悪だったわ。
1幕終わり。お手伝いさんの格好。ゆったりとした白シャツ。黒のサロペット。
お手伝いさんのシーンに続いて。白シャツに黒スキニー。これ一番好きかも。
2幕。黒の革ジャンに革パンツ。黒革の手袋。強そう、でもすぐ負けた。
1人だけ圧倒的な色白で存在感あった。アラバスターの色白は別次元の話だから今は置かせといてね。

正面に来て手ぇ差し伸べるポーズが7回くらいあったんだけどいや近すぎてやばい目潰し?というか肉眼で相手の顔の詳細まで認知できる距離に矢田さんおる現実やば。

敵味方の区別がない作品、というか全員善人ではない舞台だったのでそれぞれの美学のぶつかり合いが楽しい舞台でした。

序盤、時系列大量に乱れまくるので話を理解するのが大変だった。あと音響が今日調子悪い?んでたまにキーンってなってるの気になりましたね。バンドに対して声が負けちゃって歌詞が聴き取れない部分あったので公式から歌詞を出してくれたら大変嬉しいんだがまぁないよな。(CDで一部分かったよ!良かったね!!)

浮世絵のシーン。骸骨のは死の象徴としてまぁ分かったんだけど最後の方のアラバスターやられるシーンと夕日のシーンどういう意味?と思ったらパンフレット曰く元々浄瑠璃にそういう話があるらしくそこは説明不足だなと思いました。パッと見分からない演出で、しかも伝わらないと物語に不都合が生じる系は、身内ノリに近いものを感じるので苦手。

ベートーヴェンの音楽は好きだが牛みたいに潰れた顔は許せないロック酷すぎて笑えてくる。この下りの前からずっとテンペスト3楽章流れてた。微妙にアレンジしてメインテーマと繋がるようになってた。聴いてて楽しい。あと亜美がファションショーを襲撃するシーンかな?シューベルトの魔王使われてた。

ロック顔が良いから僕は美しい!!って言われてもそうっすね!としか言えんよなぁんも文句言えねぇ。今日のロックのメイクは目元に赤入ってて地雷系だった。事実地雷なのは間違いないが。
女優さんとお手伝いさんの場面。お手伝いさん矢田さんかな?って思ったけど歩き方とか顔の下半分がかわいい感じだったからきっとお母さん役の人とかがやってんだろうな。違いましたね、矢田さんでしたね。え?可愛くない??違和感ないどころか気づかなかったんだけど??華奢で小さくて可愛い子やなって思ってた...白シャツの上に黒のサロペット似合ってるもう勝てん。

ロック生き生きしてた、ずっと生き生きしてた。美しくないと意味がないんだよ!僕は世界で一番美しいからな!!!
亜美にペンキかけるシーンヒャッハー!!!なってて楽しそう。
あれは前衛的な一種の芸術でしたね、じゃねぇんだよ。ユニークな皮膚でもないんだよおい。
お兄ちゃんに顔殴られてやり返してる時の足の高さ、容赦の無さ。おめェ過去に前科あるだろっていうタイプの手馴れ具合。眼球落ちるんじゃないかってくらい目かっぴらいてお兄ちゃんを上から睨みつけててはい最高でしたね。白目の内の毛細血管まで見えた。

全裸恍惚シーンどうすんのかなと思った。正解は上半身裸の映像を壁に投影し、本人はネクタイを緩めシャツのボタンを2つ外すでした!キモーーー(褒め言葉)勿体ぶってジャケット脱いで、ポーンって放り投げる辺りからだいぶナルシストでキモかった。

ロックによる美しさのためのワンマンロックライブ
顔にかかった前髪をフンっ!て顔を上げて振り払う仕草よかったな。ポッケに手突っ込んで片足を手前に出して曲げてる姿、横顔が彫刻。

この人こんな無茶な方法してたら絶対死ぬだろうな、終わったなと思ったら死ななくてビックリした。でも生きながらにして己の醜さと付き合っていく方が彼にとっては惨いのかもね。
亜美ちゃん「いいえ、爆弾を仕掛けたのはロックです。」にアラバスターがやけくそになって仕掛けたのはどうでもいい!!と叫ぶシーンめっちゃ笑ってしまった。ごめんねぇうちのロックが...

亜美のイマジナリーダンサーさんかっこよかった。目隠れなの誰の趣味?黒のワンピースで前が短くて後ろにフレアかけて長くなっていくシルエット良き。ほとんど出ずっぱりでヒールであんなに踊れるの凄いな..

カテコ、2回目で矢田さんが微笑みながら微妙にお辞儀してくれたの嬉しかった。ちょっと歩いてまたお辞儀してくれてありがとう...
亜美さん梅雨明けお知らせありがとう笑
水分補給するね!亜美でしたーー!可愛かったよ

観劇後2時間くらい経ってやや落ち着いた感想

矢田さんハマり役だった。ある意味一番テーマに関わる役なので、どれだけそこに厚みを持たせられるか、に凄い責任があると思うのだけれど生き生きとした迫真の演技、気持ち悪かったです。褒めてます。生理的に無理なので関わらないで欲しい、というよりかは「こういう人間」が成立してしまった以上あぁそんな考えもありますよねで受け流したくなる感触。でも、そんなに矢田さんと脚本は優しくないので容赦なく思想を押し付けて来ます。はは!お前イカれてんなぁ!で躱さないと暫く重たい気持ちになる。
美貌が命の役。文句の付けようのない顔面。腹立つわ〜
外見は整っている、でも中身が醜い人間かといったらそうではないと思う。誰よりも真っ直ぐでやると決めたらやり通すタイプのキャラクター、これも一つの美学よね。

3ヶ月間熟成した役別感想

アラバスター/宮原浩暢


主演として、座長として、この人がいなければアラバスターという舞台そのものが成立しなかっただろうなと思う。声量が桁違いに素晴らしい。現地で感じた以上に、CDで聴いた時の衝撃が凄かった。吐息や発音の一つ一つが聞き取りやすく、子音を含めて、言葉って言葉としての発音的な意味を持つのだなと思った。藝大声楽科出身ということで、クラシカルな歌を学んでこられた方ってやっぱりこういうミュージカルに出演した時にも如実に力の差が出てくるんだなあと感心しました。声質もいい。地の底から這い上がっていく亡霊の怨みがましさが作り込まれていてかっこええな〜!
素朴な疑問なんだけれど、シューベルトの魔王が使われた時の声って宮原さんなのかな?

亜美/涼風真世


一切舞台上に姿を見せないプロフェッショナルっぷりを魅せた涼風さん。初日はこの表現方法によってかなりの方々が動揺されましたが、実際に観に行くと有無を云わさぬ実力で圧倒された。運営に言いたい事はたくさんあったけど、何よりも先にこれだけの難役を務めてみせた涼風さんに拍手を贈りたい。
姿形のない透明人間の役ということは、表情や動作による演技が全くできないということ。ではどう役者は演じればいいのか?もはやそれは声優ではないか?こんな疑問を涼風さんは打ち破ってくれてめちゃめちゃかっこよかった。
だっているんだもん、そこに亜美が。
1幕の閉ざされた空間に育ったために精神的に幼い亜美、回想シーンの舌っ足らずに言葉を紡ぎ、純粋に”普通”とは何かを問う亜美、ロックに暴力を奮われ泣き叫ぶ亜美、etc…
物語を通して様々な表情を見せ、成長し、達観したが故に静かに散っていく透明人間の亜美は、確かに舞台上にいた。
声優って姿形が何かしらの形で存在する前提で演じられるものだと思う。でも亜美は具体的な形は存在しない。それでも生き生きとした演技を届けてくれる。涼風さんはどこまでも舞台役者だなと思った。繊細で透明な演技をありがとう。

亜美の影/穴沢裕介


或る意味、裏主人公だったのかもしれない。亜美の影は亜美であり、亜美ではない。影だから直接何かを話せるわけでは無いし、この演じ分けがかなり難しかっただろうなと思う。事実、これは演出側の都合もあったのか、実際は亜美の本体がやるべき動作も兼ねていることが多かった。なので、亜美の影役と表現するのは間違っているかも、亜美にまつわる心情及び身体的動作表現役みたいな、長いか。
穴沢さんは2時間の舞台のうちほぼ全シーン出演されていて、しかも激しいダンスシーンがかなりあったので体力よく保つなと思った。ターンのキレの良さ、のけぞる際の軸のブレなさ、ダンサーさんの演技でしか観られないものをたくさん観せてもらった。
最初に観劇した時、パンフレットを見るまで男性の方だとは一切気がつかなかった。むしろ女性的なしなやかな動きが多く観られたので、女性のダンサーさんであると信じて疑わなかった。自分が如何に「見た目」に囚われているのか、そして如何に、目の前の人間がそのカテゴライズを軽々と飛び越えているのかを痛感させられた。これは演出の罠に見事にハマりましたね。
このことは、透明人間が美しさを問うという舞台全体のテーマからしても観客に直にテーマを感じさせる上手な配役であったな、、と痛感した。

ゲン/古屋敬多

悪に成りきれない悪。常に人生迷っている若々しい青年を古屋さんが等身大で演じてくれた。ゲンのキャラクター自体、個人的に嫌いにもなれないけど好きにもなれないというか、弁護士さんを殺してしまうあたりはそれなりに責められる部分もあるけれど、心のどこかで彼の良心を信じたくなってしまう場面もあり、もどかしい役だなと感じた。1幕の表意的では無いけれど滲み出る亜美への好意が可愛らしかったので、2幕クライマックスの死にゆく中での告白は少し切ない。このシーンはかなり切迫した環境だったけれど、まるで時間が止まったかのように声を絞り出す古屋さんの演技は説得力があった。でも銃を持って犯罪行為とか沢山しているので同情の余地はないな。まっすぐな声の方だったので、若さ故の純粋さみたいな成分も感じてしまって、もしかしたらもっとまともな道で生きていく方法があったのかな、といった想像を広げてくれる歌声の持ち主だと思った。

小沢力仁/馬場良馬

力仁とせっかく現代風の名前に改名したのに、結局周りからカニ平と呼ばれるカニ平くん。掛ける言葉を常に間違う人。よくいる善人でありたいと思っている人を救済するのが下手くそな人。馬場さんの、亜美を見ていそうで実は自分が亜美の目にはどう映っているのかばかりを気にしている「優しい人」演技が良かった。回想シーンで「亜美は普通じゃないんでしょ?」と尋ねる亜美に「亜美にはお母さんだってお兄ちゃんだっている、それでいいじゃないか!」と論点をずらすカニ平の必死さ、観劇している最中はそんなに気にならなかったけれど、後々思い返すと悍ましい場面であったなと思う。ゲンとセットで歌う場面も多く、それなりに真っ直ぐそうに見えて微妙に本質からズレているところにゲンと同じく憐れさを感じた。

ロック・ホーム/矢田悠祐

Mr.ロック!!!矢田さん目当てで観に行ったこの公演、紛れもなくハマり役だった。2.5の印象から入ってしまった為に、観劇前までは他キャストの経歴を鑑みてやや不安だったのだけれど、見事に打ち砕かれた。どうしても声量だったり発音は劣ってしまうが、それを補って余りある怪演を魅せてくれた。胡散臭いナルシストって少しでもやり過ぎてしまうとシリアスな舞台から浮いてしまうし、役柄上、登場人物の中で最もビジュアルに注目される立場であったと思う。微妙なバランス感覚での演技と、持ち前の見栄えの良さが相互作用して、非常に心に刺さる「ロック・ホーム」が産まれた。
特に印象に残ったのが声色の変え方。ロックは無邪気な残酷さと、性悪なナルシストの二面性を持っている。1幕後半の亜美を拳銃で射った直後のシーン。「どこに行ったあ!?」の凶悪な暗いトーンの声色から「血の跡で分かるぞ」に変わった瞬間。ダンゴムシを丸めて遊んでいる幼子を見た時の、倫理観の欠如に似た感触を味わった。あえて気軽な口調で言うことで、観客にかえって恐ろしさを感じさせる手法。言葉にして書き起こすのは簡単であるし、実行するのもそんなに難しいことではない。しかし、この一連の動作に説得力を持たせられるかは役者の腕次第だ。これからの演技が楽しみな俳優であると感じた。
声質も役にぴったりだと思う。女装を行なった際にも殆ど違和感を持たないほどの甘い顔立ちでありながら、意外にも低く艶のある歌声は「ロック・ホーム」という人物の外見と内面の歪なギャップ、過激なまでの凶悪なナルシズムをもたらすのに非常に適していた。2幕のロック歌唱シーンなどはその典型例だ。酷い内容を歌った歌詞でありながら、どこか観客がロックに惹かれてしまうのは、矢田さんの持つ演技力、カリスマ性の賜物であろう。

小沢ひろみ/AKANE LIV

この人に悲劇のヒロイン役をやらせたら誰も勝てないんじゃないか。「黒執事」の舞台でもAKANEさんの演技を拝見したが、高く伸びるソプラノ、舞台映えするお顔立ち、そして何より感情を取り乱した表情の上手さが際立っている。「亜美!何処にも行っちゃ駄目よ!!」のある種独善的な母親像は、今までの先入観から来た可哀想な検事さんという観客のイメージに違和感を抱かせる発言、演技であったと思う。より正確に言えば、私自身、最初の観劇の時には特に疑問を持つことはなかった。しかし、何度も物語を思い返すうちにこの小沢ひろみの発言がどうにも胸に引っかかるのだ。何故彼女は泣き叫びながら亜美を引き止めようとしたのか?母親の愛情などという言葉で片付けるには、酷く歪んでいるような気がした。そして、それだけの思考の余地を与える演技をしてくるAKANEさんの技術は素晴らしいと思った。小沢ひろみもまた、純粋な善人ではないのだろう。
そして、小沢ひろみ以上に記憶に残った彼女の役がある。それは2幕終盤、恐らくアラバスター配下の名もなき女性の役だ。AKANEさんの力強い歌声が会場いっぱいに響き渡り、正直それまで大きな恐怖にも感じていなかったアラバスターという集団が途端に強大で魅力的な組織に見えた。最後まで輝きを失うことのないファルセットはこの舞台全体の中でも聴きどころの一つだろう。

八橋令子・亜美の母・モデル・ウェイトレス/遠藤瑠美子

かなり多くの役を演じてくれた遠藤さん。物語の第一声は彼女の歌声から始まった。ある意味、世界の立ち上がりを担う重要な役どころだと思う。遠藤さんの歌声で始まって本当に良かったなと感じる。彼女の色気のある”大人”な声は裏手塚とも言われるダークな世界観を演出し、これから起こる悲劇の数々を慰めるように聴こえた。
個人的に好きだったのが、モデルの役。「私は美しいものを憎む」に「私ーー!?」と即答して困惑する姿は、重く苦しい物語の数少ない笑いどころであった。このモデルは事件が起こってからほぼずっとキャアキャア言っていていたり、ロック扮するお手伝いさんの手をとって逃げるシーンがあったりなど可愛らしい様子が多々見られて良い清涼剤になっていたと思う。

刑事・神父・弁護士・警備員/田村雄一

重みのある役者さん。序盤に主人公の光線を浴びる前の姿としても出演。一挙一動に重力を感じるというか、舞台空間上の質量を上げていくような演技をする方だなと思った。観劇後の後味の悪さ、腹に石が溜まったかのような気の重さの原因半分は田村さんのせいです、多分。総出演量でいったらそこまで多くない筈だが、確実に記憶に残されていくタイプの役者さんだと思った。劇団四季で活躍なさった後、様々なミュージカルに出演なさっているベテランさん。

2022.10.1追記
ごめんなさい、前主人公の役を演じられていた岩橋さんと田村さんを混同して感想を書いてました。読者さまのご指摘ありがとうございます。訂正してお詫び申し上げます。

男・ウェイター/岩橋大

実はこの方がカンパニーの最年少メンバーだと知った時の衝撃。はやくも貫禄が漂っていますね。
アラバスター前の主人公として、宮原さん演じるアラバスターへの系譜を感じさせる喋り方や、激情家な性格など細やかな演技が各所に忍ばされていて、改めて面白いなと感じる。

老人・老刑事/治田 敦

治田さんの歌い方がとても好みでした。グルーブ感に優れていて、1幕序盤のMr.ロックの歌を歌っている時の高揚感はこの老刑事演じる治田さんのおかげだなと、CDを聴いていてもしみじみ感じる。
バイプレーヤーの良さを実感した。物語の全ての元凶でもあるマッドサイエンティストの役を、イカレ具合はメーター最大のまま、コミカルに、シリアスに、そして何より楽しそうに演じられていた。「ハッ!くだらない」の声の裏返り方がこの世界の摂理や社会のルール全てをぶち壊すんじゃないかと思うくらいの軽々しい狂気を孕んでいて怖かった。


どの役者さんも素晴らしく魅せてくれた。
それぞれに異なる良さがあって、キャスティングに不安を感じるどころか、安心と期待に溢れた演技をしてくれた。またいつか、この役者さんたちで舞台を見られる日が来たらなぁと望んでしまう。


舞台装置としてのロック・ホーム論ー脚本を通してー

ところで、これまでの文章で一回も「美しい」という言葉を使っていないことに気づきました?何でかって?それは今作のテーマを思ったら「美しい」なんて軽々しく使える言葉じゃないからさ!!

この項目ではタイトルにもある通り、ロック・ホームを主軸におキ、彼の存在を一つの進行上の舞台装置として見た時、原作と舞台で異なる点、脚本や演出について感想と言及を行っていきたい。恥ずかしながら私自身は原作未履修なので、原作履修済みの友人にヒアリングしながら推測で語る部分が存在する。了承いただきたい。

まずは原作のあらすじから。

美しいものを妬む、人間の深い心の闇を鋭く描いたSF犯罪サスペンスです。黒人青年ジェームズ・ブロックは、刑務所で、謎の老人から生物の体を透明にする光線の秘密を聞き、出所後にその光線を浴びました。しかしそのF光線は不完全だったため、ブロックは半透明の不気味な体となってしまったのです。 以来、彼はアラバスターと名乗り、美しいものを憎み、世の中の偽善者や美しいことを鼻にかけている人々を、F光線で次々と消し去りはじめたのです。F光線は、生物が完全な透明になるまで照射し続けると、その生物は死んでしまうのです。一方、アラバスターにF光線の秘密を教えたF博士は、それ以前に、自分の娘を実験台にしていました。娘はその時、子どもをみごもっており、生まれた娘・亜美は完全な透明人間となっていたのです。アラバスターは、亜美に接近し、亜美も自分のたくらみに利用しはじめるのでした
https://tezukaosamu.net/jp/manga/24.html

手塚治公式サイトの紹介を見る限り、本来アラバスターとは本来SF犯罪サスペンス、そしてアラバスターという男の復讐劇であるようだ。
しかし、私が舞台を観劇した際に最も感じた物語上のテーマはこのどちらでもない。「本当の美しさ」これがアラバスターのテーマであると考える。これはヒロインの亜美が繰り返し唱える「本当に美しさって何?」や主人公のアラバスターが「本当に美しいものなど存在しない!」に由来し、多様性やジェンダーレスなど「美しさ」の定義が曖昧になっている現代社会に即した内容であると考えられる。

では、どのようにしてテーマの変化が起きたのか?
重要なポイントとなるのが、全3巻に渡る原作と、2時間という限られた時間で物語を終えなければならない舞台の脚本の違いだ。
舞台の為に改変し収縮、または拡大が起こった脚本の中で原作と大きく異なる点、それはロック・ホームの存在である。

構図の変化

原作では中盤からしか登場しないロック。舞台版では彼は序盤から登場する。この変化によって起こったこと。それは観客が亜美を知る際に、ロックを通して亜美を見なければならないということだ。FBI捜査官が調査のために書類を調べ上げたという進行上で、亜美が過去に犯してしまった犯罪を観客は知ることになる。勿論、これはロック1人の視点という訳ではなく、小沢ひろみやゲンなどの他の登場人物の視点も混ざっていく。
ただ、大切なのは"本来存在する筈のないロックが亜美を語る"、視点が増えたことだ。結果、複数の視点から見た「亜美」という登場人物の存在感が強まる。

一方、原作では「復讐劇」が大きなテーマとして存在していた。タイトルにもある通り、アラバスターが主人公なのである。復讐に身をやつすアラバスターは、ヒロインの亜美を誘拐し育てる。憐れな男、アラバスターと犯罪に手を染めてしまう悲劇のヒロイン小沢亜美。そんな亜美を救おうと藻掻くゲン、カニ平。アラバスターを始末するため奔走するロック。いわゆる「巻き込まれ型」のヒロインを救おうとするヒーローという、古典的英雄譚の図が出来上がる。闇堕ちしたピーチ姫とでも思ってくれれば分かりやすいだろう。

【漫画 アラバスターの構図】
アラバスター
亜美  ←ゲン、カニ平の救出努力 

これら集団全体を追うロック・ホーム

しかし、ロック・ホームの早期登場により「復讐劇」のテーマは舞台ではやや薄れることになる。亜美を救済しようとしているカニ平と、立場を近くする捜査側であるロック・ホーム。彼が上記のように、視点を増やす役目を負うことで、ヒロインと英雄の二項対立は崩れた。
亜美と、亜美を対象として様々な感情を持つ男たちの構図がここに生まれる。

【ミュージカル アラバスターの構図】
亜美←アラバスター、ゲン、カニ平、ロック

アラバスター→憧れ、所持欲、劣等感
ゲン→恋心
カニ平→家族的愛情、真実への恐れ
ロック→自分への愛情


もう少し仔細に語ろう。
アラバスターは全編にかけて、透明な体を持つ亜美への憧れがかなり表現されていたように感じる。「君を小さい頃からずっと見守っていた」「お前は女王として君臨するのだ」など所持欲が節々に感じられる台詞が見られるのも、憧れが源流になっていると考えられる。というのも、彼自身の生い立ちや、「私の体は君とは違い不完全な、半透明な姿だがね」と自己紹介の代わりに自分の体が不完全であることを自称する行動等から、己に対する劣等感が強い。そして、アラバスターは亜美の透明な体に憧れ、所持することで不完全さを埋めようとした。

ゲンは恐らく4人の男たちの中で最も分かりやすいが、亜美への恋心を抱えている。死に際に「亜美…君のことが好きだった……!」と告白するほど、またそれまでのいくつかのシーンからも恋愛感情があったのは間違いないだろう。

カニ平、彼は妹としての亜美を酷く愛していたと思う。一緒に暮らした数年間を忘れることなく、亜美を最期の瞬間まで説得し続けた。ただ、カニ平の歪さを感じる部分がちらほらと感じられたことも忘れてはいけない。亜美に友だちがいなくても自身と母が入れば大丈夫だと唱えたり、「本当に美しいもの」に対する明確な答えを彼は出せてはいない。これらの事象から、カニ平は肝心な時に真実から目を逸らす、舞台のテーマから逃げ続ける人であると考えられる。ある意味、鑑賞している我々が逃げ出したくなる、正解の無い答えに対する恐れを代弁した存在と言っても良いだろう。

ロック、美しいものを愛し、醜いものを憎む彼が何故こんなにも亜美に執着を見せたのか。それは「透明」であるからに尽きると思う。醜いものに触れることに耐えられないロックにとって、どんな姿にでも変われる亜美の体は、見方次第で己の好きなように解釈のできる都合の良い存在であったのだろう。結局、ロックは亜美の存在を通して自分の美しさに酔っていただけに過ぎない。

この構図については、「亜美を取り巻く3人の男たち」というテーマでアフタートークが行われていたことからも、取り扱う人数は違うが明らかであろう。

「美しさ」の定義

ロック・ホームが舞台アラバスターにおいて重要な理由二つ目を語ろう。
私がロックを舞台装置であると表現する理由、それは彼が最も「美しいもの」の自己定義を持っているからだ。

舞台上で「美しいもの」について言及する登場人物は、亜美、カニ平、アラバスター、そしてロックの4人だ。
亜美は透明な自分にとっての美しさが分からないと嘆く。
カニ平は一連の悲劇を目の当たりにし、普通とは何か、美しさとは何かが分からず失意のどん底に落ちる。
アラバスター、彼は一番「美しいもの」の理想を語っておきながら、彼の美しさと定義とは実のところ、変動的、受動的、相対性の中に存在するあやふやなものに過ぎない。今あるものの内、グロテスクなものを1000年後には美しいと思わせようなどと言う既存の価値観に身を委ねた思想が、彼の定義だ。(そりゃ革命も失敗しますわ)
ではロックはどうか?彼はオリンポスの神々やその血を引くギリシア人の造形を「美しい」と定義する。ロックの価値基準は何処までも自分の感性が物差しだ。人の価値観に流されることなく、彼自身の中で「美しさ」について絶対的な定義を持つ。

こうして考えた時に、ロック・ホームの存在が物語に一本の軸を通す役割を担っているように私は感じた。誰もが「美しさ」のテーマに悩み苦しみもがく中、主題の芯から一切ぶれず己の理念を貫き通すロックは、物語全体に統一感をもたらす。ある意味観客がロックの思想を「醜い」と感じるのならば、相対的に「美しさ」の基準は固まっていくだろう。そのように、観客の物語への理解扶助、共感を高める働きをしていると言える。

以上の2点、新たな視点を導入し亜美を中心とした物語に置き換えることと、「美しさ」の自己定義によって物語に統一感を与えること。この2つにおいて、ロックは非常に優秀な舞台装置であると言えるだろう。おしまい。


終わりに

つらつらとここ数ヶ月で考えたことを述べてみた。ここに書いてあることは全て私個人の妄想であり何ら根拠のあるものではないので、どうか話半分に楽しんで頂ければ幸いだ。ここまで読んでくれた方ありがとう。では最後に、

ロック・ホームはいいぞーーーーー!!!!!


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