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テンプレ人間

僕が嫌いというか苦手にしているタイプの人が居る。周りの多くの人が言う意見をよく考えもせずに盲信し自分の意見として発言するような人たちだ。僕はこの手の人たちをテンプレ人間と呼んでいる。

テンプレ人間の例を挙げると、「清原は大した選手じゃない」というような人だ。プロ野球ニュースやスポーツ新聞で評論家が言っているのを見てそのような発言をする。あるいは評論家の意見を受け売りしている人たちから聞いた言葉をそのままただコピーして話している。そんなところだ。根拠を聞いてみると「タイトルを獲っていない」というのが主な理由らしい。これも誰かが言っていたから真似して言っている。自分で考えた末の意見ではないのだ。少しでも野球の知識があり、清原選手のプレイを見たことがあるなら「大した選手じゃない」なんて意見にはならないだろう。だいたい、タイトルを獲得できていない選手の方が圧倒的に多いのだ。清原は凄いプロ野球選手だ。あれほど観客を惹きつけるプロはそうそう居ない。見るだけの価値はある選手だ。

「向井理はイケメンじゃない」というのも、テンプレ人間たちがよく言っている言葉だ。女子に多い。何故こんな発言をするのかよく分からない。女子たちの会話を聞いていると、俳優の中で誰がイケメンかという話が始まり、いろんな名前が挙がる中、とってつけたようにテンプレ人間は言うのだ「でも、向井理はイケメンじゃないと思う」。誰も訊いてもいないのに。どうやったらそういう発言をしようということになるのか全く分からない。向井理さんがイケメンじゃなかったら世の中の男子のほとんどは全滅だ。向井理さんはどう見てもイケメンだ。

なぜテンプレ人間たちはこのような発言をしたがるのだろうか。よく考えもせずに周りの多くの人が言っているからといって。
おそらく、他の大勢が言っている意見を真似ておけば嫌われずにすむと考えているのだろう。たくさんの人が言っていることに異論を唱えれば、変わった人だと思われる。それが怖いのかも知れない。他の人と同じ様にしていれば嫌われずにすむ。変な奴だと思われずにすむ。保身だ。

だからといって、よく考えもせずに他の大勢が言っていることをコピーして自分の意見のように主張するのは如何なものかと思う。慢性的にそういうことをやっていると、やがて自分の意見をつくる力が失くなってしまうだろう。自分の存在価値が限りなく小さなものになってしまう。
周りがどうあろうと自分で見て考えて喋りたい。いつもそう思っている。

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