時間について
時間て何なんだろうかと考えることがある。哲学的な意味でもなくて物理的な意味でもなくて、そんな難しい話ではなくて単純に「時間て何?」と考えてしまうことが。みんなはどうであろうか。
僕はSFが好きだから、時間について興味をもってしまうのかも知れない。「時をかける少女」とか「戦国自衛隊」とか日本のSFにも時間を題材にした作品がたくさんある。ひとたび意識してしまうと時間について思うことはとりとめがない。止めることはできるのだろうか、遡ることはできるのだろうか、過去や未来に行ったとして戻って来られるのだろうか、また現在とは異なる時間へ旅した時にもう一人の自分と出くわすことはできるのだろうか、そもそも「現在」というのはどの時点を指すのだろうか……。
古くはウェルズが書いた「タイム・マシン」から、近年ではスピルバーグの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」まで、さまざまな理屈のもとに人は時間旅行をしている。もっと最近の海外ドラマ「タイムレス」では清々しいくらいあっさりと現代と過去をタイムマシンで行き来している。そんなフィクションの世界に浸っていると時間なんて案外簡単にコントロールできるものではないかと思えてしまう。現実では人類はまだ月へ行くのが精一杯で未だに戦争も止められない生き物なのに。
ミヒャエル・エンデの名作に「モモ」という小説がある。人間から時間を盗み取ろうとする灰色の男たちから、大切な時間を守ってくれた不思議な少女の物語だ。その小説の中に時間について書かれた面白い一節がある。
時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。
なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。
たしかに。退屈な授業を受けている1時間は眠気と戦いながら永遠とも思える長さだが、楽しい人と過ごしている1日は一瞬で過ぎて行く。面白くて熱中して読める本は気がつくと数時間経過しているが、興味のもてない本は1ページ読むごとに時計を見て時間の経過の遅さに溜め息をつくことになる。
同じ長さの時間でも、同じじゃない。エンデの「モモ」は普段何となく意識している時間というものについて、我々の中に新しい何かを意識させてくれる。考えるきっかけをくれる。
進めたり巻き戻したり一瞬で跳び越えたりすることが出来るのかどうかは分からないけど、時間をある程度コントロールすることは出来るような気がする。落ち着いて対処すれば僅か5分でも十分な仕事をすることが出来ることもあれば、ただ慌てて無駄な行動ばかりしていると1時間をふいにしてしまうこともあるからだ。自分の心の持ち方で長くも短くも出来る。そんな気がする。
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