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本を読む速さについて

いったい本を読む時にどのくらいの速さで読むのが適切なのか。日常の中に読書という習慣を持つようになってから、時折考えている問題がこれである。決して頭が痛くなるような悩みではないが。

おそらくこの問題は「果たして週に何回くらい飲みに行っても健康を害さないのだろう」とか「1日に何時間くらいゲームをやっても眼や身体を疲れさせないで済むだろう」などといった問題と似ているかも知れない。自分にとって好きなことをやるのに何か支障があるわけではないけれど、もしあるのであれば適量というものを知りたい。そんなところだろうか。

学生の頃は週に何冊読めるかとか年に何冊読めるかとか、とにかくたくさん読めば良い、偉いと思う傾向が強かった。自分も周りの読書好きたちも。「年間三百冊読んだ」などと自慢している人が居ると、単純に「すごいなあ」と感心していたものである。
たしかに、速読術についてのノウハウ本もたくさん出ているところを見ると、速くたくさん読むことは価値のあることなのかも知れない。学生が試験勉強をする際に参考図書を読む時や仕事で必要な知識を得るために技術書などを読む時は、出来るだけ速く読めた方が良いだろう。早くその情報を知り、すぐに使う必要があるような場面では。

だが、やがてこの「速読」は僕が好きな小説などの文学作品を読む場合には適切ではないことに気づいた。江戸川乱歩の全集を1年以内に読んだり、ペリー・ローダンシリーズを数年で全シリーズ読んだり出来たらいいなと思うこともある。しかし、本当にそれは読んだことになるのだろうか。たとえばその作家が百冊の作品を発表しているとして、それを1年で読むとなると単純計算して3日に1冊読破することになる。そんなペースで読んで果たしてその作品を味わったといえるだろうか。書かれている文章が表現していることを想像して楽しんだり、登場人物の心情を推し量って感慨にふけったりすることが出来るだろうか。おそらくそんな余裕は無く、ただ読みこなすだけの作業になっていることだろう。

小説などの文学作品は、概して、ゆっくり読む方が良いと思う。書かれている情景描写を脳内に描きながら、自分なりに効果音やBGMを鳴らしながら。そして、登場人物たちのセリフは自分の好きな声優の声をあてながら読むのが楽しい。そんな脚色もせずに、ただ文字面を追うだけでサッと読んでしまうのは勿体無い。料理でもそうだが、どんな名店の名物料理でも掻き込むように食べてしまっては台無しである。料理人が丹精込めて仕立て上げたさまざまな味の仕掛けが全く分からないまま、ただ空腹が満たされたというのでは余りにも勿体無い。

あの本は面白かったな、と後々まで憶えている作品は、しっかり味わって読んでいることが多い。それは、必ずしもスローペースで読んだからではなく、その作品に合った速さで読んだからかも知れない。太宰治や夏目漱石のような純文学はその表現に感心しながらゆっくり散歩するように、赤川次郎のようなセリフ主体の作品は会話のテンポを意識しながら軽快にジョギングするように。
どのくらいの速さで読むのが適切なのか。それは読む作品の内容によって決まる。これが今のところの自分なりの結論である。

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