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ばーばの大学院な日々〜ばーば悩む😕

ばーばです。
いよいよ修論のための調査がはじまり、「問題」部分の方向づけをしはじめたところです。

そんな中、以前からちょっとだけ気になって来たことが、もう少し大きく目の前に立ち現れました。それは

日本語教師の勉強をもうちょっと真面目にすればよかったなあ

ということです。

一昨年卒業した通信制大学では心理学をメインに修めましたが、実は日本語教師の養成課程があり、その科目をいくつか取ったことがありました。まあ、その時は主語と述語とかSとかVとかOとかってほんとに初めの部分と発声の説明とかで、あまりおもしろくないなあって思っちゃって、日本語教師になりたい訳ではないしな…と、それ以上取らないで終えてしまったのだけど…

今、その知識があればもっとうまく対応できるかもしれないのに…って思います。

大学院には留学生がとても多く、仲良くしています。中国人のAくんとは、入学以来、難解な本の読書会をやったり、私が中学校でやる授業の見学に来てくれたりと、特に仲良しです。

そのAくんは、大学から日本に留学しているので、日本語を書くのも話すのも、日常的には困らないレベルです。
ただ、彼が研究計画とか、テーマを深めるとかで質問してきた時に、言葉の理解のズレに気づきます。

「うーん、日本だとそういう意味ではその言葉使わないんだよねー💦」

という事が時々ありました。
私がもう少し中国語をわかっているとか、お互いに英語がもう少しできるとかであれば、他の言語に例えて擦り合わせることができるのだろうけれど、そこがなかなかに難しい😓
それに、他の日本語や具体例を用いて説明できたとしても、全く腹落ちしていない感じがわかることもあって、なるほどこれが異文化理解かー、みたいに妙に納得したりします。

それで、数日前にもう少し大きく立ち現れてきたのは、主語述語的なものです。
フェローシップの応募用計画書を見せてもらったら「XのYの違いによるZはどのようになるか」というような文が書いてありました。
Xは対象で、Yは調査する内容で、Zは結果と捉えられるので、これは、知りたいのはZ?と聞いたところ、Yだという。Xの文化的背景の違いでYの違いを見たいということらしい。

あれ?そうしたら、XとYとZの順番が違うんじゃない?
うーん、Yの違いでZの様子が変わるってことを明らかにしたいって書いているように読めるんだけど…
そういうとA君は意味がわからないというより、結果が変わるというのは違うんだ。と別のところに食いついてきました。それは、結果が違う=良し悪しの評価みたいに思うようで、良し悪しではない!と、エキサイト。ああ、それはわかるよ。Aくんの所属ゼミの方針がそういう感じだよね。私の先生は実証主義の先生だから、私の研究も働きかけがどのような結果をもたらすかという、結果の違いに着目するけど、ある特定の対象の発達をテーマにしているAくんのゼミは見る部分が結果ではなく過程だもんね。

うーん、ならばなおのこと、XYZの順が違うよ。と言葉を入れ替えて、説明というより、こうしなさいって言っちゃった😅

私も苦手な英文を読む時、とくに〜of〜of〜ofって、ofで延々と繋がる文章で迷子になるからねえ、Aくんの気持ちはわからなくもない笑

ただ、もう少し上手く関われたらいいのになと思ってしまった出来事でした。


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