婚活のつもりが浄水器を売りこまれた、あの夏のはなし


25歳の夏が終わるころ、私は渋谷駅からほど近い半地下の喫茶店で、同世代の男の子から高額な浄水器の説明を受けていました。

この浄水器で、内側も外側もきれいになって、本当の自信を持ちましょう。エミコさんにぜひ試してみてほしいんです。ああ、結婚というゴールに向けて邁進するはずだったのに。なぜこうなる。


突然ですがみなさん、何回くらい、高額な健康食品や浄水器の勧誘を受けたことがありますか?1回?3回?10回くらいはある?日本中の人たちに統計取ったら、平均何回くらいになるんだろう。

何の自慢にもならないんですけど、私は両手では数えきれないくらい、勧誘されたことがあります。浄水器のほかに、高額なせっけん、サプリメント、基礎化粧品、洗剤等々。その理由は単純で、私が物心ついたころのからのアトピー体質で、全身が傷だらけの時期が長かったからです。

知人からの勧誘もありましたが、見知らぬ人や知り合ってすぐの人に、よく声をかけられました。電車の中や駅のホーム、食事中のレストラン。高額な商品やビジネスだけでなく、おすすめの医者のメモを差し出されるとか、かわいそうねえと言われるとか。今ではもう笑い話だけど、とは言いません。今でもしっかり根に持っているし、声をかけてきた人たちに、砂糖たっぷりのコーラをバケツに何杯もぶっかけてやりたいと闘志を燃やしております。


まだ10代のころ、平日のお昼すぎ、東横線渋谷駅の地上ホームに日差しが差し込む中、私の隣に座ったおばさん。なんて言ったと思いますか。

あなたかわいそうねえ、そんな身体で。でも大丈夫、私の親戚の子もね、すごくひどかったんだけど、せっけんを変えたら、ずいぶんよくなって。結局、きれいに治って。なんと、結婚もできたのよ!

そうですか、よかったですね。私はその座席から微動だにせず、高額なせっけんの効能をうんうんと愛想笑いで聞きつづけました。ああいうときって、思考が停止して身体もフリーズしてしまい、席を立てなくなるんですよね。目的地について逃れるまで、ひたすらその場をやり過ごして、家に帰って落ち着いてから、あれは何だったんだろうと考えました。そして、ああ、あの人は、ニコニコと笑いながら、あなたのことは何も知らないけど誰とも結婚できない見た目をしていますねと言っていたんだ、と理解しました。


当時は、どんなに親しい友人にも、家族にも、今日こんなことを言われて嫌な思いをした、とは言えませんでした。いつもたくさんの友人や家族に恵まれ、毎日を楽しく過ごしているはずの私が、他人からはみっともないかわいそうな人間だと思われているんですと宣言することなんて、できるわけなかった。



そんな私が、初めて自分の身体についてしんどいと口にできた相手は、異性の友人でした。なんで異性なんだよという感じですが、自分以外の女性には「いずれお嫁さんになれる人たち」というコンプレックスを抱いていたので、言えなかったんですよね。

あれは大学1年生のころ、早朝からバイトをしていたケーキ屋のお客さんに、その見た目で店頭に立つな、と言われた日でした。次の日も朝からバイトで、でもどうしても行きたくなくて、またあのお客さんが来たらどうしよう、同じこと言われたらどうしよう、怖い、バイト仲間にも聞かれて恥ずかしい、もうそのことしか考えられなくて、その友人と二人でごはんを食べている最中、すっごい嫌なことがあったんだけどさ、話してもいい? と口火を切ったことを覚えています。

そしてそれから、言葉を発するまでに、なんと1時間くらいかかりました。早く言葉を出したいのにどうしても出てこなくて、いやこの沈黙どう考えても変だよ自分、早くなにか言わなくちゃと思いながら、それでも言葉が出てこなくて、ひたすらテーブルの下で拳をにぎりしめていました。

そうして、ようやく涙をボロボロこぼしながら、バイトでこんなことを言われた、明日行くのが怖い、行きたくない、と打ち明けました。私、なんでこんなこと泣きながら人に言ってるんだろう、しかも男子に、ものすごく気持ち悪いだろうな、メンヘラってこういうことなのかな、突然取り乱してさ、聞かされても困るよなこんなこと、お金払ってもいいくらいだと、ボロボロ泣きながらどこかで冷静に考えている自分がいました。

でも、それで、少し気持ちが楽になったことを覚えています。他人に対して言葉にして伝えたことで、自分は苦しかったんだと認めざるを得なくなった。それは革命でした。その友人が、それはつらすぎる、バイトさぼりなよ死なないから、と即答してくれたことにも救われました。


おかげで、翌朝、私はいつも通りアルバイトに行けました。その日から徐々に、ごく親しい友人には、つらいんだよねえ、と内心ひやひやしながらもさらっと言えるようになりました。そうやって自分が口にすれば、相手もまた、自分の悩みを打ち明けてくれるようになります。

学生時代なんて、誰もが何かしらの葛藤にのたうち回っていたので、恥ずかしい悩みごとにはいつだって事欠きませんでした。あの恥ずべき自意識をこっそりと見せ合う思春期を経ていなかったら、私は今でも自分のいろんな欲望に目を瞑ったままだったと思います。だから、あのころ夜通し語り合った人たちにはめちゃくちゃ感謝しているんですけど、でも話した内容を思い出すと恥ずかしくて死にそうになるので絶対口に出せない、脳みその奥に押しやって一生引っ張り出したくないというね…。



ちなみに、先ほどの異性の友人は数年後、私の自信の無さを追及しながら、高価なサプリメントを売り込んできました。地下のサイゼリアで、終電近くまで詰められましたよ。そのままでいいのか、変わりたくないのかって。え、マジで、お前もか。ここはどこの地獄だよ。

私は、その展開に衝撃を受け、猛烈な怒りを感じながらも、冷静と情熱のあいだをいったりきたりしていました。ああこの人もそこに足を踏み入れないと立っていられない状態になってしまったのかという冷静と、あのとき話を聞いてもらったから私もちゃんと話は聞こうという情熱。

そのあと、美魔女みたいな仲間にも同席されたし、普段なら絶対行かない無料セミナーにも参加したし、サプリメントのサンプルも飲みました。まあ結果として、勧誘の内容には共感できず、サプリメントもまったく効果は出ず、魑魅魍魎な世界を垣間見ただけで即退却したんですけど。



だから25歳の夏、冒頭の渋谷の喫茶店で浄水器のリーフレットが出てきたとき、私はそこまで絶望せずに済みました。彼は、当時SNSでよく企画されていた「朝活」で出会った人で、ごはんに誘われて、いやこれはきっと勧誘だろうな期待しちゃいけないな…と思ったら案の定勧誘だったパターンです。99%勧誘だろ、でも1%くらい可能性があるなら、と渋谷までやってきた、結婚に向かう根性をだれか褒めてください。

その浄水器の彼は、同じ25歳くらいだというのに、まさに男の子という雰囲気の、挙動不審で細身の青年でした。浄水器の効能を説く声と、パンフレットを持つ腕は、山中でクマに出会ったかのように静かにふるえていました。なんでそっちが怯えているんだよ、クマだって遭遇したくてしてるんじゃないんだよと思いながらも、私は彼の弱気なセールストークをさえぎることができず、ひたすら黙って耳を傾けました。


そう、私は苛立ちながらも、うまく反論することができずに黙っていました。

いつもそうなんですよ。典型的なセールストークに、ああ馬鹿馬鹿しいと思いながらも、フリーズしてしまって言葉が出てこない。怒りや悲しみを相手にぶつけられず、その場から逃げるのがやっとで、そのあと何日も何週間も、その感情を自分の内部で発酵させて、嫌な気持ちを抱えつづけるんです。


どうして反論できなかったのか? それは、彼らの発する言葉のひとつひとつは、確かに私の痛いところをついていたからです。見た目のせいで自信がない。仕事も恋愛もうまくいかなくて自信がない。将来の先行きが見えなくて不安。全部その通りでした。それらを解決したいと思いませんか。解決したいです。本当の自信を持ちたくありませんか。持ちたいです。いま思い出してもびっくりするんですが、これだけ馬鹿にしながらも、私は勧誘を受けるたび、いつも一ミリくらい、彼らが提示してくる解決策に期待していました。

しかし、それが心に響くことは一度もなかった。単純に効果が信じられないとか、知人を勧誘する商売は絶対に無理という理由も大きかったけれど、それよりも巨大な拒否感がありました。

当時はうまく言葉にできなかったんですが、時間が経ったいまなら、少し言葉にできるかもしれない。

ねえ、商品を売るという目的を隠して、ただのお茶のふりして喫茶店に誘うあなたが持つ「本当の自信」って一体なんですか? それのどのあたりが「本当」なの? 私、後ろめたいと感じる人間の気持ち、捨てたくないんですけど。


いま思うと、勧誘をしてくる人たちの表情は、みんなどこか奇妙でした。彼らは、まるで「後ろめたいことなんて何もありません」という顔をしているんですよ。

でもね、みなさん、日々過ごしていて、後ろめたいことなんて毎日のように発生しませんか? 私は山ほどあります。政治家の次くらいにたくさんある。忙しくないのに忙しいと言うし、ごめんと思っていないのにごめんと言うし、ベランダのミニトマトを放置して枯らすし、息子に隠れてカルピスソーダを飲むし、スーパーに駐輪して近くのドラッグストアに行くし、ファミリー用のロールケーキを全部ひとりで食べてなかったことにするし。

私は、そういうことを、ちゃんと後ろめたく感じながら生きていたいんですよ。それは、自分の弱みもぜんぶ愛したいの私、なんてきれいごとを言っているんじゃなくて、自信があろうがなかろうが、誰かに対して、ああ悪いことしたなとか、申し訳ないことしたかもしれないとか、そういうことを感じるスイッチを全部オフにするわけにはいかない、ということです。

そのスイッチを切って、自分の気持ちでゴリゴリ他人を浸食しようとすることを「本当の自信」と呼ぶのは、絶対にお断りです。他人の感情を推し量ることを全て諦めて、そこから目をそらせば傷つかなくて済むって、人と生きることを諦めただけの話でしょう。そんなの、自信でも何でもないし、幸せだなんて到底思えないし、弱すぎる。というか、そのスイッチ切るのは無理があるよ。いつまでも逃げられると本気で思っているんだろうか。


あのとき、東横線の車内で、渋谷の喫茶店で、なんでフリーズしてしまったのか。目の前の相手が、いかにも私に心を寄せているような顔をして、私の心をどしどし踏みつぶしてきたので、何が起こっているのか理解できずに固まってしまったんだと思います。

自分はいま労わられているのか痛めつけられているのか、褒められているのか蔑まれているのか。子供を育てるようになって、どこかで「大人が子供に対して、ニコニコしながら蔑む言葉を口にすると、表情と言葉が一致しないため子供は混乱してしまって情緒不安定になってしまうことがある」という記述を見つけたとき、ああこれだ、とやっと腑に落ちました。



結局、渋谷の喫茶店での勧誘は、途中で美魔女仲間が登場することもなく、中途半端に終わりました。私がもう帰りますねと言ってその店を出ると、青年がふるえる声で「モニターだけでもやってほしい」と追いかけてきたので、すみません本当に嫌なので、と振り切って帰りました。むなしかった。同じ瞬間に、世界のどこかで、愛の告白を振り切って立ち去ろうとしている女性もいるだろうに、なぜ私は渋谷のど真ん中で、浄水器の勧誘を振り切っているのか。いやマジで、早く誰か、なにもかもを洗い流してくれる浄水器を発明してくれよ。



それから私は今日までずっと、毎日後ろめたさに苛まれながら暮らしています。この後ろめたさを、どうしても捨てたくなかったんだから仕方がない。学生時代から現在に至るまで、やはり同じように、後ろめたさを手放せない人たちに囲まれてきたおかげで、道を踏み外さずに済みました。


ああ、あの青年もいま、そんな人たちに囲まれていたらいいのにと、願わずにはいられません。






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