#29 ブッツァーティ「神を見た犬」〜見た目は怖いがとんだ良い人だった件 の感想

※これはポッドキャスト番組「翻訳文学試食会」の感想です


今回の本

今回のキーワード

  • イタリアの信仰心が土壌にある

  • 一言でいうと生ぬるい、とらえどころがない

  • 神様はいないけどいる、いるけどいない

  • 見ようとすれば信じようとすれば神はいる=神が持ついかがわしさ、まやかし

  • 「虚像であっても神という存在は必要」と言いたかった?

  • メッセージがあるんだか、ないんだか、意図をくみとっていいのか

  • 孤独の影がないから物足りない?

  • 一見コワモテ、人懐こい良い人、親しみやすい鬼才

隠修士とデフェンデンテ

この物語のハイライトはここだと思う。銃を背負っている理由を聞かれて正直に犬を追ってきた、と言うデフェンデンテ。ごまかしたり嘘をついたりしないところ、意外に根は正直者なのか?しかもパンの味を隠修士に褒められると「おいしいだって?そりゃあ、おいしいに決まってますよ!窯から出したばかりの焼きたてですからね」と言うあたり、ぶつくさ言っている割には自分の仕事に誇りを持っているふしもあり、口汚い野卑な男の純朴さみたいなのが垣間見えて微笑ましい。
しかも、隠修士にすまなかった、もう犬は行かせないようにする、と言われると「来てもらっても構いませんよ」と言うのだ。銃を持って犬を追いかけていたくせに!面白すぎる。隠修士と親しくなればいつか村長になれるかもしれない、という妄想も突飛すぎておかしい。
しかしこの隠修士、純粋な問いかけでデフェンデンテの隠れた信仰心(神を罵る割には子どもの洗礼や堅信式を欠かさない)を明らかにするあたり、なかなかの策士だと言える。

村の人たち

みんなが犬を畏れて、悪い行いを慎んだり教会に通うようになる様が面白い。みんな言い訳しながら、さもしょうがないから、というように振る舞うのだ。これは隠修士の言葉がずばり該当する。

「そなたたち人間には一種の見栄があるからな……。自分を悪く見せかけ、じっさいよりも悪者を気どる癖がある。それが世の常というものだ」

本文より

これはあれだ。いわゆる悪ぶっている人や悪い世界にいる人が必要以上に悪ぶって意気がる姿のことだろう。それは「格好悪い」世界のものなのだ。そう考えると、素直に善き行いができる、悪い行いは慎む、ということが自然に身についている社会のほうが言い訳しなくて済むので楽なんじゃないかなぁ。

犬の意味

結局、村の人たちが「神を見た犬」だと思っていた犬は全然関係のない犬だったわけだが、本来神を信じるという行為がそういうものなんだ、というモチーフなのではないだろうか?つまり、目に見えない、確証もないものを自分の心におき、それを畏れ、自分の行動の指針とする、ということが。それが「犬(ガレオーネ)」が象徴するものなのかな?と考察。

その他の収録作(既読分)

「アインシュタインとの約束」
研究を早く進めることの意味がわかると皮肉。ちょっとローレンス・ブロックの短編ぽいなと思った。
「七階」
一番軽症の患者が収容される七階に入院した主人公があれよあれよと下の階に移動させられ……という話。大東先生が「孤独の影がない」と言っていた理由がなんとなくわかったけど、主人公が階を移動させられるたびに、一生懸命主張を繰り広げるからじゃないかなぁ。全然効果はないところが物悲しいが、死と隣合わせなのに何かユーモアがあって面白い。

補足

お二人がこの本を電車内で読んでいたらちょっと「おっ」と思う、とおっしゃっていたので、今週実行してみようと思う

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