#31 ディミトリ・フェルフルスト「美しい子ども」〜少女が酒を飲み、道端で用を足す問題作 の感想

※これはポッドキャスト番組「翻訳文学試食会」の感想です


今回の本

今回のキーワード

  • かつては周りの人がどんどん死んでいった。50まで生きるとは思わなかった

  • 昔といまの人生観、健康意識が全然違う

  • この小説の衛生観念について

  • 誇りをもつような暮らしぶりなのか・・・?

  • 家族と土地に対する誇り、寅さんにつながる誇り

  • 関西弁、方言の翻訳について(じゃりン子チエのような)

  • アメリカ文学の黒人ことばは東北弁??

下町の美人・ロージー叔母

ふと「中学時代のヤンキーの美人先輩」を思い出した。美はある程度経済力に比例する(行き届いた栄養が生む上質の肌と髪、仕立ての良い清潔な衣服、知的な生活からくる物腰など)が、こういう掃き溜めのようなところの美人というのはなぜか惹かれる。ロージー叔母さん、やはり「生のミンチ」を素手で食らうような実家にはうんざりしていたんだと思う。この美貌できっと良い生活をしたる!と意気込んでいたのではないだろうか。願いかなって娘にバレエを習わせるまでになったが、残念ながら暴力夫から逃れて実家に戻ってくるのが悲しい。兄貴たち、「ゴッドファーザー」のソニー兄さんのように、義弟ボコボコにすればよかったのに。
ちなみに他の収録作では、主人公の父もかなりのハンサムだと書かれているし、作者のディミトリ・フェルフルストも大変男前である。粗野で非衛生的な家庭でも美形の一家なんだろう。そしてそのDNAはシルヴィーにも受け継がれている、というわけだ。

美少女・シルヴィー、覚醒する

まさに掃き溜めにツル状態のシルヴィー。普通だったらこんな環境に長くはいられないと思うが、そこはさすがロージー叔母の娘。根性は座っているらしい。普段汚い言葉を使う男たちが「シルヴィー、どうかな?ピエール伯父さんと外に行ってみようか?」などきちんと話すのがなんともおかしい。そして私が大好きなカフェのシーン。フェルフルスト家の血が騒いだのだろうか。カフェの双子にさんざん悪口を言われたシルヴィーはこう言い放つのだ。

「ピエール伯父さん、わたしもビール飲んでいい?」

本文より

「挑発に乗るんやない」と諌めた伯父さんの言葉もむなしく、シルヴィーは人生初のビールを飲み干す。恐るべしフェルフルスト家。
カフェからの帰り道、シルヴィーは「おしっこしたい」という。その時主人公は僕たちのしているのは「ションベン」だ、と思う。
最後の収録作「あの子の叔父」では息子・ユーリが「ションベンしたい」と言い、それを作者は「汚い人の使う汚い言葉だ」と諌める。作者がかつていた場所から遠く離れたことがよくわかるシーンだと思った。

関西弁の翻訳

正直言って最初は「うーん……」という感じだったが、読み進めるうちにこれはありだな、と思い直した。この絶妙な下町感はやはり関西弁でないと出せないのかもしれない。アメリカ南部の黒人が「おら、言っただよ」のような東北弁風の言葉に翻訳されるのはおなじみだが、生粋の東北人の私はどうしてもあの表現には馴染めない。あの表現には無知で貧乏だというイメージの刷り込みがあるから。最近はどうやって訳してるんだろう。こんど探してみよう。

方言での翻訳の例として紹介された本

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