#12 キム・エラン「立冬」 日本人は「セウォル号以後文学」をどう読むか の感想
※これはポッドキャスト番組「翻訳文学試食会」の感想です
今回の本
今回のキーワード
夜中になにかがあると怪しい、やばそう
殺人事件かと思ったら木イチゴ、大そそう
ヨンウは息子か娘か?
自分も泣きながら醒めた目で書いている
外国の小説という感じがしない、違和感がない
韓国の家賃システム(※チョンセのこと)
セウォル号以後文学と社会的トラウマ
窒息するような空気感
時間の経過が蓄積されている感覚があった、それが止まってしまう
「この小説は私のことを書いている」と感じられるか、喪失感に寄り添う
お母さんが大失態をしたことで前に進める、壁紙を張り替えられる
夫も一度感情を爆発させないと進めない
ようやく得た安定がなくなってしまう
こんなにまでして掴んだささやかな幸せなのに、どうしてこんなに辛いことが起こるのか。以前「幸せは音もなくやってきて、不幸は大きな靴を履いて何もかも踏み潰してしまう」というような文章を読んだことがあるけど、この作品はまさにそう。それでも前に進む兆しが少し見えてくるのは「レジリエンス」を描いているともいえる。
事故の被害者と保険金
昔、旅客機事故のルポを読んだことがあるが、その中にも「今日あの家に航空会社が来た」「保険金がどうだこうだ」という口さがない人の噂があったそうだ。被災地などでもそうだが、命の次に問題になるのは「カネ」なのだ。自分の子供を失ったことで得た金で自分たちの住居のローンを払わなくてはいけない。作中「あのお金、取り崩そう。ローン返さないと」という奥さんの台詞に泣いた。
韓国の交通事情
韓国の小説で交通事故がモチーフになっているものがあったな、と思い出してみるとチョン・セランの『フィフティ・ピープル』だった。韓国の芸能界を見ているとしょっちゅう交通事故が発生していて、第一線の男性アイドルグループが意識不明の重症レベルの事故にあったり、中には亡くなってしまったガールズグループのメンバーもいる。韓国人はかなりせっかちでスピード出しすぎの場面が多いと聞く。日本も昔は「交通戦争」という言葉があった。子供の死亡事故は本当に胸が痛む。ただこの作品中では新居のベランダから八車線の道路が見える、と書いてあるが、実際にヨンウが亡くなるのはその道路ではなく、保育園の車に轢かれるのだ。(バスだと思って読み返したら『車』と書いてあった)
大粗相のお母さんの役割
木イチゴエキスを爆発?させるお母さんは確かにちょっと無神経なきらいもあるが、今後この夫婦はもっともっと世間の「無神経」に耐えていかなくてはいけない。途中亡くした子供と同じ年頃の子供を見かけるシーンがあったが、こういうのがずっとずっと続くのだ。私も父を亡くして間もない頃は、背格好が父に似ている男性を見かけただけで泣いてしまうくらいだった。だからすごく共感した。あと「人の死」ってことに他人は本当に無理解で、それはどうしようもないんだと思う。世間の時間は自分の不幸には関係なく動いていく。「他人にはわからない」という奥さんの言葉がすべて。だからこそこの夫婦はこれからも寄り添っていくんだと思う。
余談になるがお母さんの作っているおかずがとても美味しそうだ。
参考資料
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