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スキスキマシマシで。



 恋人についての想いの入れ方が桁違いで、病的に恋人を好きになるわたしは、好きな人とのスキンシップも多めが嬉しい。

 家にいる間は、基本的に身体のどこかはくっついていたいし、別々にシャワーを浴びるなら、浴室の外で永遠と話しかけて上がるのを待ちたい気持ち。トイレも長くなるなら、ドアの前で話しかけてやりたくなる。そんなことをされた日には、出るものも出なくなってしまいそうだが、これも習慣化してしまえば、意外と適応できてしまうもののようだ。

 淡白なカップルを見ていると、「(おおお、好きな人を目の前にしても、この冷静さ。普段どんな修行を…?)」となって、感心する。
 スキンシップは多めがいいとは言っても、人に見せびらかすような形で、ベタベタしたいというのではない。手は繋いで歩きたいけれど、大勢の人の前でキスをして欲しいとは思わない。複数人での飲み会の中、離れて座っていても、2人にだけ伝わる空気感とか、交わった視線の先で静かに微笑み合うとか、そういうのがほしいのだ。そんな2人を周りで見ていた誰かが、「この2人なんかいいな」と思ってくれる、そういうのがいい。

 夜はどんな季節でも同じ布団で重なるように眠りたい。でも、夏のじっとしていても肌が湿る暑さや、冬の氷のように冷えた手足は、それを拒まれる理由になってしまうので寂しかった。冬に食べるアイスとか、夏の生ぬるい夜風の中で火を分け合う花火とか、そういう存在にはなれないものか。
 寝付いて、寝返りを打って、背中を向けるようなことがあっても別にいい。でも、眠りにつくまではしっかりくっついて、好きな人の香りに包まれていたいじゃない。

 夏は、眠るまでの間だけだよと少し冷房の温度を下げて、風量も強めにしておこう。冬は、お風呂上りにもこもこの靴下を履いても、冷えてしまうから、足の間に挟んで、少し高い体温を分けてくれたらうれしい。冷え性のわたしも、温かいところならあるはずだから、ちょっとずつ分け合って、同じ温度になれたらいいのにね。
 そうして触れ合っている間に、想いも痛みも分け合えると信じていた。けれど、そんなことはできなかったし、身体なんて重ねなくても、同じ想いでいてくれて大切にしてくれる人と一緒になるのが幸せだって、やっとわかった気がする。

 年齢が若い女子学生にありがちだと思う、同性同士でのハグや、手を繋ぐ行為についても、”キモチワルイ”と言う人もいるれど、わたしはかわいらしくて羨ましかった。
 友達同士でも、恋人同士でも、スキンシップの頻度、好きを伝える方法や頻度、バランスが悪いとすぐに崩れてしまう。お互いにとってちょうどいいところを、くっついて触ってみたり、離れて遠くから眺めてみたりしながら、見つけてちょうどいい関係になりたい。


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 いつか、SNSでバズったオレンジスパイニクラブさんの『キンモクセイ』。
 ”握ってたいのはスマホじゃない あんたの右手だ”ってフレーズに、当時付き合っていた恋人にも、こんなふうに思ってほしいなんて夢見て、「ここいいと思わない?」と言ってみたけど、「うん」とだけ言って手は握ってもらえなかった。ごみで溢れた部屋で暮らすこの子は、実際に”あんた”の右手を握ることはできたのかな。思っているだけじゃ伝わらないし、行動できる人が最強なんだよ。そして、わたしはきょうも、あの子に右手を握って欲しいな、なんて思ってみたりするんですよ。

 きょうも読んでくれてありがとうごさいます。またね。


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