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生きづらさを抱えて生きている。



 ありがたいことに、周囲の人からの印象はとてもいいようだ。
 ”明るくて、ポジティブで、性格のいい子”
 わたしの印象について聞いたときに、よく言ってもらえることだ。
 実際は、多くのトラウマを抱え、コンプレックスだけを固めて作ったような人間だ。
 学生時代に植え付けられた、トラウマとコンプレックスは、大人になってからもわたしを不安にさせる。それに勝る出来事を上書きしても、時々、ガラガラと音を立てて崩れたその下から顔を覗かせる。


 中学生のとき、初めての恋人ができた。1つ年下で中学生の頃から、行きたい大学、学科までをを決めているような頭のいい子だった。
 あるとき、「俺は、はなの顔が好きで付き合ってるわけじゃないから、性格が悪かったら別れてるよ」と、笑いながら言ってきた。きっと、遠回しだけど、わたしの性格をほめてくれていたんだと思う。それに、彼の周りの友人から、俺らにはかわいいって言ってるよって言われたし、照れ隠しもあったのだろうと今では思うことができる。そして、別れた後に二股されていたであろう事実を知って、大ダメージ。
 こうして、わたしは顔にコンプレックスを持ち、好きな人から一途に好いてもらえなかったというトラウマを抱えることとなる。

 高校生のときの恋人は、1つ年下でいろんなことを言葉にしてくれる素直な子だった。
 なぜだろう、この年頃というのはお互いを貶しあえる関係すらも、愛と捉えてしまいがちだ。わたしは、身長の割に脚が太いことがコンプレックスで、彼にもそれは伝えていた。彼もそれについては、いじりの一環として「脚太いって~」と笑っていた。わたしも、笑っていたし、その時は気にしていなかった。でも、別れた後に、どうしてあんな風に言われなければいけなかったのだろうと、急にむかむかしてしまった。
 こうして、体型もコンプレックスになった。

 専門学生のときの恋人は、2つ年上でいつもだるそうで、あまり恋愛に関心のない人だった。
 自分の周りで起こった出来事を愚痴りながら、こういう人ってこうだよねと平気で偏見を言う人だった。直接、相手に逆らう物言いをしたり、反論をすることは少ないけれど、あとから他の人に言うようなところがあった。
 わたしが彼に抱いていた思いが薄れてお別れすることになった。そのときも、言いたいことは言い合ってからと思ったけど、彼は特に何も言わなかった。せめて彼の評判が悪くならないようにと、自分のせいで別れたのだと話していた。あるとき、わたしと仲が良かった女の子といつの間にか連絡先を交換していて、わたしの愚痴を聞かせていたことを知り、どうでもよくなった。
 こうして、本音をあまり話さないタイプの人にトラウマを持つことになった。


 詳しくは書かないけれど、恋人が元恋人関係でいろいろもあったこともあって、元カノに対するコンプレックスが大きい。
 自分の性格も、根暗で、物事は悲観的で斜に捉えてしまうことの多い、ひねくれ者である。ひとりになると、小さなことを思い出して死にたくなるし、通勤路の中に自殺スポットを作っているくらい。ただ、人と関わるときは、見える部分はできるだけ、不快に見えないように繕っていることは多い。悟られないように、わざと明るくふるまうし、思った事は一度は口に出して伝えてみるようにしている。
 「意外」という言葉は、時に人を傷つけることもある。みんな生きづらさを抱えながら生きている、きっと。目に見えることよりも、見えないことの方が多いのだし、きっと。他人にやさしい人でありたい。
 最近は、『ゲシュタルトの祈り』という詩を何度も反芻していて、気持ちが穏やかだ。世の中には、どうしようもないこともあるのだ。学生時代のわたしにも教えてあげたい。最強になってほしい。ドラえもんもいない現世では、過去の自分に会うことは難しそうだから、いまこの瞬間から最強な自分に生まれ変わっていこうと思う。


 (昔の恋人たち、いい出汁になってくれてありがとう。)



わたしのペースで、のんびり頑張ります。よかったら応援もよろしくお願いします。