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自分にはもったいない人。



 日中と夜の寒暖差が大きくなってきて、毎朝着る服を悩む。衣替えもしないとな。ちなみに、衣替えの目安は最低気温が18℃以下になったららしい。少し有益な情報を添えてみる。

 「いい子すぎて自分にはもったいない」とか、「優しすぎてもったいない」とか、そんな風にフラれたことが何度かあるのだけど。それを理由に断れらることについて、わたしは納得できない。きょうはそんなお話。


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 「いい子」、「優しい」の定義は個人によって異なると思うので、難しいのだけど。毎日ごみ拾いをしているボランティアの人よりも、どこかの一家を殺害したような凶悪犯罪者の方が人の記憶には残りやすい気がする。いい人というのは忘れられやすいと考えている。親切だけど物静かなクラスメイトよりも、問題ばかり起こし先生が手を焼いていたクラスメイトの方が印象には残りやすいだろう。前者に恋愛的な意味での好意を寄せていた人は、例外だ。

 つまり、「いい子」「優しい」≒「退屈」「印象に残らない」なのだろう。そして、付き合いたくはないけれど、なるべく嫌な人と思われずに断りたいというパターンも多いと思う。

 こちらがあなたを選んで思いを伝えたのに、その返答は誠意がなさすぎませんか?そう、「いい子」と、「優しい」と思うのならば、具体的にどんなところが素敵だと言えばいいのに。その上で、ただ自分はあなたの気持ちには答えられないと言えばいいのだ。「いい人すぎる」と断られるのが一番傷つく気がする…。

 どう考えても、わたしは「いい人」と一緒になりたい。でも、「いい人」に見られたがっている人とは一緒になりたくない。みんなに言い顔をする人は、ウソをつく人が多いことを知っている。恋人がいることを隠し、恋人には身体の関係がある人を友達だと紹介する、断らない、嫌と言わない、どっちつかずの反応はキープの証。馬鹿なフリをしてにこにこしていたら、許してもらえることも、近くにいてくれる人も多いと思うけど、絶対に搾取される人付き合いはしたくない。

 「いい人」が必ずしも魅力的ではないのは、そういう理由があるんだろうな。ウソをつかなくて、誠実な人、大切にしてくれる人と永く遠くにある終わりに向かって進んでいきたい。高望みしすぎなのだろうか、人間として大切なことだと思う。


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 手放しで人を信じて失敗することが多すぎるのだけど、その人が信頼できるか確かめるには、その人を信頼してみることが一番の近道なのだと、ヘミングウェイも言ってたし、わたしもそう思うの。
 きょうも、近くて遠い人たちのこと、遠くても近い人たちのことを想って、みんながきょうも健やかに過ごせていたらいいなと願うのです。

 きょうも読んでくれてありがとうございました。またね。




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