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愛は与えるものではない、育むものだと思った。

私の夫は歳の離れた兄姉がいる末っ子で、
母からとびきりに愛を与えられて育ったようだ。

彼は33の時に私と出会い、翌年に結婚した。それまではずっと実家にいた。

私は30だったので、相手がマザコンだとかはあまり気にしなかったし、
自分の実家が遠方なので、敢えて彼の実家の近くににアパートを借りることを提案し、新婚生活を始めた。

お義母さんは私に対しても愛を与えてくれる人だったので仲良くしていた。しかし結婚から1年も経たずして急逝した。

そういうこともあり、夫にとって母は尊い存在のまま、彼の心の大きな部分を占めていると思う。

(以下は幡野広志さんのインタビュー記事 https://wotopi.jp/archives/88121 からの引用です。)

何年か前、お正月で妻の実家に帰省したら、甘栗が置いてあったんです。食べようかなと思ったら、義母が「食べる?」って言って栗を剥いてくれたんですよ。びっくりして妻に「栗の剥き方知ってる?」って聞いたら、彼女は栗の剥き方を知らなかった。そのときに義母に「栗を剥いてあげるんじゃなくて、剥き方を教えてあげるのが親だと思いますよ」って言いました。
結局、子どもが一人で生きていけないようにしちゃうのは一種のネグレクトだと思うし、義母にも「それは虐待です」って言っています。

幡野さんの奥さんとそのお母さんは、私の夫と義母だ。
(幡野さんの奥さんとそのお母さんの関係と同じかはわからないけれど、自分で選べないタイプの人間に育てられた、育ってしまったところが同じだと思った)

幡野さんが、虐待ですよとバサッと言ってることを
私も夫に言いたいのだけれど、私がそれを試みると、彼は傷ついたと言うだろう。

電撃結婚に近かったし、義母の代わりを務めようとしたところもあり、
私も夫に対して愛を与えようとしていたと思う。

同時に夫は人から愛を貰うことに長けているのかもしれない。そして子どもは愛を与えたくなる存在だ。

3歳の娘に「パパがやってあげる」というのをよく聞く。
娘は何でも自分でやりたがる。時間や手間がかかるし、危ないこともある。

夫は特に危ない目に合わせたくないのだと思うし、娘にとびきりに愛を与えているのだと思う。甘栗むいちゃいました的な愛を。

私は幡野さんのようにバサッと言えないから考えた。

私が二人に栗の剥き方をレクチャーし、上手だね、美味しいねと笑うこと。

これから私は愛を育みたい。












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