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「シン・ウルトラマン」の心に触れて

 (シン・ウルトラマンを観たので)初投稿です。
 人目をはばからずに涙を流して歓喜しましたが、周囲のほぼ誰にも理解されることなく終わったのでひとりで反芻していこうと思います。

ウルトラC(クレイジー)

 冒頭。のっけから円谷のブランドロゴとスタジオカラーで帰ってきたウルトラマン(以下帰マン)の変身音が重複し、否が応でも期待が高まります。
 そして1分……



 やりやがったな!!!!!!!!!!!!!!(第一声)


 
 

 まず、前作「シン・ゴジラ」のロゴを打破する形で現れる、

「シン・ウルトラマン  空想特撮映画」

 
 の文字。シリーズの垣根を越えて関連性を持たせてくる粋な計らいに加え、暗に越えてやるぞという制作の熱意を感じさせます。
 特撮の「心」を解してこんな演出に許可を出す東宝の懐の広さに恐れおののいたのも束の間、画面を占有するのは……


シン・ゴメス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 まさかの「ウルトラQ」の世界観を一部踏襲。あからさまな前作ゴジラのモデル流用(オリジナルのゴメスもゴジラの着ぐるみを流用して作成された経緯がある)にはやくも劇場にどよめきが走ります。誰も居なかったらこの時点でスタンディングオベーションをキメていたところです。
 セピア色の東宝特撮らしい物々しいフォントに、着ぐるみ流用という特撮のお約束を踏襲した魅せはおそらく樋口監督の差配によるものでしょう。
 
 またここで個人的に全怪獣の中でもっとも思い入れのある古代植物ジュランの登場も相まって、のっけからテンションは最高潮を迎えます。惜しむらくはジュランの出現した場所が銀座ではなく東京駅になっていることですが、制作費を考えてのデータ流用との事情を聞くとかえって特撮らしい懐事情への配慮で味が出て良い!!
 
 樋口監督といえばかつて平成ガメラ2で怪獣デザインを担当し、あからさまにマンモスフラワーレギオン草体をデザインした御方。その期待からあるいは……と心の片隅でうっすらと夢想(妄想)していましたが、いや、まさか、嘘、ホントに? OMG……
 そんなにマンモスフラワーを好きになったのか、樋口真嗣。

今まで見た全特撮の中でいちばん印象的なカット
シン・ゴジラに合わせて東京駅か

禍特対出撃せよ

 興奮冷めやらぬ中、本編へ。さまざまな衝撃とともにベースとなる世界観をニューロンに叩き込まれた挙げ句、即刻ネロンガ出現。導入のスピーディーさは劇場アニメ「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」などで培われたノウハウが活かされています。(観客を惹きつける意図で冒頭からタイトルと同時にガンダムの顔見せがある)
 さて、前作のゴジラが名付けひとつで閣僚会議級だったのに対して、今作は「防災大臣の趣味」とバッサリ。個人的にはこの一言で作品の方向性の違いが印象づけられたように思います。
 
 あらゆる電磁兵器を受け付けないネロンガの進軍に「これもっと高次の文明に使う兵器だろ……」とこぼす滝くん。ツッコミの角度がオタクでいいな。ところで、部屋に置かれていた模型も一瞬のカットとはいえ並々ならぬこだわりを感じさせられます。「マイティジャック」や「サンダーバード」などいずれも「怪獣が登場しない特撮作品」で固められており、権利確認がややこしくなるだろうにこんな所にまでこだわりおってハハハ……こやつ。
 さすがに怪獣災害が常態化しているだけあってスムーズにフェーズ移行してはいるものの、この時点ですでに経済被害は前作の蒲田くんの非ではなさそうな。保険適用とかあるのだろうか。上層部との折衝なども含めて「エヴァンゲリオン」1話なんかとよく似た印象を受けます。

 すったもんだの末、ウルトラマン登場。その際の衝撃波で主人公の神永は殉職。素の人格だと「自分が」くらいしか喋ってないのに……。
 ちなみに初代ウルトラマンも地球に飛来した際、ハヤタ隊員の小型ビートルと正面衝突の末に彼を死なせてしまいます。自らと同化する事でスペアとなる「命」を持っていたとはいえ、加害者であるウルトラマンは「ヘヘヘヘヘッ」と薄ら笑いを浮かべるなど反省の色が皆無だった事はファンの中では語りぐさ。今作とは別の意味で価値観の異なる外星人であったことが伺えます。

「困った時にこれ(ベーターカプセル)を使うのだ。そうすると」
ハヤタ「そうするとどうなる?」
「ハッハッハッハッハ(笑)心配することはない」

 閑話休題。この時に出現したウルトラマンの体表カラーは予告だとミスリードで着色されていましたが、実のところ銀一色の巨人でした。スパロボPのテラーダも言ってたけど事前に出す情報の管理が適切過ぎひんか……。しかし””真のオタク””の視界に入るのは、体の色だとかそんな些細なことではなく、

……。

Aタイプだこれー!?

 そう。実はウルトラマンは初期、中期、後期でそれぞれ顔の造型が異なるというのはファンの間ではよく知られた話。(過酷な撮影でスーツがすぐボロボロになるので傷んだ都度に作り直していたから)
 僕個人は造り手に対する信頼から必ずなんらかの形でそれを反映させてくると予想していたため、表情の変化に着目することが出来たのでした。よかったね。流石にCGモデルなので本家に比べるとあくまで微妙な差異ですが、Aタイプ特有の人相の悪さのエッセンスは確かに感じられます。じっくりと眺めたい方はデザインワークスに載ってるので是非。

左からAタイプ、Bタイプ、Cタイプ

 ウルトラマンとネロンガの戦い。2時間しか尺がないのもあってかなり早い段階で始まります。この手管もかつて「エヴァンゲリオン」制作時に「機動戦士ガンダム」の第1話を研究し尽くした庵野秀明ならでは。個人的にも正味20分の放送時間で世界観の説明→素人がガンダムに乗る理由付け→ザク2機撃破とあの展開を上回るコンパクトな起承転結は他にないと思います。
 原作でも印象的な放電を胸板で受け止めるシーン、そしてお馴染みの光波熱線ことスペシウム光線でネロンガ撃退。山を穿つ派手さは、どことなくPSPの「ウルトラマン ファイティングレボリューションリバース」(以下FER)のそれを思い出させます。時代に先駆け過ぎたな、あのゲーム。

余波でビルを破壊するFERのスペシウム光線

電光石火作戦

 本作でのケレン味を一身に背負った長澤まさみの登場。そしてネロンガ去ってまた一難。ガボラの出現です。矢継ぎ早に禍威獣を出すとはわかっているじゃないか。
 さて、このガボラも一般認知はあまり高い方ではありませんが、

・もともと「ウルトラQ」から登場するはずだったパゴスの代わり
・その名残から劇中の人物で既に存在が認知されている
・ウランを好物としている
・ネロンガの着ぐるみを流用している

 などの特徴から、本作ではパゴスと同種族かつネロンガの進化体として位置づけられています。ゴジラでも描かれた「怪獣と放射能」のトレンドを非常に反映させやすい怪獣と言えるでしょう。

 なにより最大の特徴は、

 ウルトラマンがスペシウム光線を使わずにトドメを刺した怪獣であること

 予算と制作の都合で三分間しか戦えないが、逆に言えば三分は間をもたせる必要のあるウルトラマン。画的にも毎度新しい刺激を求められるため、当時は主に流行していたプロレス技で怪獣と組みあい、そのまま倒してしまう事も少なくありませんでした。ガボラもそうした例のひとつです。格闘戦もまたパブリックイメージとは異なる意外性、それでいてウルトラマンの本質的な要素なのでした。
 すなわち、このガボラはベースとなる「ウルトラマン」から五本(ゼットンは固定なので実質四本)の印象的なエピソードを選んで現代向けに再構成するにあたって最適の人選、もとい怪獣選なわけです。個人的にはこの絶妙としか言いようのない配役が今回いちばん純粋な意味でマニア心を燻られた部分かも。

左上からバラゴン→パゴス→ネロンガ→マグラー→ガボラ→(アトラクション用のネロンガ)→バラゴン。

遊星から来た兄弟

 さて、いよいよ庵野秀明がかねてから愛着のほどを公言していたザラブ星人。公開前のオタクもスクリーンで暴れ回るにせウルトラマンを幻視しながら待ちわびた瞬間でもあります。余談ですが、こいつは登場する度に本職の声優(故・青野武氏、関智一氏、津田健次郎氏など)が当てているので毎回やたらといい声だったりします。
 一見、有効的な態度を見せつつも色々と工作を進めるザラブ。そうした動向をきちんと掴んでいる”優秀な公安”も昨今の邦画トレンドとの噛み合いを感じます。しかしリアリティラインが多少引き上げられているとはいえ、彼の役どころ自体はオリジナル版と大差ありません。人間同士の争いを誘発させて侵略、滅亡を企む発想そのものは「ウルトラマン80」のバルタン星人(6代目)などでもお馴染みの手口ですしね。
 
 おそらく「シン・ゴジラ」のラインでこれをやったら毎回ザラブと会うたびに閣僚会議やら総理レクやらを挟む羽目になるのでしょうが、一度やった事であるし、なにより一話完結のオムニバス形式であった「ウルトラマン」の作風と乖離する事から今回は必要最低限という判断なのでしょう。(怪獣よりも他天体からの侵略者が大半を占める「ウルトラセブン」をシンでやるならこの限りではないでしょうけど)
 ともあれ公安にマークされるザラブ星人を見られるのは現状、本作だけ。総理大臣と握手するカットもモデルのおかげか異様に愛嬌があってよかった。

権力中枢に入り込むザラブ(異物)の不気味なること

 
 ウルトラマンの正体を匿名でネットにリークし、我々の期待通り「にせウルトラマン」となって暴れ回るザラブ。かつてのニセモノが須らく視聴者の見分けや着ぐるみの流用といった大人の事情でいかにもな仕上がりだったのに対し、あらゆる制約をとっぱらった今作ではほとんど見分けがつきません。(目がやや厳つい程度)
 しかし、如何に津田健次郎の声帯と令和のリアリティが味方をしても後述のメフィラスに比べるとどうにも詰めの甘さは抜けきれないのが、ザラブのザラブたる所以。とりわけオリジナル版で固執したベーターカプセルの在り処を些細な問題として放置した事が重大なインシデントに繋がったのは皮肉としか言いようがない。(単に忘れただけのハヤタとは違って神永が一枚上手だったのもあるが)
 
 そしてここからが(個人的に)本題。庵野イチオシのウルトラマンvsにせウルトラマン、当然いちオタクとして彼のセンスを信用している僕としても事前に楽しみにしていた場面のひとつなのですが、、、

これそのままやんけ!!!!!!!!!(感涙

 なんということでしょう。崩れたビルから颯爽と現れる本物のウルトラマン、流れる劇伴、果てはカメラワークや要所要所のスペシウム光線に至るまでの殺陣がほぼオリジナル版のそれを踏襲した造りではありませんか(仰天)
 これを見た僕はゴジラとエヴァで180億稼いだオタクが、自分の好きな場面を自分の作品で忠実に再現している事実に対する憧憬を一心に募らせながら人目をはばからず号泣してしまいました。あるいはこのシーンの担当が1から10まで樋口真嗣監督の手によるものだったとしても同じことです。言えることはひとつ……ぽまいら、そんなにウルトラマンを好きになったのか、と。

手を痛めるカットも当然のように再現されている


出た!メフィラス星人だ!

 ネロンガ、ガボラ、ザラブと来て次に待ち構えていたのは山本メフィラス耕史。予告の時点でTwitter界隈をざわつかせた怪演も本編では天井知らず。まずはデモンストレーションと称して「フルCGの長澤まさみを巨大化させる」というある意味、神をも恐れぬ暴挙でもって劇場を震撼させました。いまにして思えば「エヴァ」で見せた巨大な綾波も元はこのシーンのオマージュだったのかもしれないな……。
 ちなみにこのシーン、エキストラで参加された方曰く、「いまからセクシーな巨大禍威獣が暴れるので、皆さんは興奮気味に下からカメラで撮ってください」というディレクションだったとか。

原作のメフィラス星人も科特隊の紅一点であるフジ隊員を一時的に巨大化させて宇宙人の群れと共にオフィス街に放り込むといった恫喝に及んでいた

 しかし単なる恫喝に過ぎないと思われた巨大化には、ある重大な意図が隠されていました。それはすなわち「ベーターシステムによる巨大化に適性がある人類」と、「巨大化人類に生体兵器として有用性を見出す外星人(マルチバース理論に基づく並行宇宙の存在も含む)」の存在です。よもや諫山先生がリアルなウルトラマンをやりたくて描いたと公言していた「進撃の巨人」のエッセンスが巡り巡って行き着いた先がこの有り様になろうとは……お前が始めた物語だろ。
 外星人メフィラスは今後、人類が他の外星人や禍威獣から自衛する手段としてベーターボックスを提示し、その見返りという形で体よく地球を実効支配する権利を承認させようと画策しているのでした。こんな作品の根幹に関わるブラックボックスを知らぬ存ぜぬで通していたザラブくんェ……。
 もともとウルトラマンと互角以上に渡り合ったメフィラス星人に比べると格下扱いを受けていたザラブ星人ですが、本作ではそれがより明確な形で反映されていますね。よく考えたら彼がウルトラマンについて知ってる情報もスペシウム133の話しかなかったわけで。電子情報への干渉にしろ狡猾さにしろ、肝心の武力にしろ……マジで……すべてが下位互換……。
 
 その後、公園でぷらぷらしながら「ウルトラ怪獣酒場」よろしく飲み屋で侵略の展望を語る外星人ふたり。この画、実相寺がやったら干されてますよ。ザラブよりよほど事情通のメフィラスはすべてのお膳立てを整え、光の星のルールという交渉カードでもって優位に立ちますが、ウルトラマン個人の意思は曲げられず。おそらくですが、仮に上手いこと運んでたらここの勘定は気前よく払ってくれたんだろうなー。(そういう親しみすら湧いてしまうのが外星人の怖いところ)

 ところで、かつて地球の代表として子どもを選び、地球を差し出す言質を得ようとしたものの失敗した初代メフィラス星人。彼が去り際に放った言葉は以下の通り。

よそう。ウルトラマン、宇宙人同士が戦ってもしようがない。
私が欲しいのは地球の心だった。
だが、私は負けた。子供にすら負けてしまった。
しかし、私は諦めたわけではない。
いつか私に地球を売り渡す人間が必ずいるはずだ。必ず来るぞ!

ウルトラマン 第33話「禁じられた言葉」より

 そして今回、結果として外的要因に阻まれたとはいえ為政者(大人)のサインで合法かつ自発的に地球を売らせる事にまんまと成功した外星人メフィラス。メタ的には実に半世紀越しの悲願達成だったわけですが……なんともなぁ。(金城哲夫脚本っぽい皮肉を感じる)
 
 売国ならぬ売星の調印式直前、ウルトラマンともあろうものが変態行為に及んだ成果でぎりぎりでベーターボックスの奪取に成功、やむなく実力行使(私の苦手な言葉です)に及ぶメフィラス。邦画で180億稼いだ実績があれば長澤まさみをそんな使い方してもいいんだ……。※
 
 ここの着ぐるみ特撮にはないスタイリッシュムーブはひとえにCGの面目躍如。光線の撃ち合いだったりも原作に近い描写ですが、なにより気になるのはロケーション。帰マン辺りではお馴染みのコンビナートでここだけは庵野秀明の趣味だとはっきりわかる。ちなみにまったくの余談ですが、最近もどっかで見たなこの画……と思ったらゴジラVSヘドラ(2021)でした。

 お互いに余力を残したまま拮抗していた原作とは異なり、戦いは終始メフィラス優勢で進みます。ウルトラマン、あわやここまでかと思いきや、背後にふっとサブリミナルホラーめいて映りこんだ緑のアイツを見て即撤退を決める山本耕史。やはり唐突感は否めませんが是非もなし。また次回の来訪時には是非、
 「卑怯もらっきょうもあるものか! 私の好きな言葉です」
などと嘯きつつ自販機のジュースに変な草を混ぜにいらしてください。

いつも僕らを見守って

さて、問題の緑のアイツですが……


>宇宙人    ゾーフィ
 

宇宙人 ゾーフィ!!!!!!!!!???????????

 わるいインターネットでしかついぞ見ることのなかった文字列に心が震えた。宇宙人ゾーフィとは、当時の子ども雑誌に掲載された「ウルトラマン」最終回の没プロット&誤植ネタ。まさしく知る人ぞ知る……というか、オタク以外のだれがこんなん知っとるのん。
 実際の最終回に現れたゾフィーはゼットンに敗れ、傷ついたウルトラマンを迎えに来た光の国(M78星雲)の使者で、現在は宇宙警備隊隊長とウルトラ兄弟の長男を務める、いわばウルトラマンの義兄に当たるほどの人格者です。つまり上述のゾーフィの早バレ画像はあくまでSNSどころかインターネットさえ無かった昭和のおおらかさを象徴する一枚だったのですが……いや、いま見てもインターネット過ぎてびっくりするな。白昼夢?
 もともと発言を捏造されたり、客演での活躍が芳しくないばかりに「ファイヤーヘッド」などと弄られ、インターネットとの相性がウルトラ兄弟でも随一だったゾフィー兄さんの風評被害は令和においてもとどまるところを知らない。

「安心しろ。ゼットンは私が倒しておいた」


 ともあれ人類の進化を恐れ、組み立て式のゼットンを携えて現れた光の星の使者ゾーフィ。このゼットンが吐き出す火炎の熱量はなんとびっくりオリジナルと同様の摂氏1兆度。初代ではこんな感じで軽く避けられていた火の球なのですが……

※摂氏1兆度です

 ところで皆さんは義務教育時代、学校の図書室に「空想科学読本」という図書があったのをご存知でしょうか。この書にはアニメや特撮の技を現実に実行した場合の作用を科学的に検証した、いわゆる”ツッコミ”が記されています。その中にはウルトラシリーズに纏わるツッコミも当然用意されていて、ゼットンの1兆度火炎に関する記述もありました。それがこちら。


太陽系、滅びます。

 同書によると実に1テラケルビン、太陽の約470兆倍もの熱が発生した場合、太陽系はおろか402光年先までγ線が降り注ぎ、周囲のあらゆる生命体が確実に死に絶えるとのこと。この科学的根拠に基づいて導き出された純然たる事実に対して、シン・ウルトラマン(庵野秀明)の用意したアンサーは、

「そうだが?」

 そう、なんと我らが庵野秀明は、わるい大人の考えた無粋なツッコミと真正面から向き合い、あまつさえそれを逆手にとってゼットンをマジで太陽系滅ぼす天体制圧用最終兵器に仕立てあげたのでした。(終)

 ……。
 オ、オ、オタクーーーーッッッッ!!!!!!!

THE FINAL SHOWDOWN?

 ゾーフィの打診をもちろん速攻で断り、禍特対の仲間にゼットンの事を打ち明ける神永ことウルトラマン。そんな当事者抜きの事務的なコミュニケーションで地球の趨勢を決められても……。
 そして恫喝は私の苦手な言葉です、と言わんばかりの政府の男(竹野内豊)との応酬。個人の学びから恫喝は人類の悪しき部分であると結論付けた外星人の言葉は重い。これまでのウルトラシリーズでも度々人類の愚かさ、卑しさと向き合い葛藤する場面は多く存在しましたが、好意とは別に躊躇いなく滅ぼすことが出来ると言ってのけるウルトラマンは後にも先にもこの人だけな気がする。
 この場面は尺の都合か政府側はややあっさり引き下がったなという印象。現実問題、遠くの1兆度より隣国の核が差し迫る状況は相当に世知辛いと思うが……。

 ウルトラマンVSゼットン。原作でも唯一土をつけられた(ゴモラ初戦はカウントせず)だけあって、初代が題材のゲームでも大抵の場合クソ難易度にさせられることの多いカードですが、今回に至っては単独で要塞攻略するようなものなので、もはや怪獣退治ですらない何かに。

 

    ところで今作は全体的に「ウルトラマンといえば飛び人形のぐるぐるですよね!」みたいなテンションでずっとぐるぐるしてたり、スペシウム光線よりも八つ裂き光輪(物騒なので近年はウルトラスラッシュに言い換えられる中、頑として譲らないネーミング)を自然と多用する辺り、樋口、庵野とも呼吸するようにオタクをやっているな……と。
 当然のようにウルトラマンが敗れ、1兆度の火球という、あくまでも空想科学であってほしかったモノが頭上に迫る中でも人々の営みは続きます。ライフゴーズオン。滅びゆくその日まで。皮肉にもメフィラスが企図した、知恵でも力でも及ばぬ無力感が人類に植え付けられる中、滝くんは神永の遺したデータをもとに最後の足掻きに出ます。
 ここのカタルシスも「シン・ゴジラ」でやったこともあってかなり淡泊な印象を受けますが、むしろ肝心なのは「ウルトラマンは神ではなく、命を持った生命体」というメッセージの方なのでしょう。(これについては後述)


 そうして人類がゼットンを倒す唯一の手段として導き出された回答……それはまさかの、

ぐんぐんカット
ニレンダァ!!


 要するに、ベーターカプセルを通じて別空間に保存されているウルトラマンの身体を射出する際に発生するエネルギーを利用し、二段ロケットのような感じでゼットンの懐めがけて飛び込む特攻作戦なのでした。

 ……これはもうやりたいだけだろ!!

 ウルトラマン結構見てる自信のあった僕ですが、まさかぐんぐんカットにそんな物理的なパワーがあるだなんて……いや、出てくるときたまに怪獣突き上げたりとかはしてたけど……。
 失敗するとウルトラマンが別宇宙に吸い込まれる点も含めて、なんかバグ技使ったRTAみたいだなと思いました。(1敗)
 何気に本作のぐんぐんカットはここが初お披露目なんですが、未だにCGのカットは慣れないというのが正直な感想。画的にも残り時間の表示はちょっと陳腐なような……デザインワークスで言及のあった納得がいかないクオリティの部分はこの辺りじゃねーかな、と個人的には思ってしまった。

さらばウルトラマン 

 なにはともあれ作戦は功を奏し、ウルトラマンというファクターを伴いつつも人類の英知でもってゼットンを倒すことに成功します。
 原作では完全に人類の独力による発明で、ウルトラマンに頼らなくとも人類は己の力だけで地球を守れるし、そうするべきであるという形で自立が描かれていました。他方で今作は人類が今後、光の星の住人のような宇宙の調停者へと進化するポテンシャルを認めるにとどまっています。この異同に関しては賛否ありますが、個人的にはごく簡単な話で「ウルトラマン」で描かれている舞台は(設定上は)未来であるのに対し、「シン・ウルトラマン」はあくまで現代の話だからという一点に尽きるのではないかと感じます。

「メトロン星人の地球侵略計画はこうして終わったのです。
人間同士の信頼感を利用するとは恐るべき宇宙人です。
でもご安心下さい、このお話は遠い遠い未来の物語なのです。
え?何故ですって?
我々人類は今、宇宙人に狙われるほど、お互いを信頼してはいませんから」

ウルトラセブン第8話「狙われた街」

 ゼットンを倒したはいいものの、なにやら2021年3月ごろに見た覚えのある空間に吸い込まれるシュールな絵面を展開しながら次第に力尽きていくウルトラマン。そして彼の元にふたたび現れるゾーフィ。まさしく九死に一生を得たウルトラマンは彼に、決死の覚悟と生への渇望が同居していた事、そして自身が命を救われた事への感謝を述べます。代わりの「命」を持っていたり、カラータイマーが止まってもなんらかの要因で生き返る事の多かった従来のウルトラマンとは異なり、リピアはひとつ限りの命を持った生命体である事のなによりの証左と言えます。
 さて、おそらく搦め手とはいえ送り込まれたゼットンを倒した文明は前例がないのでしょう。ゾーフィの口から光の星の認識としてこの先、人類のポテンシャルに気付いた外星人があらゆる天体やマルチバースから来訪するであろうこと、そうした脅威に立ち向かうには現代の人類ではまだ幼いなどの認識が示されます。それらに自力で対処する事が出来ると示した「ウルトラマン」における人類はある程度、成熟していると言えるのかもしれません。
 
 ゾーフィとの対話も概ね原作を踏襲しており、それに合わせて声の芝居に関してもかなりオリジナルのそれに寄せているなと感じました。樋口監督のインタビューによるとこのシーンのリピアの声は斎藤工氏ではないとの事なので、おそらくクレジットされていた高橋一生氏が声を当てているのだと思います。あまりのリスペクトぶりにふたたび目から男汁を噴き出すぼく。はっきり言って嗚咽寸前でした。

 神永の自己犠牲を契機に人間という存在に興味を持ったウルトラマン。ただしその理由は、彼を死なせてしまった自責でもなければ自身を省みず他者を守るという姿勢に共感を覚えたわけでも、ましてそれに胸打たれたわけでもなく、単に不可解であったから。そのため彼は人間と同化する事で人間を知ろうと努めます。そんな彼の目に人間がどのように映ったのか。それは「人間はわからない」ということ。ひとつは一連の事件が人間の善的な性質、悪的な性質の両面をつまびらかにしていたこと。優れた個体と弱いがゆえの群体の違いでもあるのでしょう。いくらでも矛盾し、その都度に折り合いをつけようとする人間の精神構造は同じ人間ですら図れません。まして根本的に異なる価値観を持つウルトラマンがそれを認識するのは困難でした。或いはメフィラスも同じ理由で、下劣な輩の存在に心から思い至らなかったのかもしれません。そんな理解できない他者の存在をわからないなりに分かろうとするウルトラマンの姿を指して、ゾーフィは言います。「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」と。
 
 これを観て僕はある種、「エヴァンゲリオン」とはそういう話であったのだな、とあらためて合点がいきました。思い描く理想の他者の像と、実在の他者の思惑が異なるように、他者とは常にわからないまま自己とは別にあるもの。そうした事実をただ肯定することが庵野秀明氏の中で「好き」に通じるのだと。
 この解釈がはたして合っているのかどうかはわかりませんが、僕も、わからないなりに彼がウルトラマンに見出したものの一端に触れる事が出来たのを嬉しく思います。

総じて

 つらつらと思いの丈を綴ってきましたが、曲がりなりにも学士号を拝領した身としてはまず結論から述べるべきだったな、と反省しています。

 めちゃくちゃよかった……。

 初日に観たのでつい一般ウケとか興行成績とかを気にして余計な事ばかり考えてしまいましたが、ただただ、ウルトラマンのオタクとしては本当にこの上なく嬉しいものを見させていただきました。
 願わくば本作の成功をきっかけに金のかかった着ぐるみ特撮の復興と、庵野秀明氏が直々にメガホンを取るであろう「シン・帰ってきたウルトラマン(仮題)」の制作が華々しく決定することを祈るばかりです。

遊星より愛をこめて

砂塚ユート

 追記:一部で騒がれているシーンに関して。
 いわゆる「変態行為」のシーンについてですが、これは「新劇場版エヴァ」で真希波マリがたびたび人の匂いに言及していたのと一致したテーマで描かれているのだと思います。一種のセルフオマージュ……というより種明かしのようなものでしょうか。ある種の人外である彼らは数値化された臭気濃度とは別に、匂いを通じてその個体の特徴や記憶の一端を感じ取ることが出来る器官が備わっている事の示唆であると思われます。
 また別の場面で浅見が神永のお尻を叩いて送り出すシーンも、ウルトラマンにはおよそ馴染みのなかった、肉体的に距離の近いコミュニケーションの仕草を通じた「内向きに閉じた世界を打破する他者の存在」、すなわちこれも同様に「新劇場版」でマリが負っていた役割が反映された結果だと考えています。(自身にとって不明な他者の存在がウルトラマンの人間に対する好感に起因するため)
 
 もっとも実写とアニメでは同じ描き方でも受け手の印象、質感は大いに異なるので人によっては受け付けない事もあるだろうと理解しています。しかしその上で、これらは決して文脈のない無駄なセクハラ描写ではないという点をご留意いただければ両作品のファンとしては非常に幸いに思います。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 全記録全集』 参考

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