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SHELL and JOINT

映画「SHELL and JOINT」を観てきました。

正しさって誰の正しさなんだろう?
そのものさしは誰が決めたものさし?
誰でもない自分で決めた正しさやものさしの中で生きている。
それが良いとか悪いとかでもない。
みんながそれぞれの自分の世界で生きている。
交差することも交わることもない世界がある。
そんな世界があることも知らずに生きている。
多様性なんて言葉で片付けられることでもない。

自分がいる世界は狭くて小さい。
その小さくて狭い世界の中の枠やルールにガチガチにハマっているのは紛れもなく自分自身だ。

何者になる必要もないし、
何かを成し遂げる必要もない。
なんなら自分のその小さな世界で繰り広げていることは他の世界からしたら大したことでもなんでもない。
後生大事にしてたとて所詮は自分が体感したことは他人には分かりえないものなのだ。
そう、分かり合えることなどないのだ。
それでも人は分かろうとしたり分かち合おうとするものなんだろう。

男とは?女とは?エロスとは?
男がいなくても生きていけるし女だけでも生きていける。
昆虫で例えられていたけどメスだけで子孫を残している生き物はいる。両性具有だっている。
女同士だって男同士だってありなのだ。
そもそも人を性別と分ける必要があるのか?!
年齢とか性別とかを超えて惹かれ合うものがあったり、エロスを超えた関係性があったり、そんなものがあっていいでしょうよ。

みんながみんな生きたくて生きてるわけでもなく、ただただ生かされているのだろう。
死にたくっても死ねない人もいて、
生きたくても生きられない人もいる。
ただ生きていることが幸せなのか?は死んでみなければわからないもの。

人として生を受けているのも奇跡的で一発勝負でここにある。
瞬殺される命もある。(害虫に生まれていたら瞬殺だろう。そして当たり前に殺される)
ただ命が尽きてもその想いや記憶は誰かの中に残っていく。命が消えたとて。
そう記憶は受け継がれているのかもしれない。
抗えないことやコントロールができないこともあるでしょうよ。
自分でも言葉にできないようなことも。
それは自分の意思とは関係なく記憶からきていることだってあるのかもしれない。

深く深く考えると共にクスッと笑って軽くなる。
なんでもアリだよねと思えて心も軽くなっていた。


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