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僕は見たことしか書けないし、これは恋愛でもなんでもない。

ねこ‐ぜ【猫背】

首をやや前に出し、背を丸めた姿勢。また、そのようなからだつき。ーー「デジタル大辞泉」


***

僕は猫背だ。

もちろん立っているときに限らず座っている時もだ。

だから、御多分に漏れず電車内で座っている時も背中を丸めている。

猫背の人はわかると思うが、
猫背の人は胸を張って生きている人よりも視界が若干低い。

立っている時は相手の胸から腹に視線がいき、

そして、座っている時は相手の膝から脛に視線がいく。

誤解がないように言っておくが、決して意識的に胸や膝の辺りを見ているわけではない。

身体的な特徴のため、やむなくその辺りに視線がいくということなのだ。

だから、電車で座っているときは対面に座っている人を足で判断することが多い。

泥の跳ねた太いジーンズを履いている男性。カラータイツの女性。黒いスキニーパンツを履いている性別の分からない人。

季節がら春めいたファッションが足元にも目立つ。

真っ白なスニーカー、青いデッキシューズ、薄黄色のパンプス、そして、裸足。

…裸足?はだし!?

「おいおい、いくらなんでも裸足はファンキー過ぎだぜ。」

と思い視線をあげていく。

くるぶしから脛、膝辺りを見てみる。

……この人は、ジャージを着ている。

高校生が履くような緑のジャージで、これまた高校生がするように片足だけ裾をまくっている。

どんなファンキー高校生なんだ。

視線をどんどんあげていくと、なにかを抱えているようだ。

その人はスケッチブックを抱えていた。

しかも、どうやらスケッチブックに熱心になにかを書き込んでいる様子だ。

電車の走行音で聞き取りにくいが、

シャッ、シャッっとペンを走らせるいい音が響いている。

なにを書いているんだろう。

電車内になにかモチーフがあるのかな?

書き手の顔を確認しようと顔をあげる。

なにも見てない。

しかし、その人は何かを一生懸命書いている。

なんだろう?何を書いているんだろう?

あまりに視線を送ったせいか、書き手の人と目が合う。

高校生。

とは思えなかった。

驚いたことにその書き手は女性だった。

まだ、20代前半だろうか。

年頃の女性なのに容姿に興味がないみたいで、髪がボサボサだ。よくみると上半身のジャージには絵の具らしき汚れがたくさんついている。

目が合って、反射的に会釈をする。

相手も不思議そうに会釈を返す。

「あの、何を書いているんですか?」

こうなっては、もはやヤケクソだ。

僕の人生史上ありえないことだが、見ず知らずの人に声をかけている。

するとその人は「こいこい」と言わんばかりに手招きをする。

その人の隣にいき、スケッチブックを見せてもらうと、

スケッチブック一面に花が書いてある。

書いてある。という表現は適切ではないかもしれない。

とても完成度の高い写実的な絵だ。

咲いている。という表現をした方がいいくらい写実的だ。

「すごい……!」

電車内にしては若干大きい声を出してしまって恥ずかしかったが、「すごい」なんて言葉では表せないくらいすごかった。

その人は僕の感動なんかそっちのけで、どんどんどんどんペンを走らせていく。

黒ペン一本でよくもまあこんな絵が書けるものだ。

この人には景色がどんな風に見えるのだろう。

視線をその横顔に向ける。

不潔を絵に書いたような人だったが、美しく清潔な肌をしていた。

しかも、

しかも、ちょっと可愛い。

頬は若干こけているが、鼻筋が通っていて、大きな目をしている。

睫毛が長いんだな。

と思いながら横顔を眺めていたら、また目が合う。

反射的に会釈をする。

その人も不思議そうに会釈をする。

そして、爆笑される。

「目が合ったら会釈っていうのは癖なんですか?」

「や、そういうわけでもないんですが……」

「美大生さんですか?お上手ですね」

「ありがとうございます。でも美大生ならもっと上手く書きますよきっと。私は……」

そう言葉を区切ると指で何かを数えはじめた。

「私は予備校生です。いま五浪中です」

「五浪!?厳しい世界ですね……」

「まあ、そうですね!頑張らないと!」

ハハッと快活に笑って、彼女はまた絵を書きはじめた。

僕は目的の駅に着くまで彼女の絵をずっと見ていた。

彼女の書いた絵を思い出す。

フェルメールの絵を初めて見たときの感動に似ている。

彼女の横顔を思い出す。


***

ひとめ‐ぼれ【一目×惚れ】

[名](スル)一度見ただけで好きになること。「受付嬢に―する」ーー「デジタル大辞泉」

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