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大喜利人生。

求められていることを喋ることが評価されやすいと思う。

経営者は経営者らしく。

母親は母親らしく。

就活生は就活生らしく。

相手の質問に100点でこたえる。

聴衆を感動させる話をする。

社会的に意義のあることを言う。

それが上手な人ほど早く成功しやすいのかもしれない。

でも、その大喜利の答えは自分が心の底から思っていることではないことが多い。

その成功が行き着く先は空虚なものだと思う。

自分の言葉は自分の心からどんどん離れていき、「正解」を言うことばかり上手くなっていく。

本心を知られれば全てが崩れるから、他人に対して壁を作って怯えながら過ごさなければいけなくなる。

そんな人は魂が死んでいる。

本当の意味で生きていない。

ずっと苦しそうじゃないか。


社会に求められる美徳に応えようとする人こそそうなる。

社会の被害者だ。

でもその被害者は、その美徳を次の人に押し付けようとしてしまう。

自分はこれで成功しているし、何より自分は捨てたのにあなたが捨てないのは許せない、と。

僕にはその人がいつか鎧を剥がせますようにと祈ることしかできない。

その瞬間が必要なら来るだろうし、そうじゃないなら来ないんだろう。


この言葉の意味が本当に分からない人がたくさんいると思う。

そんな人こそ深く呑み込まれてしまっているのかもしれない。

気をつけて。

そうじゃない道もあるはず。

もちろん、それが楽しいなら良いと思うよ。

人それぞれ、生きるべき別々の人生がある。


では、また。


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