悟りって

悟りって簡単に言うとなんだ?

どうやらあきらめるということで
自ら求めないことで
求めることのすべてが失われない

だからなにも奪われず心に平穏が訪れる

自ら求めないから
外部から受け取るのみになる

つまり自分から欲して手に入れようとすることで
手に入らないという苦悩が生まれる

こうあるべきだとか
こうなってほしいとか
ここでいう ”こう” というのは ”固定” である

この世には何一つとして固定してとどまっているものは無く
常に変化し続けて移り変わって生まれては死に
出来ては壊れて無くなっていく

悟りとは
妄想(固定)を捨てた状態

私はこういう人間でこうう個性を持っているという認識・意識 ⇒ 妄想
相手はこういう人間でこんな個性を持っているという認識・意識 ⇒ 妄想
こうしたいという気持ちや欲求⇒ 妄想
⇒ つまり 自我 = 妄想 ⇒ 借り物の体と心と命

(自分というキャラそのものが妄想なのだ)
(相手というキャラそのものが妄想なのだ)
(こういう世界という概念そのものが妄想なのだ)

自分は生まれてきた ⇒ 事実
自分は生きている ⇒ 事実

自分はこういう人間だ  ⇒ 妄想
相手はこういう人間だ  ⇒ 妄想
この世はこういう世界だ ⇒ 妄想

現実というのは
自分の心が作り出した思い込み・妄想世界なら
妄想次第でどうにでも現実を作り出せることになる

それがスピリチュアルの嘘の部分である

つまり事実と妄想を区別することで
悟りが開かれるんだと思う

辛い=妄想
なぜなら、おもいどうりにならないから辛いわけだ
ではどうやったらおもいどうりになるのか?
それは本当のことだけを観ること。

本当のことをありのままに見て
そうなんだと思う、ここまでは真実である
その次に生まれてくる様々な思考や感情や欲求は妄想である

この世界の本当のこととはなんだろう?

宇宙があって
地球があって
世界があって
国があって
地域があって
家があって
自分がいる

ここまでが真実である。

その先にある、自分の 心 が生み出すものが 妄想 である
妄想=心の生み出すもの=感覚=感情=思考=嗜好 ⇒ 色欲

真実とはそこに現れている現象そのものであり
それをどう感じるかという部分が妄想である

宇宙がある=真実
地球がある=真実
世界がある=真実
国がある =真実
地域がある=真実
家がある =真実
自分がいる=真実
自分が感じる=真実

自分が感じた後に生まれる真実に 色 を付けたものすべては妄想である

このことから僕は色欲こそが妄想であり
すべての欲求は最終的に色欲につながってると思うんだ

A ありのままの事実・現実・事象 = 真実
B Aに色欲が加わったもの = 妄想

このBが 全ての 苦 の正体である。
Aにとどまっていれば 苦 は生まれない。
Bに移行した瞬間から 苦 は生まれ続ける

だってありもしない妄想に踊らされて
それを信じ込み執着してるだから ・・・。















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