自信を持ってもいい基準

自信を持って「○○できます。」と言ってもいい基準はどこからなんだろう。
学校でも、家でも、会社でも「できます」という言葉の持つ意味は人によって違うのだろうけど、明確な基準があればいいのに、そうすれば自信を持てるのにとずっと思っている。

わたしがよくぶつかるのは「○○語ができます。」という基準だ。
挨拶ができたらそれで話せるといっていいと思っている人
その言葉を話す国で生活できれば話せるといっていいと思っている人。
もしくは学問の高度な段階で使う複雑な単語を知っていればできるといってもいいと思っている人。
またネイティブのように話す聞く読む書くができなければ、できるといっていいと思わない人もいる。

わたしはこの壁に幾度となくぶつかってきた。

例えば、留学先ではある一定の英語力が必要とされる。そういう時に怖じけずいて「(ネイティブのように)話せません。自信がありません。」そういう言動、態度をとるとどうなるだろう。授業のディスカッションから弾かれてしまう。そういう時は自信を持って、少しくらいわからなくても「話せます!少しゆっくりいってくれると助かります!」という姿勢でいると拙くなっても、何度も聞き直しても輪に入れるし、「英語できるじゃん!すごいね!いいね!」とクラスメイトとの壁が低くなり、馴染める。
なので海外にいた時は、あたかもネイティブです!というような姿勢で、覚えたスラングを使ったり、自信がなくても少しくらい発音がおかしくても堂々と英語を使っていた。
わたしは英語ができていた。

一方で日本に帰ってきてからはその基準が揺らいでしまった。
日本の英語ができると言ってもいい基準は“TOEIC”だったのだ。
ご存知の通りTOEICは英語がネイティブではない人の英語力を990点満点で測るテストだ。
就職活動、転職活動、もしくは何か英語が絡む仕事に手をつける時に必ずと言って聞かれるのは「TOEICは何点ですか?」という質問だ。
わたしは英語のテストの類が苦手で4年前に英検準一級をとって以来、TOEICもTOEFLも受けた事がなかった。大学2年の時に受けたTOEICは650点くらいだった。
そのため毎回「英検は準一級ですが、TOEICは直近で受けていません。」と答えていた。
するとどうだろう。
TOEICを受けていない人はその英語を話せるかどうかの評価の舞台にすらあげてもらえないのだ。
アメリカでの10ヶ月の留学、9ヶ月の就労。どう考えても生きていける程度その国の言語である英語は話せるのだ。
病院に行ったり、大学の職員と戦ったり、レストランでオーダーしたり、はたまた州I.D.のような公的なものを発行してもらえるくらいは話せるのだ。

それでも数値化が大好きな日本は英語力も数値で測るらしい。
わたしはそれで完全に自信をなくしてしまった。いろんな国の友達と楽しく話せるのにわたしは英語が話せない事なの?英語で契約書を読んで契約できるのに英語ができるって言ったらダメなの?
わたしは日本では英語ができない人なんだ。
そんなモヤモヤが連なっていった。

転職活動の時にそれは完全に足かせになっていた。できる自信があった英語を「あなたはできない」ととある企業で指摘されたのだ。
悔しかった。
なんだよそれ。
英語で面接してもいいんだよ。
絶対できるよ。

そんなことを言っていても仕方ないと6月に入り一心発起、TOEIC受験に向けて勉強を始めた。
勉強をして気づいたのはTOEICはテクニックでどうにでもなるテストと言われている理由だった。
今回の本筋とズレるので書かないが、動詞形容詞名詞の分別のコツがわかれば、単語の意味なんて知らなくても解ける問題がほとんどなのだ。リスニングに至っては、集中力さえきれなければ絶対に解けるレベルだった。

そんなこんなで、自信を取り戻すために受けたTOEICの結果が返ってきた。
1ヶ月少し、ほぼサボりながら勉強した結果が下である。

嬉しいような悔しいような絶妙なスコアだった。最初見た時は驚いた。「え、英語のテストが苦手なわたしがこの点数?」しかし、しばらくたって冷静に考えると「これしかできないのか、やっぱり英語できないんだな」と思ってしまった。

基準は非常に難しい。
それに振り回されて自信をなくしてしまうのもわかる。
話せる、できるの基準、あなたはどう思いますか?

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