2022年10月3日

雨はいつの世も趣深い。古くから短歌で歌われ、今日に於いても雨をテーマにした文化的作品は後を絶たない。
今日は偶然だが、雨がテーマの映画を2本観た。1つは「雨を告げる漂流団地」、もう1つは「天気の子」だ。雨を告げる漂流団地は深夜にNetflixで観て、天気の子はリバイバル上映を映画館で観た。どちらも水に対する作画のこだわりを感じて、勢い、瑞々しさ、力強さ、美しさ、自由さを余すことなく描き切った作品だと僕は感じた。
雨は温暖湿潤気候の日本においては無視することの出来ない現象だ。海の水が蒸発し空へ登り、空気中の塵を核にして雲が生じ、ある時溢れて真っ逆さまに落ちていく。川から海へ流れ出て、やがて海から雲が出来る。水という非常に特殊な物質の大旅団による高さ数千メートル横数千キロメートル規模の豪華世界旅行だ。
どちらの映画においても描かれていた、雨上がりに水溜まりがピタッと張り詰めて世界から一切の音を排除したあの瞬間が凄く好きだ。それは直前の雨による雑音とのギャップからなるもので、無音というのはこれほどまでに静かなのかという至極当たり前のことをこの上なく頭の奥の方で感じることが出来る瞬間だ。時にはけたたましく騒ぎ立て、時には死んだかのように静まり返る水の大旅団は芸のある役者だと僕は感じた。
映画の内容に関してで言うと、雨を告げる漂流団地は全体的なシナリオが冗長で登場人物を活かし切れていないと感じたり、天気の子は2度目の観賞だったが結局エピローグの内容、長さが納得出来なかったりと否定的に感じた。しかしどちらも全体的に面白いは面白いし不満点を押し切る絵力があり「どちらかと言うと好き」な作品ではあった。雨が題材というだけで画が素晴らしくなるので、今も昔も日本の文化の中心に雨は存在するのだと僕は思う。

やはり僕は雨が好きなのだと再確認した1日だった。

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