2022年9月13日

歌集を読んでいる。初谷むい「わたしの嫌いな桃源郷」。僕には詩や短歌がイマイチ理解出来ない。それでも、「この人は何を言っているんだろう。」と首をひねりながら読む。読むと言うより、目に入れている。
説明的な詩は優しい。言っていることが理解出来る。主語述語が対応していて、言葉を脳が情報に翻訳することが出来る。ただ、何かの比喩表現や抽象概念をそのままに言葉に落とし込んだものは日本語なのに脳で翻訳することが出来ない。僕は今「分からない」を体験している。31音で1単語のような新概念をインストールしている。新しい概念だから、それが何なのかは分からない。説明を求められれば31音をそのまま返すことになる。'hamburger'を和訳してくれと言われて「ハンバーガー」と表記したように、初谷むいの「お祈りはかなしいけれどお祈りだけがこころめがけて走れるのです」という短歌を「オイノリハカナシイケレドオイノリダケガココロメガケテハシレルノデス」と僕の辞書に書き写している。説明的なのは説明出来る単純概念について述べているからなのだろうと思うし、抽象的なのは抽象性をそのまま言葉に出来る語彙力、表現力の賜物だろうと思う。その抽象性を理解出来ない自分の頭に嘆き悲しみながらも、インストールを続けている。

Hamburger 食べて訳してハンバーガー
だって君、ほら、ハンバーガーだろ?


白い彼岸花が咲いていた。もうこの季節が来たのかと思う。家の裏の並木道には、赤い彼岸花と、少し離れたところに白い彼岸花が咲く。地域によって色が違うという話を聞いたことがあるが、家の裏では赤も白も咲く。「暑さ寒さも彼岸まで。」という言葉があるように、彼岸花は秋のお彼岸辺りに咲く、夏が過ぎて秋が来たという目印になる花だ。
僕は彼岸花がとても好きだ。とても美しいと思う。花弁も蕊もとても細いのにしっかりと形状を維持していて、凛とした佇まいをしている。可愛らしさというより厳かさを感じさせる花だ。それでいて開花時期が短いというのが趣深い。どうやら僕は「花は散るから美しい。」という美学を持ち併せているらしい。
赤か白かで言えば、僕は赤の方が好きだ。花の赤と茎の緑のコントラストが厳かさを際立たせている。よりかっこよく、より美しいと僕は感じる。家の裏にまだ赤の彼岸花は見られなかったが、時期に綺麗な赤が道の脇に並ぶだろう。
先日、友人に彼岸花の名所を教えてもらった。そこには彼岸花畑があり、視界一面に真っ赤な彼岸花を堪能出来るそうだ。僕は一輪の彼岸花の構造の緻密さを眺めているのが好きなのだが、一面の赤というのも圧巻だろうし、休みを使って見てこようと思う。

「突き抜けて 天井の紺 曼珠沙華」を楽しむ秋にしたい。もちろん、白い方もだ。

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