外装改修工事着工に際し。

最近不思議に思うことがある。
美醜、つまりはルッキズムによる価値判断が人の生きやすさにこれほどにまで大きな影響を与えるようになってきた社会で、未だに女性の方が美意識が高いということについて、不思議に思っている。
採集生活を営んでいた頃から、差別の規模というのは、女性より男性の方が圧倒的に大きいものであった。時代を経て、女性そのものの地位が低かった時期もあったが、今では男女平等が謳われ、まだまだ不十分ではあるもののその点については快方に向かいつつある。しかし、同性内の格差というものは解消されるどころか広がる一方で、特に男性の中の格差というのはそろそろ問題視しなければいけない程度に達していると僕は感じている。
ここ数年、「弱者男性」という言葉が取り上げられるようになった。男性の中で、社会的地位であったり、経済力であったり、見た目であったりと、様々な分野において価値が低いと見なされている男性を弱者男性と呼ぶ。特に今僕が問題だと感じているのは、弱者男性の中でも10代・20代・30代の若年層の弱者男性である。
若年層の期間は、親からの様々な援助を受け育ち、そしてやがては社会に飛び立っていき、その中で自立していくという、市民社会の輪に入っていく、やり直しの効かない人生の中で非常に大事な時期であると共に、恋愛・結婚というものへの造詣を深め、子どもを持ち家庭を築くという有性生殖動物としての役割を果たす下準備をする期間である。この期間に「弱者」にカテゴライズされてしまう人間は、その後40代・50代で経済力を得て社会を中心に回していく立場になった時に影響力を欠き、さらに家庭を持つことが困難になり、生涯独身を選択せざるを得ない状況に陥る。つまり、若年層世代の男性間の格差が広がると、こうした弱者男性が増加し、経済力を失い、家庭を持たない世帯が増え、独身率が増加し、経済規模は縮小し、少子化を進めることにも繋がる。
深刻な男性間格差の是正のプロセスのひとつに、男性の美意識向上が必須だと僕は考えている。社会全体としてルッキズムが幅を効かせている現状、見た目が良くなると評価経済社会の中で自分の地位を上げることが出来、「弱者男性」というカテゴリから脱し、強者と戦えるまで強くなることで格差を是正することが出来ると期待している(直接戦うというよりかは、女性から選ばれるという場合に強者男性の割を食えるようになる、という意味合いが大きい)。現代の若い女性というのは、地域差はあれどちょっとした外出に化粧をするのは当たり前、家に帰れば丁寧にスキンケア、ヘアケアをして自分を美しくしようとするのは当たり前、洋服選びにもこだわりを持つのが当たり前、という傾向が以前より高まっている。それはプチプラコスメ、プチプラファッションの市場規模の拡大と相関し、基礎美意識レベルが底上げされているということだ。一方男性はというと、まだ女性ほどファッション、美容というルックスを整える分野において市場規模は小さいままで、若年層男性の基礎美意識レベルも低い。一部、美意識の高い層はいるが、まだ全体に浸透していないから格差は広いままだ。
男性間の方がずっと格差が大きいのに、それを是正する動きが女性間よりも少ないのは個人的にかなり不思議だ。いや、と言うより、女性は美容への意識がずっと昔から広く浸透していたから格差が比較的小さいまま抑え込まれてきたのかもしれない。どうであれ、勢いを増すルッキズムの潮流に抗わないのであれば、早急に男性の美意識を向上させないと少子化、貧困化の流れは止められない。僕もそうだ。僕も美醜の醜側の人間だ。全くもって異性から見た目を褒められるという経験が無いまま大学生活も終わりが近づいてきてしまった。このままではいけない。立ち上がらなければいけない。顔がいいだけの男どもに割って入れる強い男にならなければいけない。

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