2022年7月31日

前日までは勢いよく朝イチで帰省しようと意気込んでいたが、時計を見れば午後3時。寝ていた訳ではなく、ただ帰る準備をする気が全く起きなくて、ダラダラと時間を無駄に過ごしてしまった。帰省する時は毎度こうなる。前日まではモチベーションが高いが、当日になると途端に気力をなくす。帰ったとて別に楽しいわけでもないからというのがあるのかもしれない。田舎ではやれることに限りがある。
ただ帰りたくないとも言っていられない。今回は3泊4日間の帰省で、ワクチン摂取に役所手続きと、しなければならないことがちゃんとある。下宿に際して住民票を移していなかったのが全ての元凶だが、受け入れるしかない。
そんなわけで、もうすぐ東京駅である。
どんなわけなのだろうか。いや、もういい。


右手に富士山が見えてきた。言わずもがな日本で一番高い山で、成層火山のモデルとして中学理科で学習した偉大な山だ。
日本の象徴を挙げろと言われればかなり序盤に出てくるこの富士山。葛飾北斎が描く富嶽三十六景では、その大きさゆえに持ち合わせる富士山の様々な顔を垣間見ることが出来る。日本は山がちな列島だが、その中でも群を抜いて目立ち、多くの人に文化的に愛されてきたのが富士山だ。

静岡・山梨近傍に住んでいたわけではない僕からしたら富士山はかなり縁の遠い存在だ。未だに富士山を見たのは東海道新幹線の車窓からだけで、実際に登ったり展望台から眺めたりしたことはない。
ただ、たまに乗るこの新幹線の車窓から見える、毎回天気や時間帯によって姿が異なる富士山は、見ていて全く飽きが来ない。富士山でワクワク出来る真っ直ぐさを僕はまだ失っていない。その事がちょっとだけ嬉しい。

そうこう書いているうちに富士山を通り過ぎてしまった。今日は曇りというほどではなかったが、薄い雲が富士山を所々隠して、全体像をぼかしていた。帰りにはどんな富士山が見られるのか。帰省のちょっとした楽しみのひとつだ。


帰宅。休養。


これは2022年7月31日の日記としては不適切なのかもしれませんが、一応本日の出来事のひとつとして記録に残しておかなければならないと思い、書いています。

29日の夜に、内輪向けに「それ相応の御礼をするから、感想がある人は書いてくれ。」と分かりやすく承認欲求を金で買う愚行をしました。最初で最後のつもりでしたが、今考えても凄いことをしたな、と自分でも思います。
で、その結果はと言いますと、有難いことに数人、こんな僕の安い餌に釣られて感想を送ってくださいました。その人たちが具体的に何を書いて僕がそれにどう思ったかについてをこんな所で書くのはどう考えても不適切極まりないですし、それは各々に感謝の意としてお伝えしましたから省略しますが、兎にも角にも僕の承認欲求はえげつない勢いで満たされました。ありがとうございます。
思ったことは色々ありますが、人によってどこをどう好きになったかが意外にもバラバラだということ、そしてその感想を読んで新しく気付きを得られたことが、とても大きな成果として胸の中にじんわりと残っています。僕が頭の中でこねくり回してよく分からないまま言葉にしたことが誰かに影響を与え、それが今度は僕に返ってきて僕も影響を受ける、なんてことは考えてもみなかったことです。とても新鮮で、心がぐちゃぐちゃになっています。

いつだったかに書いたように、文章力なんてものは大抵の人に備わっていて書こうと思えば誰でもそこそこの物が書ける、という持論があります。僕がこの1ヶ月間、毎日何かしらを書いて共有してみて、こんな僕の文章を読んでくれた人がこうして言葉を届けてくれたことは、その実証のひとつになったと思います。僕の文章で何かを感じ取ってくれた人の感性に僕が驚かされているというのは変な話ですが、意外とそういうものなのかもしれません。だから誰か、周りの人が、僕のやっていたような作文生活をやって、僕がその読者になるなんてこともやってみたいなーー、なんてことを思ったりします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?