2022年8月31日

旅行後はとても旅行したい気分に駆られる。だいたいの贅沢がそうだ。カラオケに行った後にカラオケに行きたくなる。旨いラーメンを食った後にラーメンを食いたくなる。倹約、節制、自律。意志力で能動的に押さえ込んでいないと浪費する隙間を探してしまう。僕にとって贅沢は敵でしかないのだと思い知らされる。
日常が無味乾燥としていると言ったが、やらねばならないことは山のようにある。それから目を背けて嗜好に走らんとすると何も無いというだけだ。頑張らなきゃいけない。ちょうど明日から9月だ。日付的な区切りなんてものは何の意味も無いのだけれど、でも何となく精神的に刷新されるというのは多くの人が認めるところだ。僕もそれに乗じたい。


ここ数年、「Z世代」という言葉をよく見る。90年代から10年代ぐらいに生まれ育った人々を指す言葉だ。世代によって人の価値観は遷移していくということから、よく「Z世代の若者は〜〜〜。」とスマホを手にして育った若者の性質や傾向が論じられる。
僕もZ世代に属し、中学生になった時にスマホを渡されSNSも触ってきた。生活にスマホが無いなんて想像出来ないと言っても過言ではない。もっと若い世代は赤ちゃんの頃からスマホタブレットを使っているので、それと比べるとある程度育ってからスマホを手にするようになったので話は変わってくるが、充分にデジタル世代だと言える。
そのZ世代が社会人として仕事をするようになってからというもの、仕事場でのZ世代の態度、働きぶり、価値観が問題視されている。よく論じられるというのはマイナスな意味での場合が多い。「Z世代は敬語を使えない。」「Z世代は時間を守れない。」「Z世代は我慢が出来ない。」「Z世代は集中力が無い。」「Z世代は活気が足りない。」などなど。40代50代くらいの中堅ベテランの年代の人が、職場の新入りのZ世代の様子を見て不満を垂らすという場面を幾度となく見かける。
だかちょっと待ってほしい、と思った。Z世代の中にも敬語を使えて時間をちゃんと守れて我慢強くて……な人はいくらでもいる。「Z世代は〜出来ない。」というのはあまりに短絡的だ。「氷河期世代は短絡的な思考しか出来ない。」などと言われては腹が立つだろう。Z世代のどこが悪い、という話ではなく、数十年もすれば教育環境、家庭環境、生活水準、諸々が変わることで育つ子ども変わるというだけだ。そこで世代間に価値観の差が生まれるだろう。決して良い悪いという話ではない。
「今どきの若いもんは……」という言葉は亀裂しか生まない気がする。目的の、論じて整理するということも出来ない気がする。別にそんなものは無視すれば良いだけの話だが、Z世代はどうだ若いもんはどうだと言われると「うるせぇなぁ俺の何を知ってんだよ。」という気分になってしまう。
だが、何もかもが当てはまらないというわけではない。この部分が非常に厄介で、「Z世代」という言葉に僕を閉じ込める。違うと言いながらも、どこかで必ずZ世代であることを受け入れさせられてしまう。だから余計に耳障りに感じてしまう。

ただのアイデンティティとは何かという長く暗い洞窟の道程の話だ。自己分析が出来ないというだけの話だ。

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