2022年10月5日

快眠。
昨晩夜8時に力尽きて、そこから11時間も寝たらしい。7時のアラームに起こされて、絵に描いたように飛び起きた。
睡眠に勝るものはない。疲れたら寝る。疲れなくても寝る。そうしないと体調が整わない。ショートスリーパーという人がいるそうだが、僕には全く理解が出来ない。忙しくしていて寝る暇がないという前提があるのかもしれないが、寝られるだけ寝た方が良いはずだ。僕は将来、稼ぎはそれほどなくても良いが十分な時間寝られる環境だけは死守したい。
11時間も寝ていたのだから眠りが浅い時間が多く、それゆえか見ていた夢をかなり鮮明に覚えている。今日は親と、数年間使っているマフラーを捨てる捨てないの話をしていた。夢の中の僕が言うには「数年間使っていようと全く劣化が見られないのだからまだまだ使えるから捨てない」らしい。そもそも何故全く劣化していないのに捨てる捨てないの言い合いをしていたのかが分からない。言い合いの中で捨てるという立場をとらされていた親が可哀想だ。
そういう訳で今朝は早起きをした。最近の朝は少し寒さを感じるようになった。まだ全くマフラーの季節ではないしここ最近マフラーを想起させる出来事も無かったのにマフラーが夢に出てきたのは、寝ている間寒かったからだろうか。特に今日は昨日の夏日とは打って変わって天気が悪く気温も低い。。昼間の服の調節はどうにでもなるが、夜の寝巻きや布団の度合いがなかなか掴めないでいる。風邪を引かないように気をつけたい。


朝井リョウ原作の映画「何者」を観た。
この世には僕が思っている以上に就活を題材にした作品が存在し、人気を博しているようだ。朝井リョウと言えば人のダークなところを上手く描いた作品が多い印象がある。高校生だか浪人生だかの精神が難しい時分に「どうしても生きてる」を何故か手に取ってしまい、とんでもなく心を傷めた記憶がある。それ以来「朝井リョウって凄く良いと思うんだけど良いから読めないんだよな」というトラウマのような感覚が胸の内にずっとあった。

そういう理由で「直接小説を読むのは怖いから映画を観よう」と思い至り、「何者」を観た。率直な感想としては何よりもまず菅田将暉という俳優があまりにもカッコ良いということに尽きた。この辺りが小説を読むか映画を観るかの大きな違いだ。ビジュアルでポーンと人の心をプラス方向へかっ飛ばしてくれる。ところが理系の僕は、理系の修士課程の人が山田孝之という、失礼ながらヒゲのオッサンを充てているところに「あぁ……やっぱ理系大学院生ってそうだよな……」とどうでも良いところで被弾してしまった。
それと時代を感じた。まずTwitterのUIがかなり古い点だ。2016年公開なのでもう6年も前の世相を描いていることになる。6年前のTwitterはまだプロフィール画像が正方形だったりデフォルトのアイコンがタマゴ形だったりしたようだ。どうでも良いところで懐かしさを憶えた。また登場人物がTwitterに写真を載せたり生活模様を呟いてビューを得ようとするあたりも、今やSNSと言えばInstagramやTiktokだし公開アカウントで顔出しの写真をTwitter上に載せるということもあまり無いと僕は感じている。この辺りのSNSに対する認識、価値観も6年も前ならこうなのかと思わされた。おそらく当時なら「今風の就活生」をクリティカルに描いた作品だったのだろうが、今観た身としては「ちょっとステレオタイプな現代人」という印象を抱いてしまった。これは時間が経ってから観たせいなので作品の質とは無関係な話だ。
本筋の内容に関してで言うと、映画だからなのかそれほど人の内面のえげつなさというものはなく、その人のマイナスな面に一定の理解を示しつつ否定することも出来て個人的にとても取っ付きやすい作品だった。多分こういう人は周りにいるだろうしそれは自分かもしれないなという、諦めのような、「すんません。降参です。」というような、そういった感覚が芽生えた。濃淡の違いはあれど現代人の多くが抱える人に対する僻みや偏見、プライドや生ぬるいヘイトといったものに向き合うきっかけになる作品だった。今こうしてネットに「評価」を投じようとしている自分に対して、「君、大丈夫かな?」と自分で肩を叩く感覚は決して気分が良いものではないし目を背けたくなるが、そう感じるのは自分の理想像に対し現実が伴っていないことをうっすら自覚しているからだろう。

就活というフィルター越しに見る人の嫌な部分というよりも、「あぁ、俺も人生この先わかんねぇんだよな。どうしような何者にもなれなかったら……」という抽象的な焦燥がチラついて頭を離れなかった。どうして就活の映画を観てしまったのだろうか。面白かったから良いのだが、同じ面白さなら別の映画の方を観た方が良かったような気がした。

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