2022年7月7日

よく寝た。
ココ最近、多忙だった。多忙だったというより、多少忙しくてそれに対しての耐性がとても低かったために心が過剰にストレスを感じていた。睡眠時間が少なくなったことよりも、変な時間に寝てたり考え事をしたまま床について眠りが浅かったりしたことの方が疲れに大きく影響していたような気がする。
しかし今日は本当によく寝た。久々に10時間ほど寝た。僕は寝るのが好きだ。暇ならばずっと寝ていたい。週1回は10時間睡眠が欲しい。だから今、非常に心地が良い。
そのうえ今日は日が陰って大して気温が上がらず、とても過ごしやすい。何もストレスが無い。
こうも心が穏やかだと、書くことがなくなってしまう。何日か前にも書いたが、文章はマイナスな感情から引き起こされるんだなと改めて感じた。機嫌が悪い時なら激しく反応してしまう機微がおそらく今も起きているんだろうけど、全く感じ取れない。
僕はどちらかと言うと鈍感な人間だと思う。楽観的というか適当というか、勘のいい人が気付くことになかなか気づかない。社会的には空気が読めないとも言う。鈍感なことは僕の欠点のひとつだと思っていた。でも気が立っている時は細かいことが気になって仕方がない繊細さんになってしまうので、鈍感なままでもいいのかもなと思った。それだけ平穏ってことだから。
心穏やかな状態では、音楽を聴く余裕が出来る。一時的にセンチな気分にしてくれて、またもとの自分を返してくれる。外に出れば、微風が吹いている。無風よりは微風くらいが良い。軽く心を持ち上げてくれる。そんな感じで、安定な状態を優しく撫でて煽るくらいが最高だ。
ここまで、あまりに抽象的で新規性の無い話をしていたことに自分でも驚く。人は気分が良いと無個性で、心が追い込まれた時に個性的になる。案外、創作性が無い精神状態の方が望ましいのかもしれない。


今日は七夕。
家の近くの駅に飾られている笹には、「生ききる」と書いた短冊を結んだ(7月2日)。この時はもう既に忙しくしていて心もしんどかったから、今思えば切実だったなぁという気持ち。もうすっかり元気になった。ひとまず波が去って、生ききったなという感覚。願いはかなったと言っていいかもしれない。
しかし夏を生き抜くという意味では、むしろこれからが大変だ。今年は例年よりもかなり早く梅雨が明けた。経験のない始まり方なので、いつまでどう暑いのか想像つかない。熱中症は正しく恐れたいものだ。
正しく恐れるといえば、COVID-19がまたまた息を吹き返しているようだ。感染が収まって気温が上がってきたから、脱マスクが加速している中、嫌なニュースだ。僕個人としてはマスク生活はそこまで苦ではない。別にコロナ禍以前にも冬になれば大体していたし、確かに夏は暑いが仕方がないと受け入れられる。ただ個人的に嫌なのは、マスクをしたがらない人が嘆くのを耳に入れることだ。「マスクなんて意味ねぇだろ。」「こんな暑いのにマスクなんて。」みたいなネガティブな声が、嫌でも耳に入ってくる。独り言とかツイートなら好きにすればいいが、僕に向かってそんなことを言われても、僕には解決方法がない。言ってもどうしようもないただ気分が暗くなるだけなことは言わないでほしいと常々思う。
今年も夏の湿気以上にジメジメした会話をしなければいけないのか。そう思うだけで頭がクラクラする。僕は夏が嫌いだ。だが、数年ぶりに開放感のある明るい夏が来るというのなら、今年くらいは許してやろうと思う。


今日はさざ波のような文章になった。悪く言えばつまらないが、よく言えば穏やかだ。今日もよく眠ろう。

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