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剣道が教えてくれた、人との「間合い」

わたしは中学校の頃、剣道部に入っていた。
中学生のわたしは坊主だった。特に部の決まりではなかったけれど、とてつもないくらい汗をかくため、坊主の方が楽だったから。

小学校の頃は外で友達と虫取りに行ったり、レゴやゲームばかりしていたので運動とは無縁のわたしだったが、剣道の上達は早かった。すぐにレギュラーになって、2年生の後期には部長になった。

剣道は野球部やサッカー部とは違って、普通はあまり人数の多い部活ではなかったが、わたしがいる期間は部員が30人弱まで増え、県内の剣道部でも多い学校になった。

剣道をする中で高まったのは集中力、まっすぐな姿勢。そしてこれが剣道特有のものであるが、「間合い」だった。

間合いとは、何かをするのに適当な距離や時機や、わずかな休止時間のこと。相手と竹刀を交えながら攻防を図れるかどうかが勝敗のカギになる。

そして、この間合いというものが人間関係にも重要な役割を果たすということを知った、ある3人との出会いを迎えることになる。

中学3年の引退試合を控えた1か月前。
突如、剣道部の顧問の先生が新しく部員が入ると言った。そして、翌日、道場に入ってきたのは、校内でも有名なヤンキーの女子3人だった。

最初はあまりにも剣道とかけ離れた子たちが入ってくるのに戸惑いを隠せなかった。なぜなら剣道は汗を大量にかくし、あまりにも臭いからだ。

それが我慢できるのであればこちらとしてはかまわないが、一番困ったのは周りに迷惑をかけることだった。防具をつけて竹刀を持つ様は完全にスケバンだったのだが、その格好で校内を歩き回り、練習中も騒ぐばかり。

部全体の練習雰囲気や周囲からのイメージにも関わることだったので厄介なことになってしまった。
最初わたしは部長としての威厳を保とうと練習中、彼女たちに厳しく当たった。それでも別に態度を改めるわけでもなく、部員たちもそれに振り回されて混乱状態に。
3年生のわたしとしても引退試合を迎えているのにどうしたらよいのかわからなかったのが正直なところだった。

どうしたものかと悩んでいるわたしに声をかけてくれたのが彼女たちを誘った顧問の先生だ。最初、なんで先生がよりによってこんな時に彼女たちを誘ったのかがわからなかったが、その理由を明かしてくれた。

「彼女たちは学校でも授業に出なかったり、周りに迷惑をかけている子たちでもあるけれど、彼女たちにもそれぞれ事情があるんだ。」
「直接、彼女たちに何かしてあげられることは難しいかもしれないけれど、剣道を通して少しでも何か変わるきっかけになってほしいと思ってる。お前もまだ彼女たちとの距離感がつかめないだろうけど、ちょっと頑張ってくれないか」

その先生の素直な胸の内を聞いたときに、わたしは彼女たちに対するイメージが変わった。わたしが彼女たちにしてあげられることは何かないかと考えるようになった。

その日から、彼女たちへの接し方を変えてみた。先生が言っていた距離感というのは剣道でいう「間合い」のことではないかと思い、もう少し親しみやすい先輩のように話しかけるようにした。

最初はお互いまったく知らないような間柄であったけれど、間合いを大事にしながら少しずつ仲良くなっていった。

気づけば周りへの迷惑もしなくなり、練習にもそれなりにまじめに参加するようになった。そして、親しげに「○○さん」とわたしのことを下の名前で呼ぶように。

当時、中学3年生であったけれどわたしは自分なりに「間合い」とは何かをその時学んだ。

それは「相手のことを親身に思う」こと。

間合いとは二つのものの間に存在し、相手がいてこそ成り立つもの。
ちょうどよい間合いをとるには相手の出方や感じ方をキャッチしないといけない。相手の間合いをとろうとすれば、それだけ相手のことを第一に考えることが必要になってくる。

剣道を通して彼女たちと出会いや先生の教えを通して、
お互いにとって心地よい間合いがどこなのかを
中学生ながら気づくことができたのは、それ以降の人生においてかけがえのないものだったなと今更ながらに感謝しています。

剣道がくれたもの。
人間関係における「間合い」をこれからも忘れずに生きたいです。
そしてもう10年以上も前に出会った彼女たちに再び会いたいものです。

#スポーツがくれたもの

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