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【雑感日記】 一週間clubhouseを使った率直な感想

 先月末頃からにわかに話題になってきたSNS、clubhouse。縁あって自分も招待を受けたのでアカウントを作り、友人達と話しをしたりいろんな部屋をのぞいてこのSNSがどんなものなのかが朧気ではあるがわかり始めてきました。ちょうど一週間経つのでその感想を忌憚なく述べたいと思います。最初にいきなり核心から言いますと、この盛り上がりっぷりはこのままだといつしか下火になるのではないかと思ったことです。その中で主な問題を挙げてみます。

居づらさを感じる

 かねてから評判を聞いていると多くの人が「意識の高い人が多くて疲れる」と言います。意識が高いということがそれではいったい何なのか説明してみろと言われるとおそらく人それぞれち少しずつ意味合いも変わってくるのかも知れません。

 つまり部屋ごとのテーマはいろいろあるものの、そのテーマに対して真面目過ぎるか、そのテーマはそっちのけで最終的には儲け話やビジネスへとすぐに繋げたがる輩が目立ちます。そもそもclubhouseには「招待された=選ばれた人間」というプライオリティを勝手に感じて悦に入っている感じの人がまるでmixiの初期の頃とよく似て見かけられます。音声主体のSNSではそのあたりがテキスト主体のメディアよりも直感的にわかるものです。そこに加えて会話の中でのリーダーシップ取りもだいぶ露骨だと感じる人が見られます。さらにそういう人たちばかりが集まるとそこに居心地の悪さを感じることも多々あります。不快に感じている人も相当いることでしょう。ですので「意識高い人が多くて疲れる」という声も多くなるのだと思います。また意識が高い人、専門知識を持った人が部屋の話題をコントロールしたがる「マウントの取り合い」も発生し、尚のことげんなりさせられる要因となっているのだと思います。

 余談ではありますが自分がここで使っているアイコン(Macを開いたポメラニアン)はそんな意識高い感じの人が普通の人からはどう見えるかを表現し、自分は極めて低意識であることを訴えてます。でもわんこが可愛ければそれでいいです。

ムラ社会ができる

 部屋そのものがすっかり常連でできあがっていて、いざ覗いてみると看板に掲げられた話題とはまるで違う内容で盛り上がっていたということもよく見かけられます。話しかけても塩対応ばかりで、疎外感を強く感じるものです。

 clubhouseは招待制ということもあってここで「一見様お断り」の雰囲気がより強く漂うのでしょう。現実社会のお店でも常連に好かれたお店は初めて来た客にとっては居心地が悪くてリピート率が下がります

 そんな常連客で成り立っているお店と全く同じ雰囲気を感じる部屋が見受けられました。これぞまさに小さなムラ社会の形成で。それが進むとその部屋でだけ通用するような「方言」ができあがって来るはずです。これができたらもはや公共の場とは言えません。ちょっと外からの風を取り入れるか、部屋に鍵をかけるかまたは活動の場をclubhouse以外の場所にしてもらいたいと思います。

絶対的なフォロワー数の価値

 人生ゲーム令和版の勝利条件が資産ではなくてフォロワー数であるという話を聞いたことがあります。それだけどんなSNSにおいてもフォロワーというのはその人にとっての価値を物語っています。至極個人的な考えではありますが、自分はSNSでもここ(note)でもフォロワーはほとんどいませんし、フォロワーが増えると嬉しくなる反面好きにやりづらくなるプレッシャーを感じ、あまりそのあたりにはこだわらないことにしています。確かにフォロワーをもう少し増やすように努力すると言うことはことここnoteに於いては切磋琢磨の一つではあるのでしょう。しかしフォロワーの数が多いからといってそれが自慢になるのかと言えば必ずしもそうではないと思います。

 インフルエンサーの言葉は往々にして新たな発見を呼び、自分にとってはプラスになる事が多々ありますが、中には受け入れられない新しい思考や無作法や不真面目の美徳化、言葉の変化を助長させているケースも見られます。なのでフォローをする場合にはそのあたりをよく考え、フォローは慎重に行うようにしています。

 結果自分がフォローした人はそれだけ好きで共感もできるのと同時に、自分の為になるものだと思っています。ですのでフォローしてもらったそのお返しということには抵抗を感じ、clubhouseにおけるフォローバック(「風呂場」という言葉も用いられる)にも多少その考えがあります。ただ言えることはnoteやinstagramのフォローとclubhouseのフォローは本質的に少し違うかなと感じてもいます。自分の場合それだけフォローしている人に対してフォローする責任を持ってSNSを使っています。

 フォロワーの数ばかりを追求するのも見栄えはいいのでしょうが本末転倒のような気もするのです。しかし現実ではclubhouse内でどんな部屋が一番多いかというとフォロワーを増やすことだけを目的とし、コミュニケーションを禁止してプロフィールだけを見せ合う事を目的とした部屋があまりにも多いのです。音声でコミュニケーションを図るためのSNSで、結局はテキストコンテンツを頼りに数ばかりを増やすためのツールとなっているのは本末転倒な使われ方ではないかと思います。この状態が続けば音声コンテンツのSNSはいつまでも進化はしないでしょう。

結局clubhouseってのは

 日本でブレイクしてからまだ半月程度しか過ぎていませんが、その使われ方があまりに露骨すぎるか、または本末転倒にしかできていないような気がします。そもそもまだ始まったばかりなのでこのclubhouseをどう使うかで迷っている人も多いように感じられます。実際に使ってみるとコミュニケーションの新たな手段の予感もすれば、メディアとして新しい使い方もできそうな気がします。クリエイターが注目するのもよくわかります。ただ今の時点では時代の最先端を行っていると勘違いした者が我も我もと押しかけ、あたかも時代の最先端を先取りしていることそのものを楽しんでいるか、金儲けにしか関心のない輩が新たなビジネスチャンスとしてこの得体の知れぬSNSをどう使用するのか分析している。そんな場所という印象が強まってきているような気がします。

まずはルールから

 こういった新手の場でもっとも必要と思われるのは社会通念に照らし合わせたルールだと思います。招待制とはいえすぐに招待枠が増える、自分でさえも招待枠を持て余しているのが現状で、ユーザー人口は日々増えています。

 利用者が次々に増加していけば次第に無秩序な場所となるのは当然のことです。さらにこれを書いている時点ではアプリも規約もすべて英語です。この英語のアプリを使いこなせているだけでも人によっては自分は意識が高いと勘違いさせる原因になっていると思えます。ベースが英語なので尚のことルールが伝わりにくく、その分だけユーザーが好き勝手やる土壌にも繋がっています。そしてそれを見た他の人たちもそれを真似ます。真似る段階ではすでに英語が読める読めないは関係のないことです。まずは誰もが気持ちよく使える場所にするようにルールの制定が急がれると思います。

もう一つの問題

 これもできるだけ早く解消させるべき問題ですが、現在clubhouseはスマホ、それもiPhoneでしか使えません。厳密に言えばiPadでも使う事はできます。日本ではスマホの中でiPhoneの占める割合が異常に高く、clubhouseも誰もが使えるような印象を与えますが、それでも全体の4割に満たないのです。ましてや日本以外の場所であればandroidのスマホが主力でありその勢力図は今後も変わることはなく、変わるとすればiPhoneはさらにマイノリティになるだけだとも思います。clubhouseのアプリがそんな大多数には対応できないことがそもそも間違いではないかと思っています。招待したい人がandroidユーザーで呼ぶことができないと言う人も多いでしょうし。何よりもandroidユーザーの立場で考えれば自分たちは蚊帳の外でなにやら新しいSNSがiPhoneユーザーの間でだけ盛り上がっているとくらいしか感じられないでしょうし、中には使ってみたいのにどうしてandroidはダメなんだと憤る人もいるはずです。

これだけ心しておきたい

 まずclubhouseそのものが今は黎明期で言うなれば既存のソーシャルネットのルールやマナーの上で展開されていることと、clubhouse特有の新たなルールや常識が求められていると思います。

 部屋という場で活動が行われる以上、仲間はずれ、孤立感や閉鎖的社会やそれがもたらす分断化などの問題は他のSNS以上にその可能性を感じられます。

 clubhouseでのフォローは他のSNSでのフォローとはまた別の意味を成している。

 clubhouse人口はアプリがiPhoneのみである限りはどんなに注目され人が殺到していてもその他のSNSよりも少ないこと。

 以上、まだ日本では登場したばかりのclubhouseですが、今はまさに日に日にユーザーも増えて大いに盛り上がりカオスの様相を呈しています。これもいつまで続くのかはまだはっきりしたことは言えませんが、現状がそう長くは続かないのではないかと思います。そしてそれはSNSとしての進化を遂げるか、それとも飽きられて凋落してくか、どちらの可能性も今の段階では感じられます■

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