⒈はじめに➀

 私が交通事故にあったのは、高校1年生の冬のことである。私の実家がある片田舎には似つかわしくない「大きなもの」だったらしく、当日のテレビニュース、また翌日の新聞記事にも取り上げられたそうだ。救急搬送先である市内の第三次救急で急性期を寝過ごし、隣市にある病院のICUや脳神経外科病棟を経て同病院の回復期リハビリテーション病棟で半年ほど丁寧に再発達させていただき、約半年の自宅療養、名古屋市総合リハビリテーションセンターでの入所訓練を受け、入院していた病院でのリハビリや診察などを経て、某福祉大学入学を機に一人暮らしを始めた。福祉大学を卒業し、2023年秋からは婚約者と一緒に暮らしている。




このマガジンは、交通事故を経て良くも悪くも変化せざるをえなかった「橘エリー」と、
交通事故を経てもなお変わらない「橘エリー」双方の記録集である。


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