「美味しい時間」を、あなたと

「第4回食とコミュニケーションエッセイコンテスト」というものがあり、応募した。
本記事では、作品を載せようかなと。
(「応募したら著作権は食コミさんに移る」と
応募のときの注意事項に書いてあったから、
せめて「選考が終わるまでは」待ってた。

↓「応募したよ!」の記事

年明けたし、もうええやろ(選考等は年内、と書いてあったので)

時は満ちた。


「美味しい時間」を、あなたと

 私には「一緒に食べるご飯が楽しい友達」が数人いる。
 「美味しい友達」である彼女らは、地図を見ながら歩くことが非常に難しい私の代わりに地図を見て歩き、セルフサービスのことがらは私の分も動く。また、私が食べ終わる間際の『最後のひと口』を集めてスプーンに載せ、器ごと私に返す。
 ひとつひとつの行動はさほど大きくない。道案内やセルフサービスは「自分のついで」だ。しかし『最後のひと口』は『私のため』でしかない。彼女らは、私が「できるだけ自分の力でやりたい」ことを知っているから、私が頼むのを待って動きだすことが多い。

 私は身体などに障害があり、一人で外食するハードルが「低い」とはいえない。世間一般より人にものを頼む回数が格段に多い『私』にとって、対等な関係性を保ったまま介助を受けられる「美味しい友達」らは貴重だ。頼むことに遠慮も恐縮も必要なく、美味しい経験を共有できる。とても「ありがたい存在」である。彼女らを総称して「美味しい友達」と名付けた過去の自分の発想力を褒めるとともに、私から「美味しい友達」と呼ばれることを厭わない彼女らに感謝しよう。

 そんな「美味しい友達」らと出会ったのは大学時代。キャンパスで顔を合わせれば「ご飯食べよう」と学生協や学生食堂などでお昼を食べた。また互いの休日の予定を合わせては、ファストフード店やファミリーレストラン等で楽しく食べてきた。美味しいひとときを重ねるうちに、お互いの食の好みなどが少しずつわかってきたように思う。とはいっても好き嫌いが少ない私たちだから、お店選びは「どこも美味しそうで困る」から始まる。私はお座敷でなければ行くことができる。いちおう短時間であれば正座することも可能なのだが、「脚の痺れに意識を割くことなく食事を堪能したいから」という理由でお座敷は遠慮している。

 大学を卒業し社会人になった今も「2人での過ごし方」に大きな変化はなく、会うたびに美味しい思いをしている。学生の頃より多少は「羽振りがよく」なったような気もするが、今もおかわり無料に喜んだり時間無制限ビュッフェに喜んだりしている。「ご飯おかわり無料」は、美味しく楽しく元気よくたくさん食べる私たちにとって、魔法の言葉である。
 「美味しい友達」の多くはカレンダー通りの勤務ではないため、「次はいつ空いているか」のすり合わせから「美味しい時間」は少しずつ始まっている。大抵は時間のある私から声をかけ、彼女らの休みと自分の予定とを照らし合わせている。「この日会えたら嬉しい」その返答が来るまで、約束が決まるまで、「断られたらどうしよう」そればかり考えてしまう。私は「友達と食を共にする」ことが好きなのであって、「ただ食べる」ことはそこまで好きではない。最近は「だれかと食べる」その理由がないとなにか食べたいとは思えなくなってきた。私にとって「美味しい」とは、食べものの「味」より「一緒にいる人」や「その場の環境」に大きく左右されるのである。
 「美味しい友達との時間を満喫するために美味しい思いをする」のか「美味しい思いをしたいから美味しい友達に声をかける」のか。かの有名なダーウィンの進化論にある「卵が先か鶏が先か」と同じような問いかけである。「鶏と卵」からすぐに親子丼を連想する私に明確な答えを出すことはできないが、「美味しい日」を過ごすため頭をひねる私なりの結論。お店には定休日や営業時間など制約があり、それは「美味しい友達」も同じだ。美味しそうなお店はたくさん見つかるが、「美味しい友達」の代わりはいない。だから私は、必ず「美味しい友達の予定を確保してから」お店を探すことにしている。「美味しい友達」らと行くご飯は、「誰かと一緒に食べる」ご飯は、いつどこで食べるとしても「最高に美味しい」のだから、お店選びで失敗したことはない。

 そんな「美味しい友達」の1人と、伊勢神宮を訪れたことがある。それなりに計画を立て、主目的である「お参り」の時間と食べ歩きの時間をきちんと確保した。「おかげ横丁があるから、お昼は食べ歩きだね」そう軽く考えていたのがいけなかったのだろうか。「あれ欲しい」「これも食べよう」と次々に買い、数多く美味しい思いをした。なかなか訪れることのない土地だから精いっぱい食べよう、と食い意地を張りすぎたバチがあたったのだと思う。あれもこれもと食べているうちに時間は経ち、ついにはお参りするタイミングを逸してしまった。夕焼けに気づいた瞬間はもう、顔を見合わせて笑うしかなかった。なんのためにここまで来たのか。人間の三大欲求を理性で抑えつけるには、私たちはまだまだ未熟だったらしい。しかし伊勢神宮は『行った時点で大吉だから』という理由でおみくじは置いていないそう。私たちは境内にこそ入っていないが『行った』に等しい距離にまで歩を進めた。訪れたということはきっと大吉だろう。私は美味しい友達と数多くの美味しい思いをし、何度も目を輝かせ、きちんと体重を増やして帰った。

 また「美味しい友達」それぞれと美味しいバイキングへ行くことがある。席を確保してすぐ、まずは「私の手となって私とともに料理を取りに行き」私のお皿を料理で満たし、「次はあれ食べたいね」などと言いながら席へと運んでくれる。私とお皿を席に送り届けてから、彼女らは「先食べてて」と自分のお皿を満たしに行く。みんながみんな「自分(「美味しい友達」)のお皿」は後回しで「私を優先」してくれるから、ありがたいやら申し訳ないやら。私は彼女らを「食べながら待つ」ことができるが、私がおかわりしたいとき彼女らは私の手となってお皿に取り分ける必要があるため、必然的に彼女らの食事時間は分断される。そして私は、食事を取り分けるついでに飲みものもおかわりしたい派だ。「自分の思いを形にするために人の力を借りる」必要のある私が席を立つ回数は、つまり「人の手を借りる回数」は、できる限り少ない方がいいだろう。日常の場面では「一気にいくつも頼みすぎ、もっとこまめに頼んでよ」等と困惑されることも多いが、食事の際の2往復は当然のことと受け入れられている。せっかくの「食事時間」なのだからできる限り美味しい思いをしたいし、彼女らと過ごす美味しい時間はできるだけ長く「二人水入らず」で過ごしたい。「咀嚼や嚥下に忙しく、2人の会話は必要最低限」であることが多いが、しかしとても有意義な時間を過ごしていることに変わりはないのだ。「これ美味しいよ、食べてみて」の言葉からお互いに少し分け合い、「美味しいね」の言葉から「おかわりするとき、もらってこようね」ときっちり持ってくる。たとえ私が忘れていても、彼女らが持ってきてくれる。彼女らがいるからこそ、記憶力が弱い私でも「食べ忘れて後悔すること」や「思い出せなかった自分にイライラすること」が少なく、「私の分も覚えていてくれた彼女らへの感謝」という前向きな感情に包(くる)まることができる。食い意地が張っている者同士気兼ねなく卓を囲むことができる私は、きっと幸せ者なのだろう。

 高校までは時間割や行事などのように「予め決められている」事柄が多く、特に給食は好き嫌いを声高に主張できる場ではなかった。管理栄養士さんたちが『児童生徒のために』と一生懸命考え調理してくれた給食は、栄養バランスはもちろん味つけや量も工夫されており、たくさん食べて返されることを少なからず期待されている。そして保護者は、意識して「給食のメニューと同じではない」夕飯を心がけることが多い。学校給食という概念を離れた今思うのは、「あの頃『あたりまえ』だと思っていた『優しさ』『あたたかさ』を、もっとありがたく受け取るべきだった」ということだ。未成年の頃一身に受けていた「愛情」はあたりまえではない。学校給食という概念を卒業しても、一般に「たくさん食べる人が好かれ」やすいのは。彼らが親しみやすいのは。いい意味で「子どもっぽい」からではないだろうか。

 私にとって最も「美味しい友達」は以前、自分の座右の銘は『食べることは生きること』だ、「生きるために食べるし食べるために生きる」と話してくれた。また『白米で白米を食べたい』と言いきるほど白米が、ひいては食べることが大好きである。楽しみつつたくさん食べたい私ですら敵わない相手だ。時々私が「一緒にたくさん食べたから体重が増えた」と嬉しい報告をすると、「この世に私が増えた」と喜んでくれるいい子である。そんな彼女の座右の銘にある「食べるという行為」と対比する意味でも、私は『美味しく楽しく元気良く』という言葉を大切にしていきたい。「いつ」「どこで」「何を」食べるか。それらは食事を構成する上でもちろん大切な要素だ。その上で私は、それらと等しく大切なのが「誰と食べるか」だと考えている。「食べる」という「一人で完結させることも可能な行動」を、敢えて複数人で試みる。一人での食事は「明日を迎えるために必要な作業のひとつ」だが、人との交流を図りながら食べられるのなら、それだけで「楽しい時間」になることもあろう。

 「食べる」という行動は毎日したいものだからこそ、楽しみを付け加えることで前向きに生きる活力になる。「空腹を満たすための作業」なのか、「誰かと交流する時間」なのか。歳を重ね、日々の生活を自分で組み立てることができるようになった現在だからこそ、自分の状態やその時々に応じて食べかたと生き方を選びたい。たとえ自分から行動を起こせないときであっても、ふとしたときに連絡をとりたくなる相手が一人でもいたら。それだけで「約束した日」を楽しみに生きていくこともできるのではないだろうか。
 「食べること」は、誰にとっても楽しさに満ちていることが望ましい。そしてその「楽しさ」のカケラは、過去にも未来にも繋がっている。




以下は裏話

舞台裏でありチラシの裏であーる。

書いている最中(実態)

・ご飯食べたくねえ('意欲の低下'、かな?)
・友達に声かけたくねえ
 (かけたら楽しいのはわかってるんだけど、
 今はめんどくせえ+私なんかのために?申し訳ない)
・「寝食を忘れる」という表現
 私は「目を背ける」だなあ(生きたくない)



随所に「鬱っぽいの」を散らした。

  1. 身体などに障害があり
    私の障害を説明するには4,000字は少なすぎる。それに、「私」の詳しい説明はいらないよね?
    (「身体など」柔らかく表現したつもりだ)

  1. 最近は「だれかと食べる」その理由がないとなにか食べたいとは思えなくなってきた。
    偽らざる本音。
    「食べたいから買う」のではなく、
    「買いたいから買う」その後しゃーなし食べる
    最近は買わない。無理。いらない。

  1. 「食べる」という行動は毎日したいものだからこそ、
    「毎日する」なんて声高に言えない。私はしたくないもん。



年明けて改めて読んで、

「ああやっぱり、私の書き方は上手くないな」と思った。

ごちゃごちゃと、幕の内弁当みたいだ。
かといって美味しくはない。
「美味しい友達」を、紹介しきれなかった。


特に、鬱っぽいのは「要らない」ね。
でもね、あのときは「書かないとしょうがない」状態だったんだよ。鬱っぽいのを隠し通すことはできなかった。
「あれがなかったらもっと良かった」とも言われた。そうですよね。私もそう思う。

でもね。
鬱っぽいのがあるからこそ「私(橘エリー)」なんだよ。
『遠恋/RADWIMPSさん』にもある通り、

「いっそ僕はこの距離と君と三人でいいよ」
──私は鬱と二人三脚でいいかなあ、どうせ完治はしないしね。


産まれてしまったときから、私は、
たぶん発達障害で(傾向はあったみたい)
あの頃に適切な?児童精神科医と出会っていたら、
きっと交通事故で死ぬことはなかっただろう。不注意と衝動性を抑えられていたらの話。

南病院のM医師(児童精神科医)の診察を受けたかったなあ。
でも、私レベルだと「お呼びじゃない」のかもしれないね。軽いから。
脳内多動は迷惑をかけにくい。


んで、事故で、高次脳機能障害になって。
だいぶ回復したけど、私の根幹にはずっとある。

生前(交通事故以前)から、30%くらい鬱々としてた。
死後(交通事故以降)は、30のち4,50%くらい。
一人暮らしを始めた頃から、なーんかなあ

うつ病診断と発達障害傾向診断。
「広汎性発達障害(現在はASDと呼ばれる)」
主治医ちゃんさすがやね…
「後医は名医」以上のものを感じるよ。前のクリニック医より人間ができてる。ありがてえ。


精神を切り離して休ませたい。


入院は早くて2月下旬。予定があるからね。

ほんとは、2月の予定を退院後3~4週間の頭で過ごしたい。くやしい。
涙が出そうだ…

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