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テレパシーじゃ伝わらないから


「はい、どうぞ。」


女の子の小さな両手のひらに
私は、一切れのシフォンケーキを
そっとのせた。


栗の渋皮煮が入った
期間限定シフォンケーキは、
お店のオススメだった。


「うわぁ、フワフワ!」


フワフワをつぶさないように、
女の子は両手でそーっと包み込んだ。


*     *      *     *     *


白を基調とした明るく清潔感のある店内。
ショーケースは高級感のある重厚なガラスで
できている。


なだらかなガラスの斜面の奥に並ぶ
色とりどりのケーキたちは、
まるで芸術品のようだった。


雑誌にもよく取り上げられる
地元の人気洋菓子店で、
私はパート販売員として働いていた。


専業主婦を卒業し、15年ぶりの社会復帰。
あれほどスラスラ話せていたはずなのに
電話応対もしどろもどろ。


加齢とともに衰えた脳みそは、
商品の名前と値段をなかなか覚えてくれない。


三人の子育てに集中したことの後悔はないが、
社会から距離を置いた年月は
思いのほか私をどんくさくさせていた。


すぐに間違えたり忘れたりするたびに、
指導役のおじさん社員はため息をつく。


「なんでこんなことが出来ないんですか。」


毎日のようにイヤミを言われたが、
辞めようとは思わなかった。


憧れのお店で働ける喜びと、時々ごほうびに
買って帰る美味しいケーキに癒されて、
どうにか踏ん張れていたと言ったほうが
いいかもしれない。


*     *     *     *     *


その日、女の子はパパと二人で来店していた。
女の子は3歳くらいだろうか。


ショーケースをじっくりと眺めている親子に、
私は試食用のシフォンケーキをすすめた。


「期間限定の栗のシフォンケーキです。
よかったら、どうぞご試食ください。」


よしよし、マニュアル通りちゃんと言えた。


「お子様にも差し上げてよろしいですか?」
とパパさんにたずねる。


おじさん社員から「買ってくれそうな人に
一つだけ渡してくださいよ。」と
言われていたんだけど。


「わー、ありがとうございます!
ほら、おてて出して!」


パパさんに促されて、女の子は
両方の手のひらをそろえて
『ちょうだい』のポーズ。


あぁ、なんて可愛いの。


女の子の顔が見えるようにしゃがみこみむ。
トレーの中から、できるだけ大きく
カットされたのを選んで、
小さな手のひらにケーキをのせた。


「はい、どうぞ。」

「うわぁ、フワフワ!ありがとう!」

女の子はフワフワをつぶさないように、
両手でそーっと包み込んだ。


パパさんが声をかける。


「それはママに持って帰ろうよ。
〇〇(女の子の名前)はパパと半分こしよう。」


「うん!そうする。」


二人でシェアする姿も微笑ましく、
私の心もポカポカ。


すると、女の子はお店の外に停まっている
車に向かって手を振った。


「ママ〜!」


助手席に、もっと小さな子を抱っこした
ママの姿。おそらく、その子は途中で
お昼寝してしまったのだろう。


「ママのケーキ、何がいいかな?」


「うーんとね、チョコレートのやつ!
〇〇はいちごの。」

「はいはい。」


パパさんはケーキを3つ選ぶと
レジへやって来た。お会計の時、
勇気を出して言ってみる。


「あの…よかったら、これどうぞ。
車でお待ちのご家族に。」


急いで紙袋に2切れ入れて、
パパさんに差し出した。


「うわー、嬉しいなぁ。
ありがとうございます!」

「パパ、また来たいね〜」


と話しながら、二人は帰って行った。
深くおじぎをしてくるりと振り返ると、
おじさん社員はいなかった。


怒られると思ってドキドキしていた私は、
ホッと胸をなでおろした。


*     *     *     *     *


それから10日ほど経っただろうか。
出勤するとパティシエに声をかけられた。


「ねいびーさんにお手紙が届いてますよ。」


私宛に1通のハガキが届いていた。
差出人の名前はないが
『ねいびーさんへ』とある。


『先日は優しいお気遣いを
ありがとうございました。うれしかったです。』


間違いなくあの時の親子だ。
私の名札を見ていたのだろう。


名前も知らないお客さまが、喜んでくれた!
胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。


マニュアル通りではなかったけれど、
私なりのホスピタリティを
受け取る人がいてくれたのだ。


接客の仕事は初めてではなかったものの、
どうにもセンスがないとへこむ毎日に、
一筋の光が差し込んだ瞬間だったと思う。


失礼のない接客はできても、
人にものを薦めるのがとても苦手だった。
それからは少し自信がついた。


*     *     *     *     *


そして、この出来事から
1ヶ月後くらいの3月3日。


ひな祭りの日の洋菓子店は、思いのほか忙しい。クリスマスに肩を並べるくらい、
ケーキが売れるのだ。


お客様でごった返す店内には、あの日より
ちょっとだけ仕事に慣れた私がいた。


ケーキの種類も値段も頭に入っている。
迷うお客様に声をかけ、どんどん精算を
済ませていく。


入り口にふと目をやると、あの時の親子がいた。


「ハガキの人だ…!」


本当に、またご来店してくださったのだ。
声をかけたかったが、次々と押し寄せる
お客様への対応に追われて近づけない。


ひとことお礼が伝えたくて、
使えるはずもないテレパシーを送ってみた(笑)


ふと、ほんの一瞬。



パパさんと目が合った。



私は、ぴょこんと頭を下げた。



あちらもそっと会釈を返してくれた。


言葉を交わすことは叶わなかったけれど、
私の想いは確かに届いたと思う。


私の小さなチャレンジに気づいてくださって、
わざわざお手紙を書いてくださって、
ありがとうございます。


またケーキを買いに来てくれて
ありがとうございます。


あの日から私、接客業っておもしろいなと
思えるようになりました。



目の前のお客様がお買い物をする時だけ、
にこやかに接したらいいのだと思っていた。


でも、そうじゃない。


買ってもらったケーキが、お客様に運ばれて
味わっていただけるまで、接客は続いている。
お店を出た後を想像するのって、大事だ。


*     *     *     *     *


その洋菓子店には数年勤め、
もっと長い時間働ける場を求めて退職した。
今は全く違う分野の仕事をしている。


でも、あの時私を励ましてくれた
1通のハガキのことは、ずっと心にあった。


「今度は、私があのお客様のようになろう」


そう思って、バッグの中に
名刺サイズのカードを忍ばせている。


良い時間が過ごせるようにと
気遣ってくれたレストランで
帰り際にそっと置いて帰る。



お店で何かを買った時、アクシデントに
機転を効かせてくれた店員さんには、
後日ハガキが送れるように
ショップカードをもらっておく。


受け取った人がどんな反応だったのか
確かめることはできない。


私の自己満足かもしれない。


それでも、ひっそり続けたいと思う。


「ありがとう」の気持ちは
テレパシーじゃ伝わらないから。




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