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39歳だった私が子連れで11年大学に通った話

39歳のとき、私は大学に通い始めた。
当時4歳の長男を連れて。
その期間は11年に及ぶ。


目まぐるしくも愛おしかった
あの日々のことを書いてみたいと思う。


*   *   *   *   *


通っていた大学は、とある私立大学。
教育学部の授業に参加していた。
通うといっても週に1日だけで
午後からの授業に2限連続で出席する。


教員を目指す「先生の卵」たちが受ける
授業だった。障害を持つ子どもと保護者が
サンプルとなり、学生さんは支援計画を
立てる練習をする。


2006年、障害者自立支援法が施行された。
障害の種類を問わず、サービスを一元化して
地域で自立して生きられるようにする
目的で作られた法律だ。


このタイミングで大学の教壇に立つことに
なったA先生は、長年にわたり
特別支援学校で教員を務めてこられた。
現場経験の豊富なA先生がずっと実現させた
かったこと。それが「障害児演習」の授業だ。


障害児の教育に携わる先生たち誰もが
「個別の支援計画」を立てられるように
大学の中で演習型の授業を行う。
こうした取り組みはとても珍しかったと思う。


個別の支援計画は、支援学校では必須だが
地域の学校の支援学級では「努力目標」。
でも、発達障害の可能性がある子どもは
年々増えている(当時で6%、最近では
8.8%という調査結果がある)。


通常学級の担任であっても、診断を受けて
いない子を指導する可能性はあるのだ。


*   *   *   *   *



授業の主軸はグループ活動で
年齢、性別、障害の種類もさまざまな
子どもたちが10人ほど来ていたかと思う。 
4歳で軽度の自閉症と診断された長男は
サンプルの一人だった。


小学校を午後で早退し、車で大学へ。
門をくぐると、担当の学生さんが迎えに来る。
1グループ3人くらいいて、元気に挨拶
してくれる。


「長男くん、お母さん、こんにちは!」
若さのシャワーを浴びて私もシャキッとする。
連絡帳を渡し、1週間の様子を報告したら
親子は別々の活動に入る。


私はヒアリング担当の学生さんとお話をする。
はじめましての日は生育歴を。
そのほかに息子の困りごと、私の悩みごと。
できるようになったこと。
たまには学生さんの悩み相談なんかも。


教育実習はあっても、学生さんが
保護者とリアルに話すチャンスはない。


どうすれば親の気持ちを汲み取り、
良好な関係を築けるのか。サンプルの
保護者に、練習台になってもらうのだ。


*   *   *   *    *


「今、付けたい力」を見極め、半年間の
目標を立てる。そのためにどんな
アプローチが必要なのかも学生が考える。


実際の学校よりは自由度が高いので
長男もおもしろい計画を立ててもらった。


「鼻をかめるようになる」

※鼻から一気に息を吹き出す動作ができない。
風邪をひくと鼻水を溜め込み悪化させるのだ。「フンッてしてごらん」
「フン」(と言ってるだけ😅)
このやり取りが長年続いた。
自然に鼻がかめるって素晴らしい!


「一緒に野球をしようと声をかける」

※ずっと一人遊びばかりだった長男が
野球にハマり出した頃の目標。野球は
一人じゃできないので、誘う練習を。

別グループの学生さんに事前に知らせて
協力してもらっていた。もちろん
断られるケースへの対応も練習する。


「負けてもOKを学ぶ」

※勝ちに対する執着が激しく、負けると
癇癪を起こすので、我が家では長年
カルタが押し入れに隠されていた(笑)
負けたときの悔しがり方とか、言ってもいい
言葉とかを教えてもらった。


「失敗した人への
接し方を学ぶ」

※生真面目なところがある長男は、他人の
失敗に対して攻撃的になることがあった。
クッキー作りを一緒にする中で
「できないヤツ」を学生さんが演じてくれた。


*   *   *   *   *


ヒアリングが終わると、保護者たちと先生の
座談会みたいなのが開かれる。
短い時間なのだけれど、ここは保護者の
学びの場になる。悩みを共有したり
成功体験を話して参考にしてもらったり。


週に一度ここに来ることで、私自身が
正しい立ち位置に戻り、目指す方向を
間違えずに歩き出せたように思う。
保護者同士の交流も楽しかった。


長男もこの場所が大好きだった。
苦手なことをただ頑張っている感覚はなく
楽しいから乗り越えられていた
と言った方がいいだろう。


半年の活動を終えると、集大成として
活動発表会が行われる。最後にグループの
学生さんから手作りのプレゼントをもらい
お開きとなる。


活動の様子を撮影した写真アルバムとか
寄せ書きしたボールとか、忙しい合間に
手間をかけてくれたのがわかる。
本人はあんまり興味ないのが、ちょっと
申し訳なかった母(笑)


私たちが帰った後も、授業は続く。
グループごとに発表とフィードバック。
厳しい言葉に涙する学生さんもいたと聞く。
それでも、夜遅くまで頑張って頑張って。


私が学生の頃、こんなに熱く学んだこと
なんてなかった。見た目はイマドキの
学生さんを、改めてリスペクトする。


*   *   *   *   *


半年でメンバーが替わるので
その度に一から人間関係を築き直す。
コミュニケーションに難ありの長男には
負担かな?と思ったが、杞憂だった。


回を重ねるごとに慣れ、一番の古株に
なった頃には学生さんにあれこれ教える
姿も見られた(笑)
継続したからこそ付いた力だ。


こんな貴重な経験をさせてもらえたのは
学校側の理解があったのも大きい。
毎週の早退に対し、クラスメイトに
説明する時間を作ってくださった。


大学で学んだことは学校とも共有し
普段の指導に役立ててもらった。
校長先生や支援学級の先生が
見学に来てくださったこともある。


もう一つ、忘れてならないのが
家族の協力である。
通い始めた頃、長女は小学2年生。
お義母さんがお迎えとお預かりを
してくれた。


そして、私は3人目を妊娠中だった。
大学の春休み中に出産を済ませた。
3/3生まれの次男、ナイスプレー!


次男もお義母さんに見てもらい
その間に大学に通い続けた(ちなみに
母乳育児だった)。義実家に寄って
晩ご飯とお風呂を済ませ、夫の夕飯は
お弁当箱に詰めて持ち帰る(笑)


「できるだけのことはしてやりなさい」
この言葉に甘えて、気付けば11年経っていた。


中3のときに、受験もあったので
通うのを卒業した。ささやかな卒業式も
開いてくださった。
車のバックミラーに映る、お見送りの
学生さんたちが手を振っている。


あぁ、もうここに来ることはないんだ。
守衛室の横を通り過ぎてカーブを曲がると
学生さんの姿はなく、通い慣れた田舎道が
まっすぐに続いていた。



長男は今、大学3回生だ。あの頃の
学生さんと同い年になったんだなぁ。
みんな元気にしてるかな。
先生の仕事、きっと大変だよね。
今でも頑張ってますか?



集団生活になじめなかったけど
なかなか友達ができなかったけど
あの場所があったから
私も息子も救われた。


週に一度のキャンパスライフ。
書きたいことがありすぎて
まとまらないまま下書きに眠っていた。
11年越しの卒論を書き上げた気分だ。




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