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角の喫茶店 / 熊本県熊本市下通

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Rは45歳のある日、人生を終わらせることを決めた。何もかも嫌になったから。寝るのが何よりも好きだったから。自分が生まれる日を決められないなら、死ぬ日は決めようと思っていたから。

本当の理由は、誰も知らない。
それはRが選んだ、格別な結末。
Rだけの、人生の終わり方。


Rは、自分の名前が心底嫌いだった。上の文字は音読み、下の文字は訓読みの、いわゆる重箱読み。そしてその名前の所為だと疑りたくなるほど、いつも不器用に使い慣れない人生だった。

Rの顔立ちは、気品があって、立体的で複雑な構造をしていた。まるで名前に似合わない顔なのだ。それに、Rが存在する場所の周りには高貴な孤独が静かな波紋のように広がっていた。側にいる人間を、まるで喜劇漫画の登場人物のように簡素で滑稽に見せた。そんな、意地悪で繊細な美しさをまとっていた。

そういえばRは20代の頃、ある日出会った人とよく待ち合わせをしていた。この喫茶店で、いつも夜遅くに待った。待てど暮らせど、来ない人を待った、といった寂しげな一文が似合う佇まいで。
待ち合わせの相手は、もう、すぐにやって来る。

Rは、珈琲一杯を注文した。その選択で、Rははじめてのよろこびを手に入れた。人を待つことの切ない幸福は、珈琲一杯と、飲み干した余白で十分に事足りた。

この喫茶店の珈琲は、いい。
この後、待ち合わせの相手と冷たい麦酒を飲むのに、そんなことを考えていた。

Rは、この喫茶店の珈琲以外の品書きを知らない。待ち合わせの相手が来た日も、その次の待ち合わせも、ただ珈琲だけを注文し、この喫茶店で待つことを選んだのだった。

その日、珈琲の湯気が立ちのぼる合間にその人はやって来た。Rの周りにまとわりついた孤独は、淹れたばかりの珈琲豆の香りを引き連れて、二人と一緒にドアの外の階段をするするとのぼっていった。 

喫茶店の一番の売りである珈琲の看板が、香りと存在が残した風で少し、揺れた。


Place: Café de RAM 下通

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