「ワインバーのふわふわ女子店員」 #働くステキ女子、発見!#Chapter5
過去に『Oggi(小学館)』にて連載されていたものです。
#Chapter5「ワインバーのふわふわ女子店員」
行きつけのワインバーにSちゃんがいる。
Sちゃんは松嶋菜々子とモデルのはなちゃんを二で割った感じに似ている。
でも彼女は料理をする人で、狭いカウンターの右端の調理器具のあるところにすっぽりおさまっているので、割とその美人度合いが分かられていないように思う。それから、白いコック帽に白い割烹着を着ているため、彼女のふわふわの長い髪や、趣味のいいセーターなど皆は知らない。私はなんで知っているかというと、閉店間際にお店に行って、マスターと話し込んでいる間に、Sちゃんが着替えて、
「お先にあがります〜」
と、私服で帰っていくことがあったからだ。彼女のナチュラルで品がいい私服、長い髪にドキッとする。スローフード雑誌に出てきそうな素肌美人なのだ。きっと彼女のお部屋、肌触りのいい上質なリネンに囲まれているんだろうなぁ。カーペットもふかふかで、レースか麻のクッションがところどころにあって、木製のアンティークのテーブルがあって。なんて、行ったこともないけど、勝手に想像していた。
彼女のつくるパスタ、特にナポリタンが好きで仕方がない。喫茶店のナポリタンは、たいてい、ゆがきすぎてべちゃっとしているが、Sちゃんがつくるナポリタンは、あの懐かしい喫茶店の味なのに、パスタがきちんとアルデンテなのだ。そこが絶妙。あのケチャップの甘い味、けれど隠し味がガーリックなのか、タマネギをよく炒めてあるからなのか、奥行きのある味にまとまっている。そんなナポリタンに、深夜疲れて訪れる私は、癒されてしまうのだ。Sちゃんが私のためにつくってくれるナポリタン。私はそう思っているが、たぶん、訪れる客がみんな、そう思っているんだと思う。Sちゃんが俺のためにつくってくれたナポリタン。Sちゃんが僕のためにつくってくれたオムライス。そう、オムライスも定番メニユーにある。ふわふわのオムレツが、ケチャップ味のご飯の上にお布団をきてるようにのっている。で、Sちゃんからそれを受け取り、黄色いオムレツにナイフをいれて左右に開くと、オムレツのなかの、とろとろの部分が表に出てきて、ライスを包み込み、黄金のオムライスが食べる直前に完成するのである。
彼女の家に遊びに行って、彼女が自分のために料理を振る舞ってくれている、という風に感じてしまうのは、どうしてなのだろう。ナポリタンやオムライスという、ほっこりした家飯的なメニューのせい?その懐かしい味のせい?それもある。でもきっと、Sちゃんの、お布団みたいな、ふかふかな笑顔のせいだなぁ。
彼女は辛そうな表情を見せたことがない。聞けばお昼に仕込みに入り、そこからずっと立ちっぱなし。お客さんの目の前で黙々と調理すること、深夜1時まで。そこから片付け始めて、やっと深夜2時に閉店だ。ときどき客が多かったり、マスターのノリで深夜3時までフライパンを握る羽目になることもある。休みなく立ちっぱなしで料理をつくり続ける。それもカウンターの奥の端で。そしてカウンターから出来たお皿を渡してくれる時、
「元気?」
と、ちょこっと声をかけてくれる。太陽みたいな笑顔で。それにみんなやられちゃうんだと思う。だから連日その店は満員なのだった。
私は食いしん坊なのであれこれちょこちょこ食べたい夜がある。でもそんな深夜に沢山食べたら、胃がもたれちゃうし、一応私も女なので、ウェイトのことを気にしてしまう。でも食べたい。そんな葛藤をマスターの前でしていたら、Sちゃんがそれに気づいて、カウンターから身を乗り出して、そっと言ってくれた。
「ハーフ、つくろうか?」
「ハーフ?」
酔った私がこっくりと頷くと、ハーフサイズのオムライスが出てきた。それから、ハーフサイズのナポリタン。どちらも、ハーフなんてメニューはないんだけれど。オムライスは、小さなライスの上に小さなオムレツがのっていた。まるでお子様ランチ。私はあれこれ食べられて満足して、ご機嫌でSちゃんとマスターに手を振って帰宅したのだった。
マスターはお酒が好きで、お客さんにおごってもらうと、ほいほい飲む。そのオキラクな感じと、ダメ〜な感じが、お客から人気があるのだ。
ある晩、マスターがひどく酔っていた。ワインの仕入れ先の試飲会があったらしく、開店前からベロベロだったらしい。
私が店につくと、満員でマスターはお客さんに絡んでいた。
「おい、赤シャツ!」
赤いシャツを着たお客さんに、ワイン片手に近寄って行く。可愛い絡み方ではあるからお客さんも面白がって笑っている。でも常連じゃない人に絡んだら、大丈夫かしら、とヒヤヒヤその様子を私は見ていた。すると、満員なので絶えず料理をつくらねばならず、てんてこまいのSちゃんが、怖い顔をしてマスターを呼んだ。
「ん?なに?」
ふらふらとお客さんのところからカウンターに戻って行くマスター。何かSちゃんがマスターの耳元で言う。私はそのそばだったので聞こえた。
「もう帰ってください。大丈夫ですから」
「え?ああ、そう、だなぁ」
「もしくは外で頭冷やしてきてください」
「ああ、うん、飲み過ぎかぁ…」
マスターは頭をかきながら申し訳なさそうに、酔いを冷ますために外へ出て行った。Sちゃんは私の視線に気づくと、えへっ、と肩をすぼめて、そしてまたお客さんのためにご飯をつくり始めた。
そんなお店だって、たまたまお客さんがあんまり来ない日もある。寒すぎる夜や、雨がひどい日などは、マスターもやれやれという顔をしている。それでも何人かはお客さんがいて、Sちゃんはせっせとご飯をつくった。そしてその後、注文が途絶える。私はオムライスをはふはふと頬張っていたが、Sちゃん何してるのかな、と気になった。が、カウンターの奥にSちゃんの姿がない。トイレ?でも出てきた気配がないし。お店は狭くて奥の部屋もない。私は立ち上がってカウンターの奥を覗きこんだ。すると、Sちゃんは、調理器具の隅にしゃがみこんで、何か両手に持って操作していた。携帯?メールしてるの?少しやさぐれた感じと、そのギャップが私には面白かった。
いいぞ!Sちゃん!そうだそうだ、こそっとサボれサボれ。
マスターに聞いた。
「彼氏へのメールかな?」
マスターはSちゃんをちらっと見やると、首を横に振った。
「違うよ。あれ、ゲームしてるんだ」
「え?ゲーム?」
「DSしてる」
ちょっと笑ってしまった。しっかりもののSちゃん。気だて良しの笑顔良し。が、いま、カウンターの奥で不良みたいにしゃがんでゲームしてるんだから。マスターと私は顔を見合わせて笑った。ますますSちゃんに興味を持った。
Sちゃんは注文が入るまでしばらくそのままの体勢でぴこぴこやっていた。ひまつぶし、というより、無心になるんだろう。その人なりのささやかなストレス解消法ってある。お店の定休日は日曜日だけだけれど、唯一のお休みは、何をして過ごしているんだろう。
その後、すぐに私が作・演出する舞台の稽古が始まり、てんやわんやで忙しく、そのお店から足が遠ざかった。毎日、コンビニご飯で済ませなくてはいけなくて辛い日々。やっと初日を迎えた。
終演後、最初に楽屋に来てくれたのは、びっくりしたがSちゃんだった。
「良かったよ!」
「え!?どうして?あれ?チケットは?」
来ると聞いてなかったし、特に公演の話をしていなかったので驚く。
「自分で調べて、かなり前に前売り券、買ってあったの。マスターから、エリーちゃんが初舞台やるって言ってたよって聞いて、観てみたいと思って」
Sちゃんは少しおめかしをしていた。けれど相変わらず手触りのよさそうなナチュラルなワンピースを着ていた。スカートにブーツ。すらりとスレンダーな彼女。モデルさんみたいだった。
「ありがとう…貴重なお休みなのに…」
その日は定休日だった。
「ううん。家でどうせだらだらしてるだけだから。エリーちゃんの酔っぱらい姿しかみたことがなかったから。がんばったね」
無性に彼女のオムライスが食べたくなった。そうだ、彼女の笑顔と料理には、
「がんばったね」
という真心がこめられてるんだ。だから一日の終わりに、彼女に会いたくなる。
いつかおうちに遊びに行ってみたいな。一緒に何しよう。ゲーム?
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