”マウントを取る”というヘンテコな言葉が流行っている

私が日本にいない間に、”マウントを取る”という言葉が流行り出していたようです。
アメリカにいた間も全く日本の情報を絶っていたわけではないのでなんとなくよく聞く気がしていたが、どういう意味かよくわからなかった。
帰国してからも聞くことが多く、意味を友人に聞くも、あんまりmake senceしないという感じ。
言っている意味はわかるんだが、その言葉の役割や機能性がなんだかしっくりこないというか・・・
確かに、昔、私はあの人にもこの人にも好かれていてモテてしゃーないとかかっこいい彼氏の話ばかりの女性や、
こういうすごい人と私は仲良しみたいな話の聞き役になった時、へぇ~すごいね、いいねーくらいしか返答できないので楽しくないなぁという経験はあるので、そういう状況はわかる。たくさんそんな女性と会話してきたから。
てことは私はマウント取られまくり女子だったんだな。
でも本当にそんな感覚は今もない。
あからさまにどーだ!て感じなら申し訳ないがちょっと面白い、そしてかわいいなと思ったり、
あーこの人はこれが自慢なんだな。自分をすごく見せたいんだな。
もしくは嬉しいんだな、自分で誇らしいんだなと思って聞いていた。
時にはいいねいいね~て楽しく聞くこともあったと思う。
本当に、誰が上下、勝ち負けの世界が私にとってっ無意味でありしんどい世界でしかないからだと思う。

うん、だから、マウント取る女子も取られる女子も、根本は同じ気質、無意識的に自分と他人を上か下か勝ちか負けかで見ているんじゃないか。というか、取られたという側だけにある場合もある。
なんか、取られた女子の方が戦いにっ持って行ってる感。冷戦開始みたいな・・
よって、取られたという側のタイプの人はちょっと合わないかも・・・なんかめっちゃ気を使います。
取る側の女子の方がよっぽど気使わずに楽チンに話せるなぁ

でもきっとこの言葉はとても頑張り屋さんで常に何かと戦っている女性が作った言葉かもね。
だけどこんな言葉を作ったなら、本当は戦いたくない本心からじゃないのかな。いや、むしろ戦ってる方が安心するのかな?
これは日本の学校教育が育てた気質でもあるね。
私はいつも学校で数字や早さで競ったりする場面に違和感をっもっていた子どもなので、こんなこと思う私の方が変わった人間なんだろうけど。でも海外生活の経験上、これは日本特有の言葉だと思う。

まだまだみんな同じ土俵で戦い、正解に沿った者が素晴らしい文化が強いこの国だから。

でも少しづつ、みんな違ってみんな良い。が当たり前の世の中になる方向へは進んで行っていると思う。
私みたいにこの違和感を感じていた人たちが少しづつ語り出していっている。

私は日本の外へ出て、自分は何も変じゃなかったんだとわかることができたけど、日本にずっといる人は、まだ自分はおかしいんだと苦しい思いをしている人もいると思う。
そんな人たちに全然変じゃないよって知ってほしいと切に願う自分がいる。
こんなこと書いてもな??この社会だとまた変って言われそうだし・・、て思いそうにもなるけど
やっぱり自分の感じたことを記すことをやめないでおこうと思います。誰かの救いになる可能性がゼロでない限り。

本当にみんなぜーーーーいん同じ人はいなく、得意不得意がそれぞれ違い、遅い早い、タイミングも様々なだけ。
自分のことも誰のこともジャッジしんとこう。そんな世界にいたいです。

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