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恋愛は、距離「感」が全て。

恋愛は、距離「感」が全てではないか。

約3年の遠距離恋愛を終え、現在同棲中の身である私は、そう思う。

私がアメリカ、彼が日本で約2年。その後、彼が南米、私が日本で約1年。足掛け計3年の海外遠距離恋愛を経て婚約し、現在彼と私は同棲中である(私も彼も日本人です)。

3年間の遠距離生活も山あり谷あり色々あった末、試行錯誤して距離を乗り越えてきた(このあたりの遠恋乗り越えTipsはこれからnoteにしていきたいと思う)。

しかし今、遠恋を無事終えて婚約中の私が現在進行形で感じているのは、大事なのは距離ではなく距離「感」だ、ということである。さらにいうと、距離感の「詰め方」が非常に大事だと思う。

長い遠恋生活から一転、同じ家で毎日暮らす日々が始まった。
地球の裏側から一気にゼロ距離生活である。

最初のひと月くらいは、ただ近くにいれることが嬉しかった。
時差を超えてのSkypeのために早朝に起きる必要もなく、毎日たわいもない出来事の会話ができる。
コロナの事情もあり遠出をすることはできないが、毎週末一緒に過ごせる。
近くのスーパーに一緒に買い物に行くだけでも楽しかった。
自分が求めていた、パートナーとの理想の生活がそこにあると感じた。

しかしふとしたときから、違和感を感じ始めてしまったのである。

当たり前だが、これまで見えていなかった部分の生活が、全て見えるようになったのだ。
遠恋中はずっと、毎週末のSkypeの時間以外は、それぞれ自分の時間だった。自分の時間にどんなことをしているか、それなりに伝え合ってはいたが、もちろん全行動を伝えていたわけではない。
遠恋だと余計に、向こうの国の環境もよく分からなければ、交友関係も分からない。
だけど、だからこそ、そんな中で周りの仲間と切磋琢磨して、いろんなことを吸収して、お互い自分の成長のために取り組んでいると思っていた。
先にアメリカに行った自分が現地で(些細でも)夢を見つけ、帰国してもその夢に向けて取り組んでいるのと同様に、彼も何かを見つけ、きっと帰国後もそれに向けてがんばるのだろうと、勝手に思っていた。

しかし、一緒に暮らし始めて、距離がゼロになって、気づいた。
私が自分の夢に向けて勉強したり活動したりしている間、彼は映画を見たり買い物に行ったりと、余暇としての時間を過ごしていることに。
つまり、私は未来の夢を追いたい人間で、彼は身近な毎日の幸せを大切にする人間で、それぞれで時間の使い方が全く違ったのだ。

もちろん私は、彼が帰国後仕事で多忙を極めており、毎晩深夜まで働いて寝に帰るような生活をしていることを知っている。さらに、朝ごはんを作ってくれたり、週末に家事を一緒にやってくれたりと、彼は家のこともおろそかにしていない。

真っ当に仕事をしながらしっかり家事もしてくれるというのは、正直言ってパートナーとして文句のつけようがない。自分の彼ながら、共に暮らすにはパーフェクトである。そんな彼が自分の余暇をどう過ごすかは、全くもって私が口出しするようなことではない。

だが、私の夢は、彼との自由な時間をもっと過ごしたいがために目指しているものなのだ。

遠恋中ずっと彼にもそれを伝えていたし、一緒に頑張ろう、と彼も賛同してくれていた。だから、実際の休日の過ごし方を見た時に、「なんで私だけ」とモヤモヤしてしまったのだ。

でもこれは、距離感を一気に詰めすぎたことによる弊害なんだと思う。
互いに干渉しすぎない。お互い自立する。
そうやって距離感を一定程度保ち、自分の時間を持つことでやっと、3年間の長い遠恋を乗り越えてきた。遠恋を続けるには、距離感を保つことが必要だった。

しかし、生活を共にし始めて距離が近くなった以上、距離「感」も詰めて良いのだと感じてしまった私は、家族(になる予定の人)である彼を自分と同一視してしまい、一方的に自分と同じ考え方を押し付けてしまっていた。
彼と私とは違う人間であり、家族になったとしても、考え方が違って当たり前である。
そのことを理解できてからはモヤモヤも薄れ、彼との日々の暮らしに感謝できるようになってきた。

実際の距離はコントロールできなくても、精神的な距離「感」はコントロールできる。

自分と相手とは違う人間であることを忘れず、二人のちょうど良い距離感を見つけて、保っていくことが、パートナーとうまくいく秘訣なのではないかと思う。
(のでこれからも頑張っていきたいと思います!!)

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