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大人の恋はduolingo

なんだこの昭和の歌謡曲みたいなタイトル。いいの、だってちょっと狂ってるから。今duolingoというアプリでイタリア語を学び始めてハネムーン期である。うわっ動詞活用えぐい、とか名詞も形容詞もジェンダーに振り回されるとか今の時代おかしくない?とか全てが楽しくてたまらない時期。もうちょっとすると、お前いい加減にしろよ!と別れが頭をよぎる時期が来るのだ、知ってる、知ってるよー。

特に必要があって勉強しているわけではなくて、お店やホテルの人と会話ができたらいいなーという程度のモチベで始めた。次の旅では、ポンペイ遺跡にお弁当と本など持ち込んで、古代の人みたいに朝から夕方まで過ごしてみたいと思っている(時間制限、ないといいのだけど…)。

1回5分程度のゆるゆる設定で、5レッスンぐらい続けてしたり、ノートを取ったりしたらすごーい!と自画自賛している。この5分以内に同じ文章や単語がアホほど繰り返されるのだが、ピコーンといちいち褒めてもらえるのも嬉しい。やっぱり「わたしできる(かもしれない)子!」という自己肯定感大事。

いくつかの言語との出会いと別れを経験してきた大人としては、自信をもって言えるのが冠詞の活用だけ、とかそういうことはもう避けたい(e.g. 大学時代のドイツ語)。楽しい戯れから始めて、きちんと知りたいな…という真剣みが自分の内から湧いてくるのを待つ、というこのスタイルはとても良い。正しい順番で、ひとつひとつを完璧にこなさなくては、と思うと重荷になってしまうから。

先週レストランに行った時、イタリア人のオーナーシェフが各テーブルに挨拶に来た。「はじめまして。毛糸です」「とてもおいしいです」「ありがとうございます」が言えた時、嬉しくてわたしの顔は光っていたと思う。もっと頑張るぞー!という気持ちで、帰りは走り出したいぐらいだった。おかしくなっています。

この盛り上がりがいつか終わることを知りつつ、夢中になっている自分を楽しんでいる感じ、われながら大人になったよなあ、と思う。来月はもう諦めていて、イタリア語?えへへ、あーあれねー盛り上がってたわー…ってなっているかもしれない。それはそれでいいと思う。刹那的であれ、生きていくうえで楽しいことはひとつでも多い方がいいことは間違いない。

これ、短歌でも同じことが言えるかな?と考えてみる。来月、全然詠む気も読む気もなくなったら、えへへーあれねーって言えるかな…きっと言えない。たぶん大きな穴が開く。短歌とは下手の横好きなりに真剣なおつきあいに入っているようである。

〆の短歌は再放送で失礼します。
ポンペイの最期の朝も堅牢な窯でパン焼くひとがいたこと

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