見出し画像

「ベルサイユのばら」と私、について、暑苦しく語ります。

宝塚の「ベルサイユのばら」についても語ります。タイトル画像は真面目でお堅い会社員として働いていた頃の私が愛用していた私用スマホのケースです。周囲の人々を震撼とさせていたシロモノです。

先日、2024年9月4日水曜日に東京宝塚劇場で実際に座席に座って観劇してきたことで、心の中に長年にわたって蓄積されてきたモヤモヤ、モゾモゾは、高圧ジェット噴流で吹き飛ばしてしまったのですが、その複雑怪奇な思いを無かったことにはできません。その一部を、今日の私の言葉にしてみようと試みます。


1.「悲しみの王妃」

子供の頃に住んでいた街の川沿いの図書館で、私は少年少女向けの本を片っ端から読んでいました。偕成社世界少女名作全集全40巻は愛読シリーズでした。

その中でも「悲しみの王妃」という作品に強く心を惹かれました。美しい挿絵とわかりやすい文章で、見知らぬヨーロッパの物語に惹き込まれて夢中になりました。

これは、大庭さち子という著者が「シュテファン・ツワイクによる『マリー・アントアネット』」を小学生向きに紹介した本だったのです。

写真に撮った本は大学時代に早稲田通りの古本屋で発見して購入したもので、今でも大切な宝物です。
巻頭言です。幼い読者のひとりは間違いなく強い感動を受けました。

美しい挿絵。まるで宝塚の舞台を予告するかのようです。


ネットの古本書店に、まだ何冊か出ているようです。


2. 週刊マーガレットの連載

「ベルサイユのばら」は1972年4月から73年12月週刊少女漫画雑誌「マーガレット」に連載されました。

漫画を読むことは母から禁じられていたのですが、ピアノのお稽古に行くとレッスンの待合室に週刊マーガレット(週マ)が置いてあったので、私は「ベルサイユのばら」連載をリアルタイムで読んでいました。
(週刊少年キングも置かれていて、キングでは「ワイルド7」がお気に入り)

週マでベルばらを初めて読んだ瞬間に、あの物語だ、と、すぐに気がつきました。

池田理代子先生は、ツヴァイクの「マリー・アントワネット」を読んでインスピレーションを得たと仰っているので、正解でした。少女漫画の読者に歴史モノはダメだ、と突っぱねてきた編集者に抗って、よくぞ描き通してくださいました。
偉業です。小学生の読者ながら、壮大なドラマを読む喜びに打ち震えたものです。

夏休みには母の実家に泊まりがけで遊びにいったものですが、祖母が好きなものを買ってくれるなど甘やかしてくれたので、週マも買ってもらいました。漫画本をバラしてお気に入りの絵を切り抜いて宝箱に入れておいたものです。オスカル様の、舞踏会のぶち抜き全身像とか、美しい顔のアップとかを大切にしていました。愛用のスマホケースのオスカル様の“美しきドヤ顔”も、切り抜いた記憶があります。


3. 原作の「ベルサイユのばら」と、宝塚の「ベルサイユのばら」

こんな経緯から、わたしは原作「ベルサイユのばら」のファンです。

オスカル様は憧れの女性像です。
自分の意思を持ち、自分の力に自信を持っていて、美しく賢く明るく、そして自ら生きる道を選び、愛の対象を選び、時に恐れや悩みにもがき苦しみながらも怯むことなく進んでいく姿に、幼い頃からずっと憧れていました。

1974年頃、宝塚歌劇団がベルばらを舞台化すると知った時には、
「日本人女性が金髪のカツラをつけてオスカル様を演じるのは無理でしょ」と、
幼な心に拒絶を感じたものです。

1979年3月に封切られた実写版「ベルサイユのばら」に対しても、白人女性のリアルな肉体を持ったオスカル様に拒否感を覚え、見ていません。

この記事を書くために調べていたらデジタルリマスター化されていることを知り、
不安と共に、見てみたい気持ちが生まれていて、惑乱しています。
今は、急ぐまい。 ここに、トレーラーを置いておきましょう。

でも、NHKの劇場中継だと思われる番組を、見てしまいました。
初代オスカル様役の榛名由梨さんが演じる様子を見て、僭越にも、バスティーユ前の群舞のシーンは悪くないな、などと思ったものです。いくつかのセリフをこの時に覚えています。
でも、なにしろ田舎の小学生だったので、テレビ中継されているその舞台が、この世のどこかに実際に存在している、というような実感は、全くありませんでした。


4. 宝塚、平成の「ベルサイユのばら」

月日は流れ、1989年〜1991年のいわゆる「平成ベルばら」の時代になりました。

当時のわたしはサラリーマンで、当時流行りの女性営業職として、千代田区有楽町の客先企業を毎日のように訪問していました。東京宝塚劇場という劇場は営業活動のエリア内なので、劇場の前を毎日普通に歩いていました。

次第に、ここが、宝塚歌劇を上演する劇場なのだと理解しました。この劇場ではいつも「ベルサイユのばら」を上演しているわけではなく、オリジナルの作品を次々に上演しているようだ、とわかってきました。キラキラのついた舞台装置が劇場から運び出されてトラックに詰め込まれる様子を何度も見かけ、劇場の地下にある小さな食堂に寄り道して明石焼きを食べたりしながらその場所に親しみを覚えるようになりました。
そして「宝塚のベルばら」を許してやってもいいかな、という気持ちになっていました。原作「ベルサイユのばら」も連載が完結して久しく、もう、頑なに神格化することもないな、と、徐々に考えが変わっていったのです。

そんな時です。職場の同僚から誘われました。

「ゆうこちゃん、ベルサイユのばら、観たい?チケット手に入るけど
即座に「観たい」と答え、これが運命の分かれ道となりました。



5. 初めて宝塚歌劇を劇場で観た

それは宝塚の最初の「ベルサイユのばら」シリーズが終了してから13年後、
1989年の雪組公演「アンドレとオスカル編」でした。

私が観たのは、美しいフェルゼンを花組の朝香じゅん(ルコさん)が演じた回でした。調べてみたら、観劇の日は、1989年11月4日(土曜日)もしくは11月5日(日曜日)のことだったようです。

私の席は、2階のバルコニー席の先端でした。

フェルゼンが、スウェーデンに帰国する挨拶のために礼装で現れて、上手の花道に向かって歩いてくるシーン。深緑色のスウェーデンの軍服姿のルコさんが、視界のすぐ下で麗しい敬礼をした時に、
私はそのまま、滝壺に落ちるかのようにハマってしまいました。

(今回2024年のフェルゼン編鑑賞体験を経て、ルコさんの演じたフェルゼンは私の観劇記憶の中で「殿堂入り」となりました)

その後、ルコさんは1990年花組フェルゼン編にアンドレ役として配役されました。4人の役がわりのオスカル様を相手に好演し、上演史に名前を刻んでいます。

オスカル様役は、涼風真世さん、紫苑ゆうさん、真矢みきさん、安寿ミラさんで、それぞれが美しかったのですが、真矢みきさんの演じたオスカル様の衛兵隊との絆の表現がすごく好きだったことを覚えています。前の記事にも書きましたが、1989年星組公演での紫苑ゆうさんの演じたオスカル様の姿が忘れられません。

ルコさんが演じたアンドレは大人の男で包容力のあるアンドレと評価されていましたが、わたしにとってのルコさんは、あの深緑の軍服をまとったフェルゼンです。

それに、アンドレって、大人の男で包容力のある人、なのでしょうか。



6. フランス革命周辺情報へのアプローチ

ベルサイユのばらを宝塚歌劇団が上演することについて、実際に宝塚の舞台を見たことでひとまず心の中で整理をつけることができた私は、フランス革命周辺情報をより広く学んだり、歴史トリビアを学んだり、好きなことに導かれるならばどこまででも行ける旅を少しずつ歩き始めました。「ワタシ、勉強が好きなのよ」とうっかり口走っては周囲から顰蹙を買うタイプの上に、地味に時間をかけて努力を重ねる山羊座です。

知識は、音楽を聴くにも絵を観るにも映画を鑑賞するにも小説を読むにも、他の宝塚歌劇のオリジナル作品を理解するにも大いに助けになりました。

実際にベルサイユ宮殿やシェーンブルン宮殿を訪ねると、本で得た知識が手触りを持って現れて、目に見える3Dの世界の奥に何層にも重なるように感じられます。
ベルサイユ宮殿の大混雑する鏡の間で、
きょうは、ベルサイユは、大変な人ですこと」と、
口に出して言える幸せ。原作の、王太子妃アントワネット様の名セリフです。
もちろん合いの手はオスカル様の「なんという…なんという誇り高い人だ……」。



7. 宝塚の「ベルサイユのばら」の問題点

そうなってくると、フランス革命の登場人物がタカラジェンヌたちによって血肉化される宝塚の「ベルサイユのばら」は、実に面白いのです。クセになるのです。
ところが、すぐに問題が明らかになりました。原作との乖離です。

宝塚の主人公は「男役」が演じるのが原則です。この物語の男性の主要登場人物は、フェルゼンとアンドレなので、この二人をどうでも主役級にしなければならないという制約があります。

ところが、ベルサイユのばらは少女漫画が原作ですから、主人公は当然女性です。全編を通じて物語の中心にいるのは、アントワネット様、前半の事実上の主役はオスカル様です。舞台ではさまざまな人物が絡んできますが、原作の主要な登場人物のうちデュ・バリー夫人は最初から不在、ポリニャックさんとジャンヌはいつの間にか消えてしまいました。
ロザリー、ばあや、オスカル様の母上と5人の姉上、時にル・ルーが登場しますが、劇中人物としては、奥行きの浅い、唐突で謎な人物たちです。

オスカル様は女性なので、立場は微妙に揺れていました。1975年版の副題は「アンドレとオスカル」。1989年の再演「アンドレとオスカル編」を経て、1991年にようやく「オスカル編」が初めて現れます。

今に至るまで「マリー・アントワネット編」「マリー・アントワネットとフェルゼン編」はありません。アントワネットさまが登場しないバージョンまでできる。
でも、フェルゼンが主役の「フェルゼン編」は、ある。まあ、そこは理解します。

それなのに原作にないエピソードや、人間関係、話の展開が加わってくるのです。

いやもう、これは困る。削除は仕方ないと考えることも可能だけれど、
新しい物語を付け加えられては、納得がいきません。



8. 宝塚の「ベルサイユのばら」のフェルゼン編

2013年のフェルゼン編を観た日にFacebookに投稿した記事を掘り起こしました。

2013年7月10日

今日。昼間。「フェルゼン編」見てきました。

これから観るお友達もいるでしょうから、いま、あまり多くを語ってはいけないと思う、そんな理由もあって、いま、いろんな言葉が頭の中をぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる・・・・

その渦巻きの中からいちばん大きく聞こえてくる声は

「なんじゃこりゃあ?」

出典Facebook、「友達限定公開」の投稿より


フェルゼンの想い人は王妃アントワネット様なので、アントワネット様に関するエピソードの比重が高くなりますが、オスカル様とアンドレはどうしても出番が少なくなります。

限られた時間の中ですから仕方がないのでしょうけど、オスカル様とアンドレに関する大切なエピソードがごっそり削られているために無理が重なります。

1幕の後半。何故か、美しき近衛隊士ジェローデルがウェーデンのフェルゼン邸に赴き、こんな会話になります。

フェルゼン「王妃様をお守りする役目のオスカルは、どうした?」

ジェローデル「オスカルは死にました」

記憶から

この時フェルゼンは「可哀想に」と言ったかもしれない。

オスカル様に対してなんという不適切な発言なのでしょうか。

予備知識ゼロで初見した人が「ジェローデルって誰?」となっていたのを最近のSNSで読みました。ジェローデルは、オスカル様とアンドレの間に化学変化を起こすきっかけの一つを作る大切な登場人物なのですが、そこが削除されています。
もちろん、原作でジェローデルがスウェーデンに行くことはありません。

フェルゼン編には無理があるんです。文脈理解を観客に委ねすぎなのです。

そしてここから先は、あまりにも衝撃的で、言葉にするのも不快なのですが、
やってみますよ。

オスカル様は、密かに片思いしていたフェルゼンから
「そんな偽りの軍服などを着ていても、お前には男の心などわかりはしない」
と、ひどい言葉をかけられました。そして、フェルゼンはスウェーデンに帰国してしまいます。
明日はパリへ出撃という夜のこと。危険な任務の前夜、生きる道について胸に秘めた決意もあり(原作の読者は知っている)眠れずに物思いに浸っています。

すると、フェルゼンからの手紙(こんな手紙は原作には無い)が届きます。

(手紙の言葉が、フェルゼンの声で語られる)
「君は気づいていないだろうけど、アンドレが、たいそう君を慕っているんだよ」
「アンドレが?わたしを?知らなかった!」

出典:記憶から

オスカル様は驚きながらも、
すぐさまアンドレを私室に呼びつけて、いきなり訊きます。

オ「アンドレ、お前はわたしが好きか」
ア「…すきだ…!」
オ「愛しているか」
ア「……愛している…!」
オ「愛しているなら、わたしを抱け!」

出典:記憶から

そして、「今宵一夜」のシーンへと雪崩れ込む。

やっぱり、この展開は、受け入れ難い

オスカル様とアンドレとの関係は、時間をかけて大切に育みあってきたものです。

長い長い積み重ねのうちにゆっくりとお互いの心が近づいて、
それぞれが相手を大切に思っていることを自覚し、戸惑い、苦悩し、そして、

1978年、全国の週刊マーガレット読者を震撼とさせた、
少女漫画なのに主人公が、、、! という(あの驚愕の)シーンになる。

丁寧に織り上げられた運命の中で、求め合うお互いを受け入れていったのです。

フェルゼンからの手紙でアンドレの気持ちを知り、部屋に呼んで・・・

・・・どう考えても、許せない。

オスカル様の名誉のために、いっそのこと「今宵一夜」のシーンを削除した台本にしていただきたいと思うことすらあります。キッパリ。(涙)



9. 宝塚の「フェルゼン編」と、私

2024年にフェルゼン編が上演されると発表されてから、そして、
配役が発表されてアンドレを縣千さんが演じると知った時から、
あの台本だけは修正してほしい、どうか再現しないでほしい、と、
心底から願っていたのですが、その願いは叶うことがありませんでした。

2024年7月6日。兵庫県宝塚市の、宝塚大劇場での初日。

観劇した人たちがSNSに投稿した情報を検索しまくって
「手紙読んで、部屋に呼んで」の展開だったことを確認しました。

でも、前回の投稿に書いたように、9月4日水曜日に東京宝塚劇場で実際に座席に座って、劇場で宝塚のベルばらを再び体験してしまって、そのピュアな熱に触れたことで、今は、心の中が浄化されていると感じています。
縣千さんは、生涯かけてオスカル様ただ一人を思い続けたアンドレを、舞台の上に表現してくれました。私はその姿を、満腔の感謝と共に受け止めました。
幼き日に「マリー・アントアネットさま」に心を動かされてから、こんな劇場体験にまでたどり着きました。本当に幸せなことです。


10. 今日はおしまい。本のページをめくってみます。


このまま、いつまでも、どこまでも語り続けてしまいそうなので、
今日は、ここまでにしておきましょう。

ヴァレンヌ逃亡事件。フェルゼンの大活躍(悔やみきれない失敗が待っているのだけど)
宝塚の舞台がまざまざと目に浮かびます。でも、この初版は昭和40年(1965年)
王妃さまとロザリーのシーン。ああ、この挿絵が、舞台上で再現されているのです。
大庭さち子の文章と辰巳まさ江の挿絵。幼き日にこの本と出会えたことに感謝します。
辰巳まさ江の挿絵は偕成社のシリーズに何度も登場していました。
構図や骨格がしっかりとしている絵柄が、今も大好きです。


いいなと思ったら応援しよう!