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哲学思想日記 2023-W34 — 詩と小説

2023-08-21/27


本当は, 悪い人なんていない. 善い人もいない.
私にとって都合の良い人と都合の悪い人がいるだけ.
そう思う僕は, 本当に悪い人.

批評

教育学部卒という経歴と小田嶋隆氏の文章との関係というのはこれまであまり言及されていないように感じる. しかし近年改題して出版になった本はまさしく ‹ 小田嶋隆の友達論 › と ‹ 小田嶋隆の学歴論 ›. 友達と学歴, これほどまでに « 教育学部的 » な話題があるだろうか ?

言語

英語を話すヨーロッパ系の風貌の父親とその子供らしい日本でいうと幼稚園生くらいの男の子と道ですれ違った. 私が正確に聞き取れていたなら, 會話の中で子供は « So, he didn’t (didn) happy…… » と言っていた. つまり, « he » という主語と « happy » という形容詞を, 否定の繁辭 (?) の « didn’t » で結べるという勘違いをその子はしていたらしい.

子供の誤用からは, 他でもありえた文法の可能性という刺激を受ける. 我々は學校で動詞と形容詞の區別を敎わる. 中にはそれが世界の基礎をなす形而上學的秩序であるように思い込むようになる人もいるだろう. けれども, 実際内省してみれば, 動詞も形容詞も對象の状態を描く点で共通している.

どこかで Ludwig Wittgenstein は, 言葉の起源を考えるとき大抵の人が物の命名のことを考えるという想像力の乏しさを指摘していた. アダムによる命名だってそうだ. 精神分析に感化された20世紀現代思想家はその神話的象徴性に目を奪われるが, 哲學は思想ではないから, むしろ, その言語を可能にする a priori な條件又は聯關を解明すべきなのであろう.

社會

昔はネット民ってみんなリア充爆発しろとか言ってたのに今じゃTikTokerみたいなのがネット民だもんな.

人生

私は土から生えてきたか, あるいは空から降ってきたか, どちらかだと思う.

小說 (この作品はフィクションです)

Image by Nate Ashie from Pixabay

« 女の子みたいにたくさん可愛がってほしいな. でも, 女より体が丈夫だし, 女みたいに癇癪起こしたりしないから, 乱暴に好きなように扱ってくれていいんだよ. 女は「私が今何してほしいかわかる?」と言ってわからないと減点して怒るけど, ボクは常にキミが何してほしいのかだけを考えて, キミに加点してもらいたいんだよ.»

私は同性愛ではなく同性性愛しかできないのだと思う. つまり, 同性間の愛ではなく, 同性間の性愛. いや, 同性間の性愛という表現も間違っている. というのも, 私は私と同じ性別が好きなのではく, 男性が好きで, そして私もたまたま男性に生まれた, と言った方が私の見ている世界に近い.

« 同性 » という語はある人の性別を變數にとる函數であるのに對し, « 男性 » は定數なのだ. 私が男に生まれたから同性である男が好きなのではなく, 男に生まれようと女に生まれようと男が好きなのだ.

しかし, « 女に生まれようと » の部分は解釋が難しい. というのも, 私が私以外の屬性を持って生まれていたら, それは果たして私なのかという問題があるから. 形而上學的關心と言語哲學の關心とは異なるが, 反実仮想文はいかにして有意味かという問題と重なる. 確定記述と可能世界意味論の對立.

同性愛ではなく男性愛だから, 別に私が女になったって良いのだ. « 女になりたい » という表現ならば哲學的問題はあまり現れない. どのような屬性を持って生まれたかという過去はすでに確定しているが, どのような屬性を持ちゆくかという未來は未確定であるから, « 屬性Fを持った未來の私は果たして私か » という問題は, « 過去の私が屬性Fを持っていたと仮想したとき, その個體の運命は私の運命だと言えるか » という問題ほど深刻ではない. しかし, 未來屬性にも深刻なものはあって, 最も明白なのは意識消滅を含めた記憶消去であろう.

性慾は複合的である. まず, 他者への慾望と自己への慾望に分類しよう.

私はイケメンが好きだ. 特に, 目尻の上がった, 猫っぽい目の人. あと 少し横に張った輪郭. Twink が好きだけれど, ジャニー喜多川とは男の趣味が合わないのか, ジャニーズの良さは全然わからない. あの人は結局ショタコンだから, 純朴な感じが好きなのだと思う. 私はもっと都會的で華やかな感じの, ホットペッパーのヘアモデルとかやったりインスタで中小ブランド服のモデルとかやってそうな雰囲氣の人が好き.

けれど, この « イケメンが好き » という氣持ちはなんなのか ? これも多義的だ. イケメンを見ると美的快樂を覺えるという意味 ? イケメンと恋愛したいという意味 ? イケメンと性的行為に及びたいという意味 ? イケメンになりたいという意味 ? これらのうち, 第1の意味における慾望の對象は他者で, 第2と第3は他者と自己の關係, 第4の對象は自己として區分できる.

慾望にはそれ自體を求めるものと何か他の目的のために慾するものの2つがある. 私の場合, 他者としてのイケメンを求める慾求はそれ自體を求める部分が大きく, 自己がイケメンになったらいいというのには美を求める自體的な感情だけではなく手段的思惑もある.

私は唾液にエロスを感じない. 潔癖症なのかもしれない. そうすると大抵の性交はできなくなる.

男の人の刈り上げたうなじが好き. 首が好き. 脇腹から胸側面にかけての筋肉が好き. 背中が好き. お尻が好き. 視覺を以て性的にまなざす際には單純に美しいものを見たいという他者への慾望になるが, 觸覺を以て接することを望む際には自己と他者との關係を伴う慾望になる. 大きい體に私を貪られたいという感情.

私は男だけれど, « メスガキわからせ系 » の作品を読むと, メスガキの方に感情移入する. BDSM が好きだが, 理不盡にやられる可哀想な悲劇よりも, 因果應報系のお仕置きが好きだ. 被害ではなく罰が好きなのだと思う. しかも現實に受けたら暴力だから, 演技としての, 架空の罰. わからせる方は汚らしいおじさんではなく若くて引き締まっている方がいい.

かわいい女の子になりたいけれど, 男の人にキレイって褒められてもあんま嬉しくないんじゃないかと想像する. もちろんブスって言われるよりはマシだけど, 結局私の魅力って男を喜ばせる見た目だけなんですか, というクソめんどくさい思考回路が働き始めてしまいそう. 「こんなにキレイなのに」とか言われると私ってそんなビッチに見えますかと返したくなってしまいそう.

その點, « かわいい » という形容詞には不思議な魔力がある. かわいさとは小さき者, 弱き者に對する性的慾求であるから. Friedrich Nietzsche の Ressentiment という概念の性愛版がかわいさだとも言える. Milan Kundera の ‹ L’Insoutenable Légèreté de l’Être › に « 同情によって誰かを愛することは, その人を本当に愛することではない (Aimer quelqu’un par compassion, ce n’est pas l’aimer vraiment) » という言葉があるが, « Kawaii » という日本發祥の語はその同情の事實すら忘卻させる.

« かわいい » という言葉は相手を弱者としてまなざす暴力的侮蔑であるのに, 言われた方はあまり惡い氣がしない. それどころか, « キレイ » と言われるよりはるかに好い氣氛になる. なぜか. 第1に, « キレイ » が容姿のみを褒める言葉であるのに對し « かわいい » は仕草や性格なども主語にとれることがある. そして第2に, まさしく Ressentiment 的な, 弱い自分の弱さを無條件に愛してくれるような, 危險な甘さが « かわいい » という聲に隠れているから.

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