実存的対決あるいは対話、交流。人と向き合うこと。親殺し。~これからの人生のテーマ~

主に自分の話です。

10/31~11/3の会社からもらった4連休を使って禅修行を3泊4日で体験してきました。そこでいろんな人と交流し、座禅をし、作務に取り組み、和尚さんのカウンセリングを受けて、自分の人生と向き合ってみた内的なことをつづります。

人と触れ合うことを避けている?

禅修行中は自分の今の悩みは悩みがないことだな~と考えていました。ほんとにぜいたくな悩みです。

人生がおおむね順調な今、何か張り合うものが欲しいと感じていました。

そんなことをカウンセリングで話すともしかしたら自分の中にまだ課題があるのかもしれないと指摘されました。

ところで、僕は今まで異性とお付き合いをしたことがありません。そのことで悩んだりコンプレックスは感じていませんが、周りが男女の話になるとついていけずに、なんだか周囲がすごく大人のように感じられます。

しかし、そのことを掘り下げていくとどうやら自分は異性、または他人と無意識に向き合うこと、触れ合うこと、交流することを避けているのではないかと和尚さんとの会話で気づきました。

あまりスキンシップのなかった子供時代

子供の頃、両親から肌と肌でかわいがってもらった記憶がありません。また、両親がそのようなコミュニケーションをしているところも見たことがありません。

では、ひどい親かといわれると全然そうではなく、むしろ世話はしてもらったし、しっかり食事は与えられ、必要以上にモノを買ってもらい、養ってもらってきました。

しかし、心の奥で僕はすごく寂しかったのを覚えています。

ほんとはもっとよしよしとかしてもらいたかった。

でもそれは両親が悪いとかそういうことではないです。両親はそれがただできなかっただけ、と僕は思っています。

父との思い出

父親と話していても、学校の成績、学校での生活態度、人間関係、そんなことを聞かれましたが、どこか距離を感じてました。この感覚を言葉にするのは難しいのですが、ある種、ビジネスチックに感じていました。

生の人間らしい温かさを感じることができなかったので、僕は父に心から向き合ってもらっていないと感じていたんですね。

だからなのか、子供の頃、父に抱いていたイメージはこの人と話すのはなんだか悲しく、寂しく、怖いなと思ってました。

母とのやり取り

その寂しさが二十歳を超えても残っていて苦しかった時、母親から連絡が来ました。

その時は世の中、特に両親を恨んでいたので、ぶっきらぼうに憎しみを込めて相槌を打つことで、母に鬱屈した気持ちをぶつけてしまいました。でもこれが自分の苦しさの精一杯の自己表現でした。

母は焦ったように「ごめんね、ごめんね」といいながら、手短に用件を言い、電話を切りました。

これは僕にも未熟な面、いけないところがあったと思います。

でもあの時の自分は、本当は母から「どうしたの?そんな怖い声出して・・・なんかあったの?話してごらん。」と言ってほしかったのです。


この家庭での距離感が、僕の異性との関係にももしかしたら表れているのかもしれませんね。


これからの人生のテーマは「人と心から向き合うこと」

それからなんやかんやあって大学で恩師と出会い、一人の人間として向き合ってもらったことをきっかけにして苦しい人生から抜けて現在に至ります。

苦しみを乗り越えて、張り合うものがなくて、ちょっとした興味から禅センターを体験しました。

そして、何となくですが、これから人生のテーマが見えてきたかもしれないです。

確かに僕は、人から向き合ってもらって、苦しみから解放されました。でも僕自身は人と心から向き合ったことがあるでしょうか?今まで、都合のよいペルソナをかぶって人と向き合うことから逃げてなかったでしょうか?

役割の人間関係は楽です。なれれば自動的にその中で過ごしていくことができます。しかし、恋愛関係、家族関係ではそうはいきません。哲学的には、実存的対決と言うそうなのですが、自分の実存を懸けて人と向き合い対決する覚悟と姿勢が必要です。それらがぼくには欠けている(かもしれないです)。

親の生き方を無意識にモデリングしていたのが大本の原因かもしれません。

だから、心のどこかで人を避けているのかもしれません。

でもそれでは、受けた恩を返すことができません。

この染みついた生き方を僕は打ち破りたい。

必要なのは、「親殺し」

人が本当の意味で自立するには「親殺し」が必要だといわれています。それは親をバットで撲殺するとか、ナイフで刺し殺すとかでは、もちろんありません。

例えば、親から「一番安いものをいつも買いなさい」と言われたつづけた人が、合理的に考えるとここは高いものを買ったほうが後々節約になるときに、その親からの価値観を打ち破り、心理的な壁を乗り越えて高いものを買うように、僕も親の生き方、在り方を打ち破りたい。

実は以前、このブログを書いたときに父から「内容が赤裸々すぎる。親戚も見ているんだぞ」と言われました。

確かに赤裸々なことは書きましたが、僕は別に悪いことだとは思ってません。むしろ自分にとって必要な訓練のように感じています。

今、こうやってブログを書くことで、言いつけを破っているのかもしれませんが、そのことが僕には大事なのです。

これが僕の「親殺し」の第一歩です。

自分の根本的なものを認めてもらった経験はなかなか忘れられません。これから、その恩を返すことができる人間になっていくために、少しづつですが精進していきたいと思います。


今回は自分の内面的な内容になりました。

読んでいただきありがとうございました。

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